[617] 空に浮かんだプールの底で -5- |
- 苺野 七月 - 2004年07月12日 (月) 11時17分
時計が午後三時をまわるとフリーマーケット会場も閑散とし始めてきた。 お客さんたちも、買い物に満足したのか大分少なくなって、お店の方も片づけをして帰っている所もちらほら出始めている。 僕達の店も、午後からはお腹一杯の侑の絶妙な接客で残っていた品物もかなり売れたのだった。 「結構売れたね」 「へへん、俺様のお陰だね」 「また侑は調子に乗るー」 やはり商品が売れると嬉しいものだ。僕達はニコニコしながら片づけを始めた。 「じゃあ、これ、賢さんと舞さんの分」 僕は賢さんが作ってくれたメモ用紙の売り上げを賢さんに手渡した。 「なんだいいのに」 「ダメですよ、これのお陰で僕達の持ってきた物も一緒に買って貰ったみたいなものなんですから」 本当にその通りだった。舞さんのカワイイイラストのお陰で女の子達が集まってきて、その子達の親が僕達の商品をそのメモと一緒に買ってくれるってパターンが殆どだったのだから。 「本当にいいのよ」 「いいんです。僕達の方も結構売れたし、それに接客もやってもらっちゃったから」 「透、舞がいいって言ってんだから貰っておこうぜ。俺達も小遣い多い方がいいじゃん?」 「ダメ」 「何だよお前、真面目すぎるぞ。……さてはやっぱりお前、舞に!」 侑の目が光る。 「侑もいい加減にして片づけ始めろよ」 僕にじゃれつこうとしている侑に賢さんの「待て」が入る。 「お前等じゃれてばっかで全然片づかないだろ?」 本当にそうだ。僕達はさっきから今日の売り上げを数えてそれをニヤニヤ眺めてばっかりだった。
「でも、これ持って帰るの怠いなあ」 「ホントだな」 僕達は何故かやたら重そうなものばかり残った商品を見つめてぼやいた。 「一体何が残ったの?」 「えっと……素麺セットと折り畳み傘……」 「あ、その素麺セットいいな。私買おうかしら」 「ダメ!」 突然、侑が立ち上がって叫んだ。 「ビックリした。何大声出してんの?」 「これは舞には絶対に売っちゃダメだからな!」 「じゃあ、お金はいらないから持ってって……」 「ちがーう!そう言う問題じゃないの!」 「だったら何なんだよ!」 僕達が言い合う傍らで賢さんがクスクス笑っている。 「違うんだよ、透君。実はね……」 「そう、違うの!こんなの舞に与えたら本当に夏休み中の昼飯が素麺だらけになっちゃうだろ?」 「なあに、侑。素麺の何処がいけないのよ!作ってあげるだけありがたいと思いなさいよ!それにこの硝子の素麺の鉢、涼しげで食欲をそそるじゃない?」 舞さんは大きめの硝子の鉢を手にとってうっとりと眺めている。 「やめてくれよ……。マジで今年も昼飯素麺なの?もっと栄養のある物食べさせてくれよー。素麺ばっか食べさせられてるから俺ってばひょろひょろなんじゃないの?」 賢さんと舞さんが爆笑する。 本当にこの三人は仲が良いんだ。賢さんと舞さんって本当に侑のこと大事にしてて、まるで「育ての親」って感じだ。 明るい育ての親に真っ直ぐ育てられた侑。これからは僕がこの真っ直ぐな侑の手を引っ張ってあげなきゃいけないんだ。本当に僕がしっかりしないと。 「何ぼーっとしてるんだよ、早く帰ろうよ」 侑が僕の前に立って、その真っ直ぐな手を僕に差し伸べている。 僕は侑の手に掴まってゆっくりと立ち上がった。「まだまだ僕が侑に引っ張られる立場なんだな」って思った。でも、何時かはこの僕が侑の手を引っ張ってあげたいんだ。このまま真っ直ぐ何処までも。
一学期の期末試験も無事に終わり、待ちに待った修学旅行へと僕達は旅立つ日がやって来た。 侑も僕も完璧に舞い上がっていた。賢さんに、お前等はまるで新婚旅行にでも行くみたいだなって言われたけど、本当にそんな感じなのかもしれない。 僕は修学旅行の一週間前(つまり期末テスト中)からずっと侑と過ごす日々のことしか頭になくて体中熱くなってしまって……本当にどうしていいのか解らない程だった。 塾の帰りに侑の家へ寄ってしている「お休みのキス」も日に日に長く濃厚なものになっていたし。それに、その時僕を見つめる侑の目も妙に悩ましくて、もしかして侑も僕と同じ気持ちなのかなってずっと思っていた。 でも、今日から四泊五日、僕達は昼も夜も一緒に過ごせる。そしてこれが侑と二人っきりの旅行だったらどんなにいいだろうって思ったけど、それは大人になってからのお楽しみにしようと思う。
「おはよー!透!」 集合場所である新幹線の駅の改札前で侑が僕に向かって手を振っている。 「侑!」 僕は侑に向かって駆けだした。僕は侑に思わず口付けたくなったがここはぐっと我慢。でも、侑の方はちょっとして欲しそう。全く人目をはばからないっていうか、恥ずかしくないのかっていうか……。 「俺、色々持ってきたぜ」 侑が僕に耳打ちする。 「な、何?色々って」 僕は焦った。まずい、顔が赤くなってしまった。 「あ、もしかして今やらしーこと考えちゃったの?」 「ゆ、侑!」 「やだなー透は。俺、色々なお菓子持ってきたって言おうと思ったのに」 「……」 「なんてね。もちろんアレも持ってきてるよ、アレも」 「……なんだよ、アレって」 僕はもう騙されないぞとちょっとムッとする。 「ローションと**」 「ば……馬鹿っ……、皆に聞こえるだろ……、侑」 「別にいいじゃん、聞こえたって。持ってきてるヤツ結構いると思うよ、俺は」 「そ、そうなの?」 「だろ?だってフツーに付き合ってる男女だっているわけだし」 「そ、そうなんだ……」 「そういうこと。だから俺達も……な!」 やっぱり、クラスの皆って僕達の関係っていうか……知ってるのかな?そう言えば、新幹線の席も隣同士だし、ホテルの部屋も一緒だし……。それが嫌って言う訳じゃないけど、これってもしかして皆で気を遣ってくれてこうなってるの?って思ったらちょっと恥ずかしくなってきた。 でも、この機会に僕達の仲が皆に公認されればそれはそれで嬉しいんだけど。 周りから見ても不自然じゃない僕達の関係。ちょっと照れくさくて、でも侑を独り占め出来るみたいで、僕は何だか嬉しかった。
新幹線に乗り込むと僕達は二人掛けの席に並んで座った。 僕はこれから東京までの二時間ちょっと侑と何を話そうかワクワクしていた。だけど、侑はいきなり僕の肩に凭れて眠り始めてしまった。 「侑?もう眠いの?」 「……うん」 侑が目を瞑ったまま小声で答えた。 「俺さ、ずっと本当に修学旅行に行けるのか不安で、行けなかったらどうしようとか中止になったらどうしようとか考えててさ……。それで夜あんまり眠れてなくて。でも、今朝、透の顔みたら急に安心しちゃって……。そしたら急に今まで眠れなかった分の睡魔が襲って来たみたいで」 「……うん。僕もずっとそうだった。本当に侑と修学旅行に行けるのかなって毎日考えてた」 僕は僕の肩に凭れる侑の頭を撫でて、その頭に口付けた。そして僕達は東京へ着くまでの二時間程を、周りの生徒が大騒ぎする中静かに眠りにつくのだった。
「うおー、スゲー東京!何だこのやたらデカい建物は?車もやたら多いし、人は何処歩くんだ一体?それに空黒っぽいし、変な臭いするし何だか良くわかんねー!」 東京駅のコンコースから外に出た侑の第一声がこれだった。 道行く人々がクスクスと笑いながら僕達の前を通り過ぎて行く。 でもコレが人口十万程の街から上京した僕達の東京という所の感想だったみたいで、侑以外の生徒達も黙ってきょろきょろするばかりだった。 そういえば、僕も何年か前に両親と東京に来た時にそんなことを言ったような気がする。でも、好奇心一杯の侑程じゃなかったと思うけど。
それから僕達は観光バスに乗り込み東京観光へと出掛けた。 新幹線の中でずっと熟睡していた侑は、今度はうって変わってバスの窓硝子にへばり付いていた。両手と額を硝子にピッタリくっつけて窓の外の世界を不思議そうに眺める侑は、まるで幼稚園児みたいでカワイかった。 「俺さ、実はあの街から外に出たことなくってさ……。東京もテレビでは見てたけど、実際に自分の目で見ると凄い迫力っていうか……俺の知らない世界って凄いんだなって思うよ……」 そっか、侑のお母さんずっと休み無く働いてるんだっけ……。 「僕達が大人になったら、きっと、きっと色んな所旅行しよう」 僕は侑の耳元でそう言ってそのまま侑の耳元に頬ずりした。 「僕が必ず連れて行くから」 「透……」 顔を少しだけ振り向かせた侑の目に涙が光っている。僕はその涙が誰にも知られないようにそっと指先で拭った。侑の涙はとても暖かくてとても澄んでいた。 「だから、侑はずっと笑っていて」 「うん」 侑の体が僕の胸に凭れかかってきた。侑も少しは僕のこと「頼れるヤツ」って認めてくれたような気がして嬉しかった。
夕方ホテルへ到着した僕達は皆疲れ切っていて、各自の部屋へと足早に吸い込まれていった。 侑と僕の部屋は二人部屋。 本当に良いんだろうかってちょっとだけ思ったけど、嬉しくて仕方がないって言うのが僕の本音だった。 「うおー、疲れたー!」 「本当に疲れたね。夕飯まで自由時間だって」 「へへー、30分あるな」 侑の目がもうその状態になっている。 「え、ちょっと侑……」 有無を言わさず僕をベッドへ押し倒す。そして互いに見つめ合いお互いの気持ちを確認すると、もうこの先は止まらなかった……筈なんだけど、ここで無神経な「ドアをノックする音」が部屋に響く。 トントン 「せ、先生かな?」 「違うだろ?ちょっと見てくる」 侑が僕の体の上から降りて怠そうにドアの方へ歩いていった。 「はーい、誰?」 何時も通りの元気一杯の声で侑が答える。 「あ、俺安井だけど……。侑、ちょっといいかな?」 侑がドアを開けると同じクラスの安井君が何故かモジモジしながら立っていた。 「おー、安井どうした?」 「ちょ、ちょっと大きな声じゃ言えないから……」 そう言って安井君が部屋の中へ入ってきた。そして、ベッドの上で制服を乱しながら横たわってる僕を見てぎょっとした。 「あ、ご、ゴメン!」 安井君が真っ赤になって謝りだした。 「べ、別に……い、良いんだよ……」 僕もはっとしてベッドから降りて服の乱れを慌てて直した。 「ゆ、侑、じ、実は……」 安井君が真っ赤になったまま俯いて何か言いたそうにしている。 「安井、これだろ?」 侑が自分のバッグの中からごそごそと何かを取りだした。 「ゆ、侑!」 「いいって事よ。良かったじゃん、安井!」 安井君の肩をぽんと叩いて、侑は何かを手渡した。 「サンキュー、侑!本当に感謝してる!邪魔して悪かったな!」 「お前も頑張れよ!」 「ああ!」 さっきまで真っ赤な顔をしていた安井君が、一瞬で平常に戻ってウキウキと部屋から出ていった。 「……何だったの?」 「へへっ、だから言ったろ、色々持ってきてるって。これ、あげたんだよ」 そう言って侑は**の箱を僕に見せた。 「や、安井君、これ……」 「何真っ赤になってんだよ、これつけなきゃマズいだろ?」 「そ、そうだけど……」 今朝、こういうの必要な人結構いるみたいに言ってたのがまんざらでもないんだと僕は驚いた。皆、この旅行中にやるんだと思ったら、僕の体も熱くなってきた。 「安井さ、この修学旅行で告白するって言ってたんだよ」 「そうなんだ」 「やっぱ、賢の言うとおりに沢山持ってきて良かったよ」 バッグから取り出した**の箱をベッドの上に並べて侑がニコニコしている。 「うわっ、これ一体いくつ持ってきたんだよ?」 「んーと、三箱かな。賢がさ、多めに持ってけって……」 「多すぎるよー。大体こんなに二人で使う?」 「別に二人でって訳じゃなくてさ、今みたいに必要に迫られるヤツもいるわけだろ?」 「……まあ、そうだけど」 「俺達はさ、賢にこうやって買ってきてもらえるけど、俺達まだ中学生だぜ?薬屋で**下さい、なんてできっこないだろ?」 「うん」 「でもなあ、俺としてはこれ使い切る程やりたいってのがやっぱ本音かなー」 「侑!」 「取りあえず、夕飯前に一コ使うってので……」 「うん……」 こうして僕達は食前の軽い運動を一回だけやったのだった。 そして、この大量の**は、次から次へとやって来る訪問者達によって半数以上持ち去られ、侑は自分の使う分が無くなるとちょっとイライラしてた。でも、四泊だから本当はコレ位で丁度良かったのかも。と、僕は思うことにした。これ以上は体が保ちそうもないし……。
僕の修学旅行の思い出は、「お尻が痛い」がまず一番だった。 もう、初夜から侑が張り切りすぎて僕のデリケートなお尻はオーバーヒートしてしまった。 だから、昼間、社会科見学とか行っても何処が何だったのかサッパリ覚えていない状態だ。昼間バスの中で眠りまくっていた僕達は、夜になると元気一杯になって、本当に見回りの先生に見られたらどうするの?って位延々とインサートしている状態だった。 狭く閉ざされた世界で二人っきりで過ごす夜は甘く切なく過ぎていった。 侑の体も僕の体もいつもより感じやすくなっていて、体の何処に触れても感じてしまっていた。なので、二人の行為もいつもよりリアルで激しくより刺激的だった。 「透、ここ舐められるの好きだろ?」 「うん……」 侑が僕の**のくびれに舌の先を這わせる。僕は侑の上手い舌遣いにメロメロになっていく。何度侑の口の中に放出しただろう?でも、何度出しても僕は復帰して侑に銜えられる。 その一方、侑も僕の中に何度も何度も入ってきて、僕の体内を白い液で一杯にした。 そう、僕達はここぞとばかりにお互いの体の角から角まで、ヒダの一筋までも見逃さないように触れて舐めて感じ合い一つになりお互いの愛を確かめていた。 この二人だけの時間が永遠に続いて欲しいと侑も僕も願って、お互いにしがみついて時の流れに逆らおうともがいていた。 修学旅行から戻った僕達に待ち受けていたのは「高校受験」という試練だった。 僕の志望校は母さんオススメの、隣の大きな街にある理系進学に強いと言われている男子校だった。僕は高校も侑と同じ所に行きたかったけど、僕達の夢を現実のものにするにはこればっかりは潔く諦めるしかなかった。 侑も、初めは僕と離れるのは嫌だって言っていたけど、結局働きながら通える定時制を希望することにしたのだった。
そして冬になると受験勉強も追い込みになり、僕の塾へ通う時間も長くなって、侑と触れ合う時間もごく僅かになってしまっていた。 だから、学校の昼休みは本当に侑とべったり過ごすことに僕は決めていた。それでなくても会話も少なくなってしまって、侑が僕を見つめる目が何時も何かを言いたそうにしているのが気になって仕方なかったから。 今日もこうしていつものプールの底で二人っきりなのに、侑はつまらなそうに向こうを向いたまま転がっていた。 「侑、あと少しだから。僕、きっと頑張るから、だから待ってて」 僕も侑の隣に転がって、侑を背中から抱きしめた。侑は何も言わないでその冷たい手で僕の熱い手を握りかえしていた。 「俺、ずっと待ってるから」 僕の手を握る侑の手に掛かる力がそう言っているみたいだった。 僕達は真冬の澄んだ青い空の中で、まるで卵の中のヒナのようにじっとして、二人だけの世界が開けるその時を静かに待っていた。 だけど、僕の腕の中の侑は何処か上の空で、何故か抱きしめた体が軽いような気がしてならなかった。 僕はこの時、侑が悩み苦しんでいるなんて少しも気付かなかった。いや、自分のことが精一杯で気付こうともしていなかったのかもしれない。
翌年の二月、僕は念願の志望校に無事に合格することができた。 三年生は既に自由登校になっていたので、僕は志望校から母さんに電話で報告し、学校へ合格の報告をしに行った。
「こんにちは」 僕が職員室へ入っていくと、そこには僕が一番に会いたかった顔があった。 「……じゃあ、山根解ったから」 担任の先生と侑が何か深刻な話していたみたいだった。だけど、僕は自分の合格と久しぶりに侑の顔をみれた喜びで満面の笑みになってしまっていた。 「侑!」 「おいおい、柴原は先生に用があったんじゃないのか?」 「あ、すみません」 僕は照れ隠しにちょっと頭を掻いてみた。 「どうだ?それで合格したのか?」 「はい!合格しました!」 「そうか、良かったな。お前なら大丈夫だと思ってたぞ、柴原。だけど、あそこは入ってから厳しいぞ。頑張るんだぞ!」 先生が僕の肩を嬉しそうに叩いた。 「透、おめでとう」 そう言って微笑む侑の顔に何故かいつもの元気が無かった。 「ありがとう、侑」 僕は侑の冷たい手を握って、侑の目を見つめた。だけどやっぱり侑は元気が無い。侑の受験校はこれから試験だったはず。勉強の方上手くいってないのかな?ちょっと心配になってきた。
僕達はいつものように二人だけのプールの底で転がっていた。侑はやっぱり何も喋らないでずっと僕の手を握っていた。 「侑、試験勉強どう?」 「……うん、賢に見て貰ってなんとかやってる」 「そっか。安心した」 僕はホッとして侑の頬をそっと撫でた。 今日もプールの中の世界は青くて平和だった。 「俺、東京に行こうと思ってるんだ」 一瞬、見慣れたプールの青い世界が電波障害にでもあったかのようにブレて見えた気がした。 「えっ、侑、今何て……」 「透、怒らないで聞いて」 僕に振り返る侑の目に大粒の涙が溢れている。何で侑が泣かなきゃいけないんだ?僕が何かしたの?解らない……。 「母さんが再婚することになったんだ。母さんずっと好きな人がいて……。家の借金があるうちは再婚できないって言ってたんだけど、その借金もやっと返し終わって……」 「じゃあ、新しい家族で東京に行くの?」 「……違うんだ」 侑が首を横に振る。 「新しい父さんが嫌いなんじゃないけど、俺、二人の邪魔したくなくて……。それで賢が東京の大学に合格したから、賢にイソウロウさせて貰おうと思って……。俺、今度こそ母さんに幸せになって欲しいんだ」 侑が僕にしがみついてわんわん泣き出した。僕はそんな侑をぎゅっと抱きしめてやることしか出来ないでいた。 「母さん、一八で俺のこと産んで、俺の親父に苦労させられて……。街には自分と同じような女達が沢山遊んでいるっていうのに、そいつらからいつも目を逸らすようにして……俺の手をぎゅっと握って、自分も遊びたいのに我慢して歩いてたんだ……。辛かったんだよ、母さん。だから、俺……」 「解った、侑。だからもう泣かないで」 「透、俺お前が嫌で東京に行くんじゃないんだ!」 「解ってるよ侑。それなら僕が東京の大学に合格するまで、賢さんの所で待ってて。三年だけ待ってて。そうしたら今度こそ一緒に……」 「透!」 僕は侑を強く抱いた。侑を抱きしめる僕の腕の痕が侑の体中に残るようにと。
この日、僕達は夜になっても家に帰らずにずっとこのプールの中で二人だけの世界に浸っていた。帰りたくなかった。僕が家に帰ってしまったら侑と一緒にいられる僅かに残された日が一日終わってしまうから。 侑も僕と同じ気持ちだったらしく、僕の手を握ったまま放そうとしなかった。
辺りはすっかり暗くなって、明かりの無いこのプールは漆黒の闇に包まれていった。 昼間はまるで青空に浮かんでいるような気持ちにさせてくれていたこのプールの中の世界も、今は夜の闇に包まれて今度はまるで僕達が宇宙の塵になって終わりのない無限の宇宙に漂っているような感じがしていた。 始まりも終わりもない闇の世界で僕達は一つになっていた。真冬のプールの底はまるで氷の世界のように冷たくて、僕達はこのまま何もかも全てが凍ってしまえばいいと思い始めていた。 そして何時間か経った頃、誰かが僕達を捜しに来たような、僕達を呼んでいるようなそんな声がした。 「侑!透君!」 閉ざされたプールの世界に懐中電灯の鈍く黄色い光が、その闇を切り裂いて入ってきた。 「やっぱりここだったか。皆、心配してるんだぞ」 事情とこの場所を知っている賢さんが僕達を捜しに来たのだった。 「二人ともこんなに冷たくなって……」 「ごめんなさい」 僕達は、ただ謝ることしか出来なかった。 「お前達の気持ちは良く解るけど、もう二度と会えなくなる訳じゃないんだろうに」 賢さんが侑と僕、二人を抱きしめて優しく呟いた。 「透君、安心して俺に侑を預けてくれないか」 「賢さん……」 「俺と舞とで必ず侑を守るから」 「……お願いします!」 僕は賢さんの背中をぎゅっと掴んで大泣きした。今まで感情の起伏というものがあまり無かった僕が大声で泣いたので、侑も賢さんも少し驚いていた。だけど、侑は僕が侑のことを強く思っているっていうのが解ったらしく、つられて泣き出してしまった。 人気の無くなった、普段は静かである筈の夜の中学校に、少年二人の泣き叫ぶ声が何時までも響き渡っていた。
そして侑が東京へと旅立つまでの一ヶ月、僕達はずっと一緒に過ごした。学校が自由登校の間は侑が僕の家に泊まりに来たり、僕も侑の家に泊まりに行ったりして修学旅行の続きのようなことをしていた。 本当に楽しい日々だった。これから三年も離れてしまうなんてとてもじゃないけどそう思えない位に。
「僕、今日絶対に泣くと思う」 「あ、俺もお前だけ泣くような気がする」 「何で、僕だけなんだよ!」 遂に中学の卒業式の日がやって来た。 この辺に住む子供は、地元の中学を卒業すると高校もまたこの街の高校へ進学するのが常で、僕のように離れた街の高校へ進学するのは希少だった。 「だって毎年誰も泣かないじゃん」 「……そうだけどさ」 何だよ、侑は寂しくないのかよ!僕はちょっとムッとした。 「俺は泣かないって決めたんだ。泣いたらきっとお前を東京に連れて行っちゃいそうだから」 「侑……」 「な、困るだろ?透は俺の為に医者になってくれるんだろ?」 「そうだけどさ……」 本当に素っ気ないんだから。 「泣いたら、俺きっとお前に迷惑かけることになるから……」 侑の目が一瞬光った気がした。 「侑」 僕は侑の顔をのぞき込んだ。 「なーんてね!」 下からのぞき込む僕の唇に口付ける。 「侑!」 「ほら、早くしないと卒業式始まるぞ!」 侑が笑いながら学校の中へと入っていった。僕も侑の後ろ姿を逃がさないように一生懸命その後を追い掛けていった。
卒業式は終始穏やかな雰囲気の中進められていった。 侑と僕以外の殆どの卒業生は、ここを卒業してもまた近くの高校へと進学するので「別れの寂しさ」というものを想像しようとする事さえしなかった。 僕も周りの生徒が皆ニコニコしているので、始めのうちは周りの生徒と雑談とかして普通にしていられた。だけど仰げば尊しを歌い出した途端、侑との思い出が早送りの映画のフィルムでも流れていくかのように次々と僕の頭の中のスクリーンに映し出されていった。 あの春の雨の日、侑とあの公園で出会わなければ今の僕は無かった。それまで、つまらないことでクヨクヨしていた僕が侑のお陰で未来が開けていった。 侑の僕を見つめる真っ直ぐな目、細いけど力強い手、そして熱く柔らかい唇。どれもが僕だけの物で僕の一番大切な物だ。 でも明日、侑は賢さんと舞さんと一緒に東京へ引っ越して行く。嫌いになって離れていく訳じゃない。本当は好きで、大好きで一瞬たりとも離れてはいられないのに……。僕達が子供だから仕方なく離れて暮らすことになる。早く大人になりたい。一分でも一秒でも早く侑を幸せにしてやりたい。 そう思った途端、目から涙が溢れ僕は嗚咽を漏らしていた。 僕が何故泣くのか事情を知らない生徒達はちらっと横目で僕の惨めな姿を見てニヤニヤしていた。どうせ自分だけ他の街の高校へ進学するから寂しくて泣いているんだろう、位に思っているに違いない。
それから僕は結局卒業式が終わって教室へ戻っても泣き続けていた。 自分の机に伏せて泣き続ける僕の傍らで侑は無言で寄り添っていた。 「おい、侑。柴原どうにかしろよ。こいつだけだぞ、この目出度い卒業式で泣いてるの」 クラスの誰かがそう叫んだ。他の生徒達も僕の方を見て笑っている。 しかし、そのざわめきを侑の一言が一瞬にして変えてしまった。 「俺、明日東京へ引っ越すんだ」 侑がそう呟いた瞬間教室のざわめきが嘘のように綺麗サッパリ無くなった。そしてその次の瞬間、クラス中の生徒達の叫び声や悲鳴が狭い教室に響き渡った。侑がどれ程皆に親しまれていたのかよく解った。 どんな人からも親しまれ愛されている侑を僕は誇らしく思った。 そして侑は泣き叫ぶクラスメイト一人一人に歩み寄り別れの挨拶と握手をした。女子の何人かは本当に泣き崩れて侑にしがみついて行っちゃ嫌だと嘆願していた。 侑は最後に僕の元へ戻ってきて皆の前で抱きついてきて、涙でグチャグチャになった僕に口付けてきた。 その様子を、始めクラスメイト達は呆気にとられて見つめていたが、誰かが拍手をすると他の生徒もつられて拍手を始めた。 「侑、東京へ行っても元気でな!」 「浮気すんじゃないぞ!」 皆が口々に励ましの言葉をかけてくれた。 「おれよか透の方だろ、浮気の心配は。何せ男子校だぜ!俺、本当に心配してるんだから」 冗談とも本音ともとれる侑の心の叫びだった。 「な、何だよ侑!侑こそまた賢さんと……」 「要らぬ心配だよ、それこそ。舞も一緒に住むんだぜ」 「でも、僕は心配!」 「お前の方がよっぽど心配だー!」 侑が僕の両方のほっぺたを摘んで頭突きしてきた。 「お前等本当に仲良いよな」 「ホント、ホント。でも侑たまには帰って来いよ。また皆で騒ごうぜ!」 「ああ!」
こうしてこの学校ではかなり珍しい涙有り笑い有り大騒ぎの卒業式が無事に終了した。
そして次の日の朝早く、侑は賢さんと舞さんと一緒に東京へと引っ越して行った。 僕は新幹線の駅まで侑達を見送りに行った。 「侑、元気で」 「透も。俺、メールするから」 僕は高校合格のお祝いに両親にパソコンをねだっていた。そして侑にパソコンの使い方やらネットの見方、メールの書き方など色々と教えて貰った。 僕達は住むところは離れてしまうけど、ネットで何時も繋がっていると思えば少しは寂しくなかった。 「俺、写真送るから、透も時々裸の……」 「こら、侑!」 横で会話を聞いていた賢さんが侑の頭を叩いた。 「お前は大検受験の勉強するんだろ?看護師になれなくなっても良いのか?」 「だからー、たまーに息抜きに」 「侑ったら。でも、写真送るよ。だから侑も時々写真送って」 「解った!」 「賢さんも舞さんもお元気で!」 「透君もね」 「侑のことは心配するな」 「ハイ!」 僕達は涙の無い別れをした。ここで泣いてしまったら僕達に明るい未来はやってこない、そんな気がしていたから。 三人の乗った新幹線が見る見る小さくなっていく。僕は一人ホームに残された。 だけど僕も動き出さなければいけない。三年後に東京の大学の医学部に合格しなければ侑を迎えに行けないからだ。本当に大変なのはこれからなんだ。 僕は一人残された寂しさを感じるよりも、侑に会えるまでの長い日々が一日ずつ減っていくことを楽しみに生きていくことにしようと思う。侑の延ばした指の先が少しずつ僕の方へ近づいてくる。そんな感じがしているから。
侑と離れて一年が過ぎた頃、僕は一度だけ写真で見たことのある侑のお母さんが小さな赤ちゃんを抱っこして街中を歩いているのを見かけた。 侑のお母さんは写真で見た顔よりもとても穏やかで、顔色も良かった。そして、幸せそうに赤ちゃんを抱っこする侑のお母さんの横を大柄で優しそうな男の人が嬉しそうに並んで歩いていた。 「ああ、侑のお母さんはこの人の大きな手に包まれて幸せになったんだ」 僕は侑の願いが叶ったのだと本当に嬉しくて涙が出てきてしまった。侑のお母さんが幸せになって本当に良かった。 「侑、次は僕が侑を幸せにしてあげる番だ!」 あの時よりも少しだけ大きくなった掌を握りしめて、僕は心の中でそう叫んだ。
今日も空は青く良く晴れている。
おわり
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