颯爽とバイクから降りた彼女が、グッと親指を見せる。
「到着!よし、元気よくいこうっ!」
軽く伸びをして、公園の空気を吸い込む由子さん。僕といえば、ずれかけていたヘルメットをやっとのことで外し終わって……案の定、それを見ていた由子さんに笑われてしまった。
「あらら、もうへばったの?若いのに、だらしないぞ!」
「そ、そんなこと言ったって……由子さん、目茶苦茶に飛ばすからさ。ついていくのがやっとで……」
「えーっ?そうかなぁ、こんなの普通だよ?むしろ、キミのためにペース落としてたぐらいだけど。」
ヘルメットを置いて、僕はため息をついた。やっぱり、広大な北海道を走り慣れてる由子さんと、交差点と渋滞ばかりのアスファルト・ジャングルを走っている僕とでは、大きなギャップがある。
そんなことを考えている間に、由子さんは鼻歌混じりで着ていたジャケットを正し、目的の場所に歩き出していた。
僕もキーを外し、あわててその後に続く。
航空記念博物館。
僕の家からそれほど遠くない場所にある、大きな公園と一体になった場所だった。
それほど遠くないと言っても、二つ三つ街を越えた先だ。バイクで、片道一時間はかかる。
次のデートで、ここに行きたいと言い出したのは由子さんだった。一応地元……というには東京は広すぎると思うけど……である僕がよく知らない場所だったけど、由子さんがどうしてもと希望したのだ。
もちろん同意した。反対する理由もなかったし、それよりも久しぶりに由子さんがこっちに来れることが嬉しかった。由子さん用のバイクも無事に友達から借りられて、晴れてその日を迎えられた……と、いうわけだった。
博物館の入り口周辺に、人は少なかった。休日なのに、めずらしい……と思えるほど、僕はこの場所に詳しくないけど。もしかしたら、意外にマイナーなのかもしれない。
「ここ、日本で最初に飛行機が飛んだ場所なんだよ。だから、前から一度来てみたかったんだ。じゃ、入ろう?」
ガラス張りの壁面。その向こうに見える、実物大のたくさんの飛行機。それらを含む、目の前の大きな建物を見上げて……由子さんは目を輝かせていた。
自動ドアをくぐって、僕らが中に入る。とても高い天井が印象的だった。
「ね、今日はおごっちゃうからさ。」
「い、いいよ。大丈夫だから。」
「遠慮しないの、学生さん。ここはドーンと、働くお姉さんに任せなさい。」
僕を制して……というより意向を完全に無視して、由子さんがチケット売り場を占領した。
とても口には出せないけれど、由子さんのこういう所は、時々胸にグサッと来る。今さら歳下がどうだとか言うつもりはないけれど、やっぱり男としてどこか情けない気がするのは間違いない。
そんなことを考えている僕に、由子さんが振り向いて笑った。
「ねぇねぇ!ここさ、映画も上映してるんだって。入場券とセットだと安いだから、いっしょに買っちゃお?」
「う、うん。」
それじゃ映画代は僕が……と言う暇もなく、由子さんは嬉々として二人分のチケットを購入してしまった。頭を下げる受け付けの女の人にどうもと笑って、展示場に入っていく。
「ほらっ、キミ!早く早く!」
うなずいて続こうとして……受け付けの女の人が、僕たちを面白そうに見ていることに気が付いた。
実際、僕と由子さんはどう思われているんだろう。そう考えるとさらに恥ずかしくなって、僕は小走りで由子さんの後に続いた。
博物館はそこまで大きな施設じゃなかったけど、ちゃちな作りでもなかった。
でも正直なところ、近頃はこういう場所を訪れた記憶がない。もちろん、子供の頃に何度か来たことはある。館内で走り回っている子供たちのように、学校の行事とかでだ。だけど由子さんとつきあうようになってからは、ほとんどがアウトドア主体のにぎやかな場所ばかりだったから、僕にとっては妙に新鮮だった。
ワイヤーやパイプで固定され、そこかしこに浮いている色々な飛行機。学校の体育館よりも遥かに広いスペースに、実物大の……というより、本物であるそれらが、所狭しと並んでいる。
「へぇ……」
正直、その光景は十分な迫力があった。
由子さんは……あれ、どこに行ったのかな。まさか心配する必要もないだろうと、僕は目の前のヘリコプターを眺めた。輸送用のヘリコプターらしく、胴体に大きく開いた部分がある。そこに向かってスロープが続いていた。
中も見れるのかな。近くに他の客もいなかったから、僕は物見遊山の気分でスロープを昇って、機内を覗いた。どうやら本当に入れるらしい。暗い内部の向こう側にも、昇降用のスロープがあった。
考えてみれば、ヘリコプターの中に入るなんて生まれて初めてだった。戦争物の映画によく出てくるような内装で、左右に長い腰掛けがあり、おまけに暗くて天井が低い。前方には操縦席があって……
「ばあっ!」
「うわあっ!」
心臓が止まるかと思った。操縦席近くの暗がりが動いたかと思うと……いきなり、誰かが僕の目の前に飛び出して来たのだ。
「あはははっ、ビックリした?」
もちろん由子さんだった。そんなことをするのは彼女以外にいるわけがないとわかっていながら、それでも僕は飛び上がるぐらいに驚いていた。危うく、天井に頭をぶつけそうになったぐらいだ。
「お、お……脅かさないでよ!」
「あははっ!だってキミ、操縦席から手を振ったのに、ゼンゼン気付かないんだもん。」
「そ、そうなんだ。わからなかったよ……」
天井にすりそうな姿勢で頭をかくと、由子さんがきびすを返して、ササッと操縦席に上がった。
「ね、面白いよ?キミもおいでよ!ほら、はいはい!」
「ち、ちょっと待ってよ。」
ヘリコプターの操縦席はここよりも一段上にあって、昇るのは大変だった。後ろもそうだけど、ここはさらに狭い。レバーやスイッチやらに体のそこかしこが当たって、体をおさめると身動き一つできなくなる。
「座った?」
「う、うん。」
「よろしい!それじゃ桜町操縦によるH-19輸送ヘリ、緊急発進します!Take off!Instruction over!」
由子さんがスイッチを二つ三つ入れ、レバーを操作する。ヘリコプターが動くはずもなかったけど……あまりに本物っぽいその動作に、僕は思わず身構えてしまった。
もちろん、その後は思いっきり愉快な彼女の笑い声だけが響いた。
「あ、見て見て!このエンジン、でっかいね!」
「そ……そうだね。」
ヘリコプターや飛行機をさんざん見回った……というより試乗し続けた僕たちは、次に部品などの置いてある展示場に回ってきていた。全体的に見て、一番人気がなさそうなスポットだったけど、由子さんのテンションはまったく落ちなかった。
「ねぇねぇ。こんな大きなエンジンでさ、バイクを動かしたらどうなるかな?」
「こ、これって……ジェットエンジンだよ?そんなことしたら……」
「あ、ここに書いてある!最高時速は960kmだって!バイクでそんなに出たら、スゴイね?」
「凄いけど……きっと、車体が持たないんじゃないかな。」
いや、それよりも乗ってる人間が耐えられないか。
「時速900キロオーバーのバイクなんて、仮面ラxダーみたいだよね?あ、でもさ、それなら北海道から東京まであっという間についちゃうよ?そしたらさ、キミと毎週逢えるのにね?」
あはははっと笑う。本当に、楽しそうな由子さんだった。
そして、さりげないそんな一言が……僕の中の何かを、軽くつついた。
「あ、大きなプロペラ!ね、回るよ?ほれほれ!」
柵の中に展示された、大きなプロペラ。それを回すボタンを押して、由子さんが手を叩いてはしゃぐ。
そう、いつも由子さんは笑っていた。
でも、滅多に見られない笑顔だった。
遠距離恋愛。
北海道と、東京。
あの夏……そして年越しを経て、僕たちがつきあうようになってから、もう二年がたつ。
去年の春、僕は何とか大学に合格し、同時に家を出て一人暮らしを始めていた。大学近くの小さなアパートで、家賃もそこそこ。バイトもいくつかかけもちしているから、仕送りと合わせれば生活には不自由していない。
でも、やっぱり北海道は遠かった。大学だから、高校生の頃と違って日取りは自由になったけれど、それよりもやっぱり絶対的に資金が足りなかった。どんなに頑張っても、一ヶ月に一度……もしくは二度が精一杯だった。もちろん、宿泊施設の問題もある。陽子おばさんはいつも快く了承してくれるけど、春野の家にそんなにたびたび迷惑はかけられないし。
そしてもちろん、由子さんは自衛隊勤務という立場上、気軽に北海道から離れられなかった。もちろんああいう組織だから、有給休暇などはしっかりしている。でも、それでもやっぱり由子さんが今日のように北海道からやって来るのは年に数回程度で、それが限界だった。
結局、僕らはこうして月に一度程度のデートに甘んじるしかなかった。
電話や手紙はよくやり取りしているけど、やっぱり直接逢えるのとは違う。
月に一度の、由子さんの笑顔。
「……こらこら!どうしたの?」
ふと我に返ると、そこに由子さんの怪訝そうな顔があった。
周りでは、ビデオ展示をしていた。宇宙開発や飛行機の仕組み……そういったことについて、色々な映像が流れている。
「あ、ううん。何でもないよ……ごめん。」
笑ってごまかすと、由子さんはそれ以上問い正す様子もなく、僕にクルリと背を向けた。
そして、キョロキョロとしながら先に歩く。
「ね、二階にはシミュレーターとかもあるって!行ってみよ!」
エレベータに向かう由子さん。その後に続きながら、僕はまだ考えていた。
続いている関係。逢えない状態。
僕たちの間は、このままでいいのだろうか。
でも、どうすればいいんだろう。
婦人自衛官の由子さんと、大学生の僕。
北海道と、東京。
考えると、とても遠い距離だった。