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皆様如何お過ごしでしょうか。

Dream On!

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ダレモイナイ コウシンスルナラ イマノウチ(ペ∀゚)ヘ
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[177]短編『Dream On!(前編)』≫北へ。: 武蔵小金井 2002年11月13日 (水) 01時26分 Mail

 
 
 もう二度と歌わない。
 ギターケースを自室の床に叩きつけて、川原鮎はそう誓った。
 そうだ、二度と歌うもんか。歌なんて金輪際やめてやる。ミュージシャンになる夢なんて、もうどうでもいい。
 どうせそんなもの、かないっこないんだから。私に才能なんてないし、認めてくれる人もいない。ううん、いたとしたって、それはその場のお世辞で誉めそやしてるだけだ。みんな心の中では、私のことをせせら笑っているに違いない。
 マフラーとセーター、さらにソックスを含めた諸々を派手に脱ぎ散らすと、鮎は思いきりベッドの上に倒れこんだ。大きな音と共に、重い響きが室内に反響する。店にいる母や父が何事かと思ったかもしれない。だが、今の鮎にはそんな気遣いをしている余裕はなかった。
 そう、そうだよ。もう歌なんてやめたんだから。もう何もかも、どうでもいい。お父さんが口を酸っぱくして言ってるままに、寿司屋の女将にでもなんでもなってやる。
 シーツをくしゃくしゃに引き散らして、鮎はその中に顔を埋めた。どんどんとネガティブな思考をしていく自分自身に嫌悪感をつのらせ、どうにかしてポジティブな考えにしようと思案を巡らせる。かなりの時間がかかって、鮎はようやくそれに成功した。
 寿司屋の女将か。そうなったら、どんなに気が楽だろう。何をどうすればいいか全部知ってるから、勉強なんかしなくてもいい。作曲や作詞が煮つまって夜通し苦しんだり、今後の活動について悩んだりすることもない。相手をするのはお客さんや卸しの人たちだけで済むし、みんな顔馴染みばかりだから、余計な気を使うこともない。そうだ、嫌な相手に媚へつらって、頭を下げたりする必要もないんだ。ただ、帳簿をつけながらお茶でも入れていればいい。
 なんて気楽で、簡単なんだろう。
 しみじみと鮎は思った。そんな毎日を過ごす自分を考えただけで、全身を重くしている憂鬱な感覚が消えて行く気がする。
 そうだ、そうしよう。今日から川原鮎は、お寿司屋の女将見習いだ。
「鮎、ちょっといい?」
 ドアの向こうから声がかかって、鮎はベッドから跳ね起きた。
 お母さんだ。でも普段と違い、何だかその声が嬉しかった。めずらしく、家族と話がしたいと思う。
「どうぞ!開いてるよ。」
 少しだけドアが開き、鮎の母親である敦子が顔を出す。その表情は少しこわばっていて、鮎は思わず吹き出しそうになった。
 いいんだよ、お母さん。私、もう大丈夫なんだから。
「なに?どうかしたの?」
 母は黙ったまま、鮎と、床に散乱した衣服やギターケースを見た。そして、ため息をつく。
「あなた、そんな格好で……風邪をひくわよ。」
 心持ち抑えた声に、鮎は視線を下げた。自分の姿を見て……今度こそ吹き出す。
「あ、ゴメン。今すぐ片付けるからさ。それよりお母さん。私これから、お店を手伝うからね。」
 案の定、母はきょとんとした顔になった。だけど、それはもっともかもしれないと思う。普段……昨日までの自分ならきっと、怒鳴り散らしてドアも開けさせなかったに違いない。
「手伝うって……鮎?」
「だから、澤登のお店。お父さん、もう入ってるんでしょ?今日は手伝い、私がやるからさ。お母さんは休んでていいよ。」
 とまどう母に、立ち上がって鮎は笑った。散らかった衣服を適当に集めて、そそくさと普段着へと着替える。
 そうしている鮎を、敦子は当惑したように見つめていた。また、鮎は笑った。愉快でたまらない、そんな笑顔。
「もう。大丈夫だってば。私、手伝いたいんだから。夜のお客さん、そろそろ来るんでしょ?あとは私とお父さんでやるから。お母さん、最近休んでないもんね、でしょ?だから、任せといてよ。」
 まだいぶかしげに鮎のことを見ていた母だったが、やがて軽く息を吐くと、うなずいてくれた。
「そうなの。それなら、お母さん行かなきゃならない所があるから……今日中に、行って来ちゃおうかしら。」
「うんうん、行ってきなよ。お店は、私とお父さんに任せといて。」
 淡いピンク色のセーターに袖を通し、鮎はポンと胸を叩いた。
「はいはい。それじゃ、頼んだわね。だけど、あなた……本当にいいの?」
「うん。任せて!」
 鮎は母と別れて店に向かった。
 これでいいんだ。なんて気が楽なんだろう。お母さんも喜んでくれたし、お父さんはきっともっと喜ぶだろう。何しろ、あれだけ毎日ケンカしてたんだから。うん、親孝行っていいな。
 鮎は簾をくぐって店に入った。夕方を少し回ったばかりなので、客はまだ少ない。カウンターの中には板前姿の父がいた。鮎のことをジロリと見て、すぐに顔を背ける。
 きっとまた、どこかに出かけると思ってるんだ。鮎は心中でクスクス笑った。
 父の横をすり抜けるようにして、カウンターの奥にある狭い厨房に入る。背中に父の視線を感じ、鮎はさらに笑い出したくなった。
 奇麗に洗濯された、白の割烹着。普段は母が使っているものだった。それを取り、袖を通す。久しぶりだったので少しつっかかったが、どうにか紐を結び終えた。
 手を洗った鮎が振り向くと、そこに父の顔があった。案の定、まじまじとこちらを見ている。鮎は吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「なに?お父さん。」
 澄まし顔をするのにも努力が必要だった。でもおかげで、効果はてきめんだった。
「あ?いや……むぅ。それはだな、つまり……」
 鮎の父、雄大は取り乱したように右往左往し、どもりながら妙なことを尋ねた。言葉になっていなくて、鮎は笑った。もう我慢できなかった。
 その時、カウンターの向こうから声がかかった。
「はーい、今すぐお持ちしまーす!お父さん、あがり持ってくね!」
 鮎はそばにあった急須を持って父の横をすり抜けた。笑いを噛み殺すのに懸命だった。
 本当に、何て楽しいんだろう。


 札幌……いや、北海道一の歓楽街ススキノの寿司屋、「澤登」。
 小ぢんまりとした、ごくありきたりな店構えの寿司屋だが、先代より続くその味はなかなかに旨いと評判もよく、隠れた名店として一部に知られている。結果、来店するのは観光客よりも地元の常連客が多い。
 そんな地元民たちを相手にした最初のピークが終わって、鮎はふうっとひといきをついていた。
 心身共に、軽い疲労感。でもそれは決して、悪い気分ではなかった。
 カウンターの向こうで、父が数人の客を前に寿司を握っている。寿司屋に似つかわしくない、洋楽の鼻歌が聞こえた。よほど上機嫌なんだろうなと鮎は思った。最近じゃあまり、聞いたことがなかったもんね。
 でも、私も少しは練習しなきゃ。鮎は自分の左手を見て笑った。中指に、小さなばんそうこうが張ってある。ついさっき、包丁を扱おうとした時についたものだった。かすり傷にもならないような、ほんの小さな切り傷だったが、鮎はその時の父の慌てぶりを思い出し、内心で舌を出していた。
 やっぱり、久しぶりの包丁だったかな。お母さんに、今度ちゃんと教わろうっと。
「へい、赤貝とイクラお待ち!」
 威勢のいい声と共に、父のお寿司が出る。それを口に運ぶ客。実においしそうで、そしてその通りの誉め言葉が父にかかる。頭をかいて、何やら皮肉めいたような台詞を返す父。そして、客と一緒に豪快に笑う。
 そんな店内の様子を眺めて、鮎はとてもいい気分になった。どうしてだろう。こういう場を見ているのって、とても……なんていうのかな、そのままだけど、とっても幸せな気分になる。
 やっぱり、家族だからかな。
 そう思って、鮎は店の中を見回した。父が先代……鮎の祖父でもある敦子の父から、若くして受け継いだ澤登の店。そこは、鮎が生まれ育った場所だった。壁のしみも、カウンターのへこみも、椅子の脚についている小さな傷も、何もかもよく知っている。
 そうか、ここが私の家なんだ。不意に、鮎はそれを理解した。理屈などではなく、ただ、そのままに。
 お父さんとお母さんがいて、私が生まれたお寿司屋。ここが、私の場所なんだ。
 ぼうっと、小さかった頃のことを思い出す。お寿司で太った、お酢臭いヤツ。そう言われ、意地悪されて、この店が嫌いになったこともあった。どうしてうちは普通のサラリーマンとかじゃなくて、お寿司屋なんだろう。そう悩んで、ひとりで泣いたこともある。
 でも……やっぱり、ここが私の家なんだ。こんな気持ちになれるのは、ここだけなんだ。
 ひとりごちた鮎がふと見ると、カウンターから父が自分を見つめていた。お客さんの前で物思いに耽っていた自分に気付き焦ったが、父の表情は怒っているようなそれではなかった。鮎が、ここしばらく……いや、長い間、ずうっと見ていなかったような表情。
 何だか恥ずかしくなって、鮎は照れ隠しにあははと笑い返した。そうすると、父も変な奴だと鮎を笑う。客がそんな親子を不思議そうに見て、何事かと尋ねた。二人はまた笑った。今度は、親子そろって。
 久しぶりだな。鮎は思った。本当に久しぶりに、お父さんといっしょに笑った気がする。
 そのとき、店の戸がガラガラと開いた。お客さんだ。のれんをくぐってくる姿に、鮎は元気良く頭を下げた。
「いらっしゃいませ!」
 威勢良く挨拶して視線を上げると、一人の女性客が目を丸くしていた。鮎が見上げるほど背が高い。連れはおらず、彼女一人だけのようだ。
 その女性客が、鮎を前にして怪訝な表情になる。
「あれれ……大将、この子新人さん?可愛い子だね。」
 そんな相手を鮎は見つめた。年の頃は二十歳そこそこだろうか。ショートカットの、だけど鮎とは違ってクセっぽい髪に、スレンダーだが健康的な体のライン。特徴的な大きな目は悪戯っぽく輝いていて、見るからに気が強そうなタイプだった。服装はジーンズに黒の革ジャン。面立ちといい背の高さといい、男性的でカッコイイ人だと鮎は思った。
 でも、どこかで見たことがある、そんな気もした。誰だっけ。鮎は頭をひねった。思い出せない。
「おう!らっしゃい……って、なんだ。おぼえてねぇのかい?鮎だよ、鮎。うちの娘の。」
「娘?大将、結婚してたっけ……って、それは冗談だけど。鮎……?」
 女性は何だか大袈裟なポーズで首をひねった。こちらを見定めるように凝視してくるので、思わず顎を引く鮎。と、そんな鮎をもう一度見つめ、いきなり女性は叫んだ。両手を派手に打ち鳴らして。
「あーっ、思い出した!いた、いたよ。そうそう、鮎ちゃんか!あははは、すっかり忘れてた!」
 その派手な笑いっぷりに鮎は面食らった。その前で、女性客が自分を指差して笑う。
「ひっさしぶりぃ!あ、おぼえてない?私、桜町由子。ほら、前はお店でよく話してたじゃない。」  
「えっ……あ!」
 言われて鮎も思い出した。
 そうだ、この人知ってる。桜町さんだ。桜町……由子さん。
 桜町由子は、以前澤登によく来ていた……いわゆる常連さんの一人だった。鮎の記憶にも、女だてらに豪快な食べっぷりと、ノリのいい話っぷりが強く残っている。
「いやー、久しぶりだね!どう、元気だった?今までどこにいたの?内地の大学とか?もう就職した?」
 鮎の頬を両手でギュッと押さえて、やたらめったらに弄り回す由子。そのくだけた調子に、鮎はさらに焦った。
 でも、ちょっと嬉しい。手伝いをしたことも含めて、今日は何だか昔に戻ったみたいだ。
「それとも鮎ちゃん、もしかして彼氏とバッチリとか?ほーら、お姉さんによく顔を見せてよ!何年ぶりかな?もう、キレイになっちゃって。あーんなカワイイ女の子だったのにぃ。あっははー!」
 翻弄されながら、鮎は思った。この人のこんな態度が、前から好きだったこと。
 ホント。私、こんなにインパクトが強い人のこと、どうして忘れてたんだろう。
「ち、違います。普通にこの家にいたんですけど……あわわ。ひ、ひにゃ……」
 頬を引っ張られ、髪をくしゃくしゃと弄られ、鮎はもうなすがままの状態だった。
「えー、そうなのぉ?だってここんとこ、ずっと鮎ちゃんのこと見てなかった気がするからさ。私、すっかり忘れちゃってたよ。今はなに?OLか何か?高校は卒業してるよね?ねー?」
 そこで、ようやく由子は手を離した。
「う、うん。高校は、もう卒業して。それで、今は……」
 鮎は言葉に詰まった。何時間か前の、荒れていた自分を思い出す。
「あ、そうか。お店の手伝い兼、花嫁修行中ってとこ?」
「えっ、あ……う、うん……」
 鮎は曖昧にうなずいた。
「あはは、やっぱり。どうせ暇に身を任せて、ぶらぶら遊んでるんでしょ?もう、若いなぁ。このこのー!」
「ははっ……で、でもさ、桜町さんも久しぶりだよね。」
 話を変えようと、鮎は由子の着ていたジャケットを受け取った。それをハンガーにかけながら、不思議と打ち解けている自分を感じる。再会して、まだ数分なのに。
「あれ?お店には来てたんだよ?月イチくらいかな。大将のお寿司、やっぱり旨いからさ!」
「お、嬉しいこと言ってくれるねぇ。」
 父の声が届く。鮎はカウンター席の一つを引いた。
「あの、桜町さん。ここにどうぞ。今、あがり持ってきます。」
「サンキュ、鮎ちゃん。あっ、大将。今日も適当に握ってよ。いつもの予算内でさ。」
 片目を閉じた由子に、父がおうっと了解する。鮎はお茶を運ぶと、由子の勧めで隣の席に腰掛けた。
 それからしばらく、二人は何でもないような世間話を続けた。最近の流行。おいしかったお店の話。由子はポンポンと話し続け、鮎もいつのまにか歯切れよくそれに答えていた。もとよりこういった話題には強い鮎である。二人はにぎやかに、笑いながら話を重ねていった。
 本当になつかしいな。由子の話を聞きながら、鮎は思った。昔……中学の頃は、よくこんな風に桜町さんと話してたっけ。彼女、その頃からスタイルもセンスも良くて。私、そんな彼女の外見だけじゃなくて、裏表のない性格にも憧れて……
「……あれ?そういえば桜町さんて、確か……」
 千歳の基地の、自衛隊。鮎がそう尋ねると、由子はうなずいた。
「イエース。今でも、まだまだ自衛官ですよ。上官に怒られ後輩に迫られ、同期の桜には先を越され、世知辛い世の中ながらも、不肖WAFで頑張っております。」
 敬礼のポーズを取って、由子はおどけてみせた。
「だからね、たまったストレスは大将のお寿司を食べて、どーんと発散するわけ。って、そんなヤケ食いできるほど食べちゃった日には、おあいそで泣きが入ってストレス倍増しちゃいますって。にゃははは!」
 つられて鮎も笑った。そこで、さっきからずっと寿司を握り続けていた雄大が、ようやく顔をあげる。
「へい、お待ち!お任せ握り!」
 ドンと置かれる寿司板。それを見て、鮎は目を丸くした。
 寿司板からこぼれ落ちそうなほどに乗せられた、色とりどりのお寿司。艶やかなネタが所狭しと並んでいる。
 鮎はあっけにとられた。これ、いったい何カンあるんだろう。十や二十じゃない、軽く四十カンはありそうな、それこそテンコ盛りだった。
 凄い。鮎は感心した。確かによく食べる人だった記憶はあるけど、こんなに食べるなんて。しかもこのお寿司のネタ、かなりいいものばかりだ。こんなに食べたら、けっこうかかるんじゃないかな。あれ?でも今、確か桜町さん……
「た、大将。これ……?」
 ふと見ると、当の由子も目を丸くしていた。それが鮎を、また驚かせる。じ、じゃあこれ……
「おう、うまそうだろう。鮎、お前も食べろ。まだ食事してないだろ。桜町さん、こいつといっしょでいいだろ?」
「えっ……お父さん?」
 とまどう鮎をよそに、由子は瞬時に雄大の言葉の意味を理解したようだった。
 山のような握りを前にして、手をあげて敬礼するようなポーズ。
「モッチーのロンであります、サー!こりゃラッキー!鮎ちゃん、仲良く食べよう。ね!」
「えっ……で、でも……お父さん?」
「鮎、いいから食え。お客も一段落ついたからな。とりあえず今のうちに食べとけ。」
 ムスッとした顔で雄大は告げた。二人をそのままに、厨房の方へと身を引いてしまう。
「あ、お父さん……」
「ほらほら、鮎ちゃん。腹が減ってはなんとやらってね。はい、上着緩めたげる。いっしょに食べよ?」
「え、うん……」
 由子にうながされて、鮎は父の背を見つめるのをやめた。その隣で、由子が待ちきれないように両手をこすり合わせる。
「それじゃ、遠慮なくいっただきまーす!鮎ちゃん、早く食べないと私が全部食べちゃうよ?ニヒヒ!」
「う、うん。いただきます……」
 鮎も箸を割った。嬉々として食べ始めた由子の隣で、自分もお寿司を一つ挟む。
 形よく握られたシャリとネタ。考えてみれば、父の寿司を食べるのは久しぶりだった。
 だからかどうかわからないけど、とてもおいしかった。 


「……でも、あの丸っこくて可愛かった鮎ちゃんが、今はもう花も実もある立派なレディか。うーん、歳月を感じてしまいますなぁ。」
「そ、そうかな。」
 お寿司をパクリと飲みこんで、しみじみと語る由子。
 鮎は、箸先を小皿に触れさせながら首をかしげた。そんな鮎に、由子が笑う。
「そうだよ。でも鮎ちゃん、美人になったね。もう、大将も隅におけないなぁ。ね、男がワンサカ寄って来て、困っちゃうでしょ?」
「そ、そんなことないです。」
「またまた、謙遜しちゃってこのこの。でもホント、今のうちに二三人捕まえとくといいよ。いざって時に焦っても、もう遅いんだから。私なんてそろそろやばくってさ、もう困っちゃう。あっはは!」
 鮎も笑った。だけどそこで、ふと思う。
 どうしてだろう、この人にこんな台詞は似つかわしくない気がする。そう考えて……そして、鮎は理由に思い当たった。
「あれ、でも桜町さんって、確か……自衛隊に、好きな人がいたんじゃなかったっけ。」
 それを口にした途端、由子の顔がこわばるように硬直した。
「鮎!」
 続けて、父の鋭い声。鮎はさらに驚いた。ど、どうしたんだろう。私、何かまずいことを言ったのかな。
 そう思い、由子を見て……こわばった顔だった由子が、いきなり吹き出した。
 笑い声。おかしくてたまらないような、そんな笑い。
「さ、桜町さん……?」
 涙目になるような、派手な笑いだった。目をこすって、由子が笑い続ける。
「あぁ、ゴメンゴメン。いやそのさ、いきなりだったから、不意をつかれちゃって。おっかしくて……もう、鮎ちゃんってばツボつくのうまいなあ。お笑いに向いてるんじゃないの?アハハハ!」
 正直、笑っていいのかどうなのか、判断つきかねる雰囲気だった。
「あ、あの……」
「うん。あのね……そう。そうだったよ。好きな人、いたんだけど……話したこと、あったよね。私が自衛隊に入るきっかけになった、尊敬できる上官の人のこと。」
 由子の話を聞きながら、鮎も思い出していた。
 桜町さんが好きな人は、自衛隊の上官。彼女はその人を目指すようにして、自衛隊に入った……そんな風に、頬を染めて照れながら笑って語ってくれたこと。
「でもね、残念でした。私、失恋しちゃって。ううん。失恋じゃない……大失恋、かな。」
 由子の顔から、ふっと明るさが消えた。その顔が、背と共に椅子に反りかえる。
「正直、あれはキツかったなぁ……いきなり、私たち結婚しますって聞かされてさ。こっちの気持ちも何も、伝えるとかそういう以前の状態でよ?しかも、よりによって後輩の子とでさ。もうあの時は、一人で泣いた泣いた。ワンワン、子供みたいにね。しばらく、仕事とか全然手につかなくて……もう、ひたすら荒れてたなぁ。大将のトコでも、一晩中愚痴ってたよね。あの時はごめんね、大将。」
 背筋を戻した由子は、今まで見たこともないような表情を浮かべていた。鮎が、思わず視線を背けてしまうほど。そんな由子に、雄大が威勢のいい言葉をかける。鮎はお茶を含みながら、本当に悪いことをしたと反省した。
「あはは、気にしないで。何年も前のことだし、もうすっかり諦めてる。今やあの人は、可愛い二児のパパだもん。それに、今は私ね、打ちこめるものがあるから。そっちが面白くって仕方ないんだ。だから鮎ちゃんも、ゼンゼン気にしないでよ。」
 打ち込めるもの……なんだろう。鮎は気になったが、由子は大きく伸びをして笑った。
「……あーあ、でも何だかなつかしいなあ。あの頃の私ってさ、勢い任せで無鉄砲で……あ、それは今も同じか。あはは!でも、鮎ちゃんも昔はクリクリって、洋服も髪もお人形みたいで可愛かったよね。それが、今やこんなに出るとこ出ちゃって……ウヒヒ!」
 酔った中年のような由子の仕草に、鮎は赤くなった。でも、由子が笑ってくれて嬉しかった。
「そうだ!ね、鮎ちゃんは、この後ヒマ?まだ、お店のお手伝いあるの?」
「えっ……どうしてですか?」
 悪戯っぽい顔で、由子がうなずく。
「いやさ。久しぶりだし、大将にもたっぷりごちそうになっちゃったから、今夜は鮎ちゃんともっと話したいなって。もちろん暇だったらでいいけどさ。どう?おごっちゃうよ?」
 鮎は困った。もともと、思いつきで始めたような今日の手伝いだ。上がる時間なんて気にしたことはなかった。鮎は父を見て……雄大は、にこりともせずにうなずいた。
「俺は構わんぞ。行ってこい、鮎。」
「ホント、大将?」
 嬉しそうに手を重ねる由子に、うなずく雄大。鮎は焦った。
「で、でも……お父さん?お店は……」
「そんなもの気にするな。母さんもとっくに戻ってるし、お前はごちそうになってこい。失礼のないようにな。」
「もう、大将!安心しなさいって。大事な澤登の一人娘、私がしっかり面倒見るからさ。じゃ、鮎ちゃん行こう?大将、おあいそね。」
「おう。鮎、お前はさっさと着替えてこい。」
 鮎の意向は無視されているようだった。とはいえ、もちろん嫌ではなかった。
 久しぶりに逢った彼女と、話しをして……ううん、もっと色々なことを話したいと望んでいる自分に気付く。なんだろう、ずっと忘れていたような感覚だった。昔……高校に入学した頃に似た、そんな気分。
「う、うん。それじゃ、ちょっと準備してくるね。」
 鮎は店の奥から家に戻った。
 居間では和服の母が、帳簿をめくっていた。鮎はかいつまんで事の次第を説明した。母はほほえんで、いってらっしゃいと鮎を後押しした。お小遣いまでくれたほどだ。
 何でこんなに優しいんだろう。鮎は複雑だった。今までは、親と顔を合わせたら最後、必ずケンカだったのに。
 コートにマフラーを着て戻ると、由子が会計を済ませて店を出たところだった。手を振って鮎を呼ぶので、慌ててそれに続く。
「じゃ、行ってきます。」
「大将、ホントにサンキュ!ごちそうさまでした!」
 おうっと、軽くいなすように笑う父。
 鮎は由子と二人で外に出た。かなり寒かった。ジャケットを着た由子が、鮎を見て片目を閉じる。
「さーて、と。鮎ちゃん、行きたい所はある?リクエストは?」
「えっ……う、ううん。別に、どこでもいいですけど。」
「あ、お酒は大丈夫だっけ?」
「い、一応。でも、ちょっと苦手っていうか……得意な方じゃない、かな。」
 笑う由子。しばらく考えこみ、やがてうなずいて手を叩く。
「よし!それじゃ、カラオケ行こう!」
 言うなり由子は歩き出した。唖然とする鮎を残して。
 カラオケ。
 それだけはダメだった。いや、ダメというか……いけないはずだった。何しろ、そう決めたのだから。
 でも、どう説明すればいいんだろう。由子を止めるために口を開きかけて、鮎は言葉を探した。そんな鮎をよそに、由子が雑踏へと消えて行く。かなりの早足だった。慌てて、その後を追いかける鮎。
 失敗した。どこでもいいなんて言うんじゃなかった。ボーリングとか、ゲーセンとか……ううん、バーだっていい。そういう所にしておけばよかった。
 ニコニコと辺りを見回しながら進む由子の背を見ながら、鮎は言い訳を考えようと必死に頭を回転させ……そして、途方に暮れた。
 本当に、どうしよう。
 
 


[178]短編『Dream On!(後編)』≫北へ。: 武蔵小金井 2002年11月13日 (水) 01時28分 Mail

 
 
 ススキノの一角。今夜もまた、若者でごったがえすカラオケルームの一室。
 狭い部屋に、音楽よりも大きなマイクの叫びが響きわたった。
「……ったら〜!キャハハハハ!鮎ちゃーん、歌ってる?飲んでる?あはははは!」
「の……飲んでる!飲んでますよ!」
 耳を覆いたくなる、凄まじいボリュームの伴奏。エコーのかかったマイクの声に、鮎は怒鳴り返した。手元にあったサワーのグラスを口に運び、グイッと傾ける。ほんの少しだけ喉に流れる感覚があって、気が付くとグラスはからになっていた。
 あれ、またなくなっちゃった。鮎はぼうっと思った。確か、さっき追加したばかりなのに。
「あー、いい気持ち!ホント、ドカーンって歌うとスカッとするよね!じゃあ次は、鮎ちゃんの番です!はいはい、お願いしますー!」
「う、うん……」
 けたたましく笑いながら、由子が並んだキューブ状のソファに転がる。近くにあったカクテルをぐいぐいっと飲んで、そして両手を叩いて鮎に喝采。
 この部屋を借りて、どれくらいになるだろうか。まだ一時間ぐらいしかたっていないはずだったが、その間に由子は完全に酔っぱらってしまっていた。ビールから始まり、ウイスキー、ブランデー、焼酎、ワイン、そしてカクテルと、メニューにあるリキュールを次から次へと注文し続ける。
 マイクを手にして立ち上がった鮎は、そんな由子に軽く頭を下げた。また、盛大な拍手。
 私、何してるんだろう。もう、歌わないって決めたのに。
 流れはじめるイントロ。鮎は手にしたマイクを見つめて、じっと考えた。
 歌……か。
 鮎は歌い始めた。今はやりの曲ではないが、鮎が得意な曲だった。さっき、次の曲を入れろ入れろと由子にせかされて、思わずこの曲を入力してしまったことを思い出す。
 そういえばこの歌、昔はよく歌ってたっけ。友達とはしゃいで……カラオケ、ほとんど毎日通ってたもんね。
 由子が黄色い声をあげて、鮎の歌声に応える。鮎も自然にそれに応え、そして歌い続けた。そこまで身は入らなかったが、それでも間違えたりするはずもなかった。どうしてか、ちょっと楽しいような気もする。
 歌。私、今、歌を唄ってるんだ。もう二度と歌わないって、そう決めたのに。
 でも……でもさ。これは、私の歌じゃないもの。だから別に、気にすることないよね。
 もう歌わないって決めたのは、私の歌なんだから。
 曲の前半が終わると、由子が指を揃えて派手に口笛を鳴らした。さらに、タンバリンやカスタネットといった道具を次々に打ち鳴らして盛り上がる。鮎は頭をかいた。そうしながら、また考えていた。
 私の歌、か。そう、決めたんだよね。私、もう歌わないんだ。歌はやめて、寿司屋の女将さんになるんだから。
 でも私、歌を唄ってる。歌わないって決めたのに。
 後半が始まった。盛り上がっていくメロディ。
 だが、鮎は歌えなかった。
 歌。これは私の歌じゃない。だから、歌っても構わないはず。
 でも、鮎は歌わなかった。どうしてか、歌えなかった。
「あれれ……どうしたの?もしかして、この歌は初挑戦だったかなぁ?」
 そんなはずはなかった。この歌は得意だ。誰にも負けないぐらい練習した。目をつむっていたって、曲がなくたって完璧に歌える。それほど好きな歌だった。
 私が、大好きな歌。でもそれは、私の歌じゃない。
 大好きな歌は、私の歌じゃないんだ。私が歌わないって決めたのは、大好きな歌じゃないんだ。
 突然、涙が出て来た。鮎はぐっと目頭をおさえた。
 何よ、これ。鮎は呆然とした。どうして悲しいのか、わからない。
「ど、どうしたの?」
 きょとんとして、由子がこっちを見ている。鮎は首を振った。気にされるのが、そんな態度が嫌だった。
 そうだ、慰めなんていらない。私は一人で頑張るんだ。誰にも……親にだって、同情なんてして欲しくない。
 私は、誰の手も借りずに歌手になるんだから。
「鮎ちゃん?」
 やだ。近寄らないで。私、ずっと一人で頑張って来たんだから。だから、ここまで来た。お父さんもお母さんも、友達もみんな、頼ったりしなかった。だから強くなれた。だから……自分の歌を、歌えるようになった。私の歌を。
 だから、お願い。そんな顔して、私を見ないで。 
「イヤ……ほっといて!私、歌わない……もう二度と、歌なんて唄わないって決めたんだから!」
 いきなり声を荒げた鮎に、由子が当惑の表情を浮かべた。
 鮎は笑った。泣き笑い。そう、笑いたい気分だった。
 バカみたい。バカみたいだ。私、今まで何やって来たんだろう。才能もないのに、夢だ憧れだって、一人で思いこんで。お父さんやお母さんと喧嘩して、友達にも……クラスの誰にも、ううん、親友にだって秘密にして。
 ずっと、ずっと一人で、私は何をして来たんだろう。
 気が付くと、由子が肩を揺さぶっていた。頬まで赤ら顔の由子が、真剣な表情でこっちを見ている。
 この人、どうしてこんな顔をしてるんだろう。痛いから、やめて欲しいな。
 鮎は抗った。視界がにじんで、まだ聞こえ続ける曲が苦痛だった。大好きな、昔ずっと口ずさんでいたメロディだった。
 私が、大好きな歌。
 大粒の涙が、震える鮎の瞳からこぼれ落ちた。

 こんな歌が唄いたい。
 こんな曲が作りたい。
 私が感動したみたいに、こんな素敵な歌を聴かせられる歌手になりたい。
 そう思い、決意して、ギター一本から始めた夏の日。  
 オーディションに落ちた。悔しかった。みじめだった。だからこそ、必死に練習した。
 負けたくない。家族も、学校も、寝食を忘れて鮎はそれに打ちこんだ。ただそれだけに。
 そして、遂にそれが認められた。小さな賞。その後は、頻繁に人前で歌えるようになった。小さかったけど、自分のステージが持てた。ファンだと言ってくれる人も現れた。レコード会社の人にも励まされた。
 頑張ろう、そう思った。そう誓った。お金のためにバイトも増やした。嫌な相手に頭も下げた。自分の場所、それを守るために鮎は奔走した。それ以外のことはどうでもよかった。気にする暇もなかった。
 そう、嬉しかったから。夢がかなった、そう思ったから。
 だから、夢中になって歌い続けた。今日まで、ずっと。
 でも、気が付いた。何かが違っていることに。鮎自身か、周囲か、どちらかはわからない。でも、何かが違っていた。いつしか、鮎の心に重荷のようにのしかかっていた、それ。
 ミスをしてやじられた日。歌唱力が低いとけなされた日。先達者に怒られ、素人に笑われ、批評家に酷評されて、それでも耐えようとして、次のステージに向かう鮎。
 歌わなきゃ。歌うんだ。だって、これが私の選んだ道なんだから。
 学校の勉強もしなかった。部活動もやめた。友達にも会わず、受験もせず、恋人だって作らなかった。両親の言うことにも耳を貸さず、徹夜や朝帰りを続けた。そんな、全てを歌のためだけに費やした毎日。それが、みんなこのステージのためにあるんだから。
 だから、私は歌うんだ。歌わなきゃならないんだ。
 でも、嫌な感覚は消えなかった。いや、消えるどころか、確実に増えていった。
 歌っても、また悪く言われる。ステージに向かう時、鮎は必ずそう思うようになった。きっとまた、陰口を叩かれ、笑われるんだ。聞こえてくるのは、うわべだけの拍手。かけられるのは、偽りの励まし。本心じゃない。本当じゃない。誰も、私のことなんて気にしてない。みんな、みんなそうなんだ。
 いつしか、全てが鮎の重荷になっていた。歌わなければならないことが。
 歌うことが。
 私、どうして歌ってきたんだろう。何のために歌ってきたんだろう。
 歌が好きだから。
 だから、歌っていたかった。ただそれだけなのに。
 鮎は声をあげて泣き出した。そんな鮎の肩を、由子がそっと抱いた。
 鮎は由子の胸で泣きじゃくった。嗚咽が、くぐもった響きに変わった。
 とめどなく、涙だけが流れ落ちていった。


 遠くから、楽しそうな笑い声が聞こえる。にぎやかに、騒いでいる人たちの声。
 だが、部屋は静かだった。カラオケのマシンも止まっている。
 そのソファに、二人が並んで腰掛けていた。 
「あのね、私……今日、ステージでヤジられて。それで、歌えなくなっちゃったんだ。大したことないんだよ。そんなの、よくあることなのに……だけど、ステージの上で、どうしようもなく泣けてきちゃって……それで、ライブは中断になっちゃって……」
 優しげに視線を送る由子の隣で、鮎は全てを告白していた。今までの自分……そして、今日あったことを。
「それで、店長やスタッフの人に怒られて。バックバンドとも喧嘩して、来てくれてたレコード会社の人ともぶつかっちゃって。私、みんなに怒鳴り散らして、ひどいことたくさん言って。今までの苦労も、何もかもパーになっちゃって。だから……」
 もう嫌だ。辛いことばかりで、楽しいことなんて何もない。そう思った。
 笑われるのは、もう嫌。こんなに真面目にやってるのに。一生懸命やってるのに。どうしてみんな笑うんだろう。どうしてけなすんだろう。
 だから、歌なんてやめてやる。そう誓った。
 そんな鮎の隣で、笑い声が聞こえた。
 顔を向けると、由子が笑っていた。おかしそうに。
「あははは、なーんだ。もう、だらしないなぁ。そんなことぐらいで、何よ!」
 鮎は目をむき、由子は胸を張った。
「私だって、今日はメチャクチャに怒られたわよ。用事があってハンガーに行ったらさ、工具の入ったボックス、もののみごとにひっくり返しちゃって……それも置き場所が不安定だったせいで、私が悪いんじゃないのよ?でも、誰もわかってくれなくて。怒り狂った班長にスパナ投げつけられてさ。それが普通のスパナじゃなくて、こーんなでっかいのよ?そんなの、当たったら死ぬっての。で、私がよけたらさ、後ろのガラスに直撃して。それが見事にパリーンって割れちゃって……しかもよ、そこへよりによって、内地のお偉いさん連れた上官が通りかかってさ!いったい、どうなったと思う?」
 鼻息も荒い由子に、鮎はたじろいだ。
「それがみんな、私のせいってことになったのよ!?その上官が、新しく会計隊に配置になったババアでさ。イヤミのかたまりみたいなオールドミスで、とりわけ私に目をつけてて……これ幸いにと、ネチネチネチネチ、みんなの前でいじめんの。説教二時間に懲罰にその他諸々。全部、いっしょにいたお偉いさんの御機嫌取りよ?おまけに基地全体に、私が悪いんだって噂が伝わって……もう、最低最悪!」
 本当に腹立たしそうに由子は叫んだ。鮎は思わずなだめるように手を振った。
「そ、そういうとき、その、やめようとか……思わないんですか?」
 鮎のおそるおそるの質問に、由子がふうっと大きく息を吐く。
「やっぱり……その、公務員で、安定してるから?」
 ジョークのつもりだった。だが、言ってしまって鮎は後悔した。
「んー、どうかな。そうだね……とどのつまり、この仕事が好きだからかな。」
「好き……?」
「うん。今日のことはともかくとしてよ。それはともかくとして……この仕事はさ、色々と誤解されたりすることもあるけどね。やっぱり誇りっていうか、充実感があるわけよ。」
「嫌な思いをしても?それでも、やらなきゃならないって思う?」
 思わず鮎は尋ねていた。由子がうなずく。
「うん。それとこれとは、やっぱり別。まがりなりにも、自分で選んだ道だからね。それこそ十年以上かけて、ここまで来たんだから。少しの失敗で捨てられないよ。今は私、やりたいこともあるし。」
「やりたいこと?」
 打ち込めることがある。そういえば、澤登でそう聞いた気がする。
「うん。あのね、カメラ。私、写真を撮っててさ。それで、個展を開きたいの。今、その準備をしてるんだ。」
「カメラ……」
「うん。カメラって面白いんだよ?前はカメラ自体が好きだったけど、今はすっかり写真にはまってる。自分が見た景色や人や……色々なものを、そのままファインダーに収めて、一枚の写真にすること。それがもう、理屈抜きで楽しくて。現像して、いい写真が撮れてた時なんて、もう小躍りして喜んじゃう。コンクールに入選した時なんて、もう大変。営内の友達ぜーんぶ誘って、もう夜通しクラブで飲み会!」
 嬉々として由子は語り、鮎は小さくうなずいた。
「それじゃ、桜町さんはカメラマンに……なるつもりなの?」
「ううん。仕事はあくまで自衛官。」
「両立……?カメラはあくまで趣味とか……そういうこと?」
 由子は少し考えて、そして首を振った。
「うーん、ちょっと違うかな。カメラについては真剣だし、そっちで御飯が食べられたらいいなとは思うよ。でもやっぱり、自衛官は私の目指して来た夢だから。」
 まだ酔いが残っているのだろうか。由子の頬は、ほんのりと染まっていた。
「あの雪の日に、途方にくれてた私たち家族を助けてくれた、あの人の笑顔。あんな優しさと強さを持った、立派な自衛官になりたい……そう思ったちびっ子の私も、やっぱり私自身だからさ。」
「私、自身……?」
「うん。だから、今はまだ自衛官の夢は捨てられない。そりゃ、あの人は結婚して、私の初恋は終わっちゃったけど。でも、私の夢は……あの人のお嫁さんになることじゃないもん。今の私の夢は、あの人に負けない、立派な自衛官になることだから。やっぱり男所帯だから色々と辛いし、今日みたいにムカムカすることもあるけど、ずっと憧れてきた仕事だもんね。やっぱり、大切なんだ。」
 少し恥ずかしそうに由子は言った。素敵だな、と鮎は思った。
 私も、こんな風に素直に……前向きになれたらいいのに。
「それで、カメラの方は……うーん、今の私が好きなこと、かな。カメラマンになれたらいいなとは思うし、いい写真を撮って、自分の感動をみんなに伝えたいって思ってる。個展がちゃんと開けて、写真集とか出来たりして……それで評価してもらえたら、すごく嬉しいよね。アハハ。二つとも目指すなんて、欲張りかもしれないけど。でも、今はそれでいいの。だって……誰でもない、他ならぬ私自身が、そう思ってるんだから。」
 由子の顔は晴れ晴れとしていた。それがあまりにもさわやかで、鮎は面食らった。 
「で、でも……それじゃ、二つとも……夢が、かなわないかもしれないよ。どちらか一つを選んで、ちゃんと……」
 普通の生活か、夢か。
 どちらかを選ぶしかない。そうしなければ、夢には届かない。夢は夢でしかない。だから。
 ずっと、そう思って来た。何もかも捨てて、ただがむしゃらに夢だけ追い続けた。 
「うーん、そうかなあ。だって、私は自衛隊に入って、それからカメラに出会ったんだよ。最初に自衛官っていう夢があって、それを目指して走ってたら、カメラと出会って、何だか面白いなって思った。だから今は、カメラ抱えて自衛官やってる。鮎ちゃんだって、そうじゃないの?」
「えっ……」
「鮎ちゃん、前は澤登でよく歌ってたじゃない。あれ、私も好きだったよ。お客さんとみんなで、何だか盛り上がっちゃった時もあったよね。」
 鮎の目が見開かれた。
 澤登。私の家。お父さんとお母さんと……私のお寿司屋。
 そこで、歌に出会った。
 小さかった鮎が、テレビの歌謡番組の見よう見まねで歌ってみせた日。お客さんが、本当に喜んでくれた。
 鮎ちゃん、じょうずだね。きっと、将来歌手になれるよ。
 嬉しかった。本当に嬉しかった。その夜はなかなか眠れなかった。テレビに出て、歌う自分。可愛い衣装を着て、たくさんのファンの前で歌を唄う自分。それを無邪気に想像して、寝付けなかったあの日。
 また、鮎の瞳から涙がこぼれた。でも、違う涙だった。
 嬉しい。私、それが、そのことが、嬉しいんだ。
 私の家で、私のお店で……私は、歌に出会ったんだ。
 そしてそれが、私の夢になった。
 鮎は目を開けた。
「ありがとう、桜町さん。」
 由子がパチパチと目をまたたかせる。鮎は笑った。
「わかったんだ。私、桜町さんと同じだって……私も、どっちも捨てられないんだって。」
 ずっと、ずっとそうだったんだ。
「私、子供の頃から、澤登の、お寿司屋さんの跡取り娘ってみんなに言われて……それが、嫌でたまらなかった。でも、私は一人っ子だし、逃げようもなくて。だから歌に出会ったとき、これしかない、この道を歩くしかないって思ったの。だから、やせるために努力したし、友達付き合いもこなせるようにしたよ。歌手になるんだ、って……お父さんやお母さんと喧嘩しても、どう思われてもいいって。ずっと、歌のことだけ考えて、他のことはみんな考えないようにしてたけど。でも……でもね、それって違うんだ。」
 黙っている由子に、鮎は大きくうなずいた。
「私やっはり、家のことも大事。お店のこと、どこかでずっと気にしてたんだ。桜町さんの話を聞いたとき、はっきりわかった。私、お寿司屋さんが好きだよ。お料理もうまくなりたいし、作法も覚えて、お寿司だって握れるようになりたい。お父さんやお母さんの喜ぶ顔、見たいと思う。今だからそう思ったんじゃないよ。ずっと、ずっとそう思っていたんだ。小さい頃から、ずっと。だって、あそこが……澤登のお店が、私の生まれた場所だもん。」
 ぐいっと涙をふいて、鮎は晴れやかな表情で笑った。
「でも、歌も大事。歌うこと、大好きだもん。やっと、そこそこ認められるようになったし、インディーだけど、CDだって出せて……作曲だって、うまくないけど好きだよ。作詞だって、勉強してるし。ギターひくことも、大好きだもん。だから私、歌は絶対にやめない。ずっと、ずっと……歌い続けたいって、そう思ってる。」
 由子の視線と、鮎の視線。二人は、それを重ねて笑いあった。
「バランス取るの、難しいかもしれないけど。でも、決めたよ。できるかぎり、やってみる。だって、二つとも私の夢だもんね。」
「あはは!そうそう、ガンバガンバ。お寿司屋の若女将は、実は売れっ子アイドル!なんて。ドラマみたいだよね。カッコイイ!」
 はやされて、鮎は照れ顔で笑った。由子も笑い、二人はさらにおかしそうに笑い続けた。
 そして、ちょうど時間が来た。
 会計を済ませ、二人は店を出た。息が白くなる。ネオンに照らされた彼方で、かすかに星がまたたいていた。
 店まで送ろうかという由子に、鮎は首を振った。一人でのんびり帰りたい、そんな気分だった。
「それじゃ、桜町さん。今日はどうもありがとう。」
「なになに。私だって、グチ聞いてもらっちゃったし。カラオケもいっぱいできたし。何より乙女の役にたって嬉しいよ、お姉さんは。」
「あはは。また、お店に来てね!私、ライブとかあるけど……これからは、家でバイトするからさ。だから、いつでも遊びに来て。」
「うんうん、サービスしてもらいに行っちゃう。鮎ちゃんのライブにも、絶対招待してよね。私、鮎ちゃんの歌、大好きだからさ。」
 片目を閉じてみせる由子に、鮎は赤くなった。
「で、でも私の歌、そんなに上手じゃないよ。うまい人、周りにたくさんいるし。だから……」
「うまいとかヘタとかじゃないよ。理屈抜きでさ……ほら、一生懸命な人って、何だか応援したくなるじゃない?あ、そうだ!よかったら今度、ステージ写真とかさ、私に撮らせてくれるかな?奇麗に写すからさ。こう、ぐーっと斜めに、セクシーなアングルで。そこの旦那、売り出し中の若手ミュージシャンですぜ。これなんか一枚どうです?ってね!」
 再び、鮎は赤くなった。由子が吹き出し、つられて鮎も笑う。
「じゃあ、まったねー!」
「うん……さよなら!」
 去っていく姿。それを見送って、鮎は手を振った。
 見上げると、北の夜空があった。見慣れた、だけど何だか新鮮な光景だった。吐く息が白く、そんな空に霧散していく。
「……よし!」
 一声と共に、鮎は走り出した。
 夢に向かって。
 
 


[179]魔法にかけるあとがき++: 武蔵小金井 2002年11月13日 (水) 01時52分 Mail

 
 こんにちは。

 ここしばらく、色々とレイアウトとかを考えてみましたが、試行錯誤の果てに私には不向きなコトだということが理解できました(泣)。
 というわけで(笑)、やっぱり何か書くのが一番と……思わずカキカキっと。脳内開催の「北へ。」フェアに参加ということで。

 とりあえず私的ダイスキーな鮎ちゃんです。先の琴梨ちゃんの一遍で、鮎ちゃんも書くぞと予告めいたことを言っていたので……というわけではありませんが。
 あ、いつもの如く独自の解釈ばかりです。さらにちょっと題名とかアレしてますが、別にそんなに深い意味はないです(笑)。自分なりにちょっとだけ、今回の(ここの新装の)件を記念的にというイメージがありますが。

 由子さんと鮎ちゃんについては、以前古いドリームキャストマガジン(北へ。表紙の(笑))で”桜町由子→「澤登の常連」→川原鮎”という記載を見つけてから、ずっと書いてみたかった関係です。って、これも楽屋オチっぽいですね(笑)。

 本当に、読んでくださった方にはお礼申し上げます。

 えっとあと少し。
 脳内絶賛開催中であった「北へ。」フェアは、これで一応のラストとしてみます。
 今回は、えーっと、無理矢理っぽく七篇。以前の「白い少女」フェアよりは多くなって嬉しいです(笑)。DCが壊れなければ、もっと色々とネタが……あったというより、やってみたかったですね。
 とりあえず驚天動地の「北へ。〜Diamond Dust〜」の発表と重なり(?)、実に覚えめでたいフェアになりました(偽情報誤爆もありましたし(大泣))。どうも皆さん、つたないフェアにお付き合いくださりありがとうございます〜♪

 あ、もちろんこれからも「北へ。」は大好きですし、執筆すると思いますが(笑)。

 さて、と(ぁ)。

 PS.細かい部分を少し。やっぱり勢いはコワイです……でもまあ、それもいいかと思ったり(笑)。それでは。

 PS2.さらに細かい部分をちょっと。あと、投稿直前で削ったエピローグは入れていた方がよかったかもしれないとか反省したり。あ、澤登に戻った鮎ちゃんにお母さんが鳴りっ放しの携帯を見せ、そして……とか、そういうオチです(笑)。
 


[180]夢負い、夢追い。: カントク 2002年11月17日 (日) 13時45分 Home

夢に向かって駆け出す君がスキ。
鮎ちゃんも、もちろん由子さんも。

…そんな訳でDreamOn新装記念っ


[181]ダイナマイトが五万トンあっても: 武蔵小金井 2002年11月19日 (火) 14時56分 Mail

 私の受けた感激には届かなさそうですが……ぐいっ(目頭押さえて


 御感想&御祝辞、ありがとうございます〜♪
 
 実はここのレイアウトなどを色々と考えあぐねて、「もうやめたっ!」と叫んでプロセッサに向かい、だっだっだーとカキ始めた作品でして、イントロの一部はまさにそんな感じですね(笑)。
 さらに少し前、まともなお寿司屋さんに行く機会がありまして、そこでも色々と思っていたことがあったり(笑)。 <って、真面目な席で北へ。のこととか考えないようにキミィ
 結果、今まで色々と考えていたお二人のことを交えて一本にしてみた、という感じですね。あ、危うく冒頭から由子さん側の話も入れかけていたのはヒミツにしておいて下さい(笑)。いや、それでもいいかと思ったのですが、長さ(は別としても)&少し前の某作品が同じ構成だったのでやめておきました。というより、むしろオトナなのにコドモっぽくなる鮎ちゃんに振り回されてしまったといいますか……(笑
 新装記念含めたこの作品のタイトルについては……うーん、含む要素がなかったようで、今になるとちょっぴりあったような気もしたり(笑)。個人的に大スキーな北ヒロインの鮎ちゃん&由子さん(ああっ共にカントクさんの次々点ぐらいってコトで許して下さいっ(赤面))にカラオケパーティをさせられて、北へ。フェアを脳内開催した身としてそれなりに満足しています(笑)。

 でも本当に、素晴らしい(脳内)北フェア終了記念になりました。ありがとうございます。

 ……ですがどうも、北へ。についてはまだまだ魅力を感じている自分がいますね、やっぱり(笑)。カントクさんの愛のあふれる北イラストの数々に負けないように、自分ももっと色々と表現してみよう……とか偉そうに言ってみましたがどうなることやら(汗

 それでは〜♪

 PS.いつもながらカントクさんのさりげない「一句」(タイトルetc)には唸らされます(惚)。思わずこうして字を並べてみましたが……負けっぽいですね、自分(汗
 



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