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奥田より。 |
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ビバさと
(1574)投稿日:2009年01月01日 (木) 00時49分
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ありがとう。 昨年を振り返って。
・「奥田聡子GROOVE」 1月から奥田SOLOでの音楽活動をしっかり立ち上げようと心に決め、音源制作やライヴに力を入れた。メンバーになってくれた、武内一武氏、伊藤拓史氏、乾勝彦氏、太田安彦氏、エンジニア白井君、それからライヴ活動を見守り応援してくれた皆さん、本当にありがとう。 次は「22:22」を製作したい。私の努力次第。焦らずしっかり頑張りたい。
・「とんちレコード仲間」 東京へ通う機会が増えたのをきっかけに新しい仲間に出会った。 とんちレコード集団がその代表的存在。片想い、アナホールクラブバンド、ホライズン山下宅配便と七変化で出迎え、出向いてくれた。 その度シラフ夫婦には衣食住すべてお世話になった。ありがとうね。
・「深野一穂」 以前からつながりを持っていたミュージシャンとも今年はより深く交流する事ができた。特に一緒にSOLOツアーしてくれた深野一穂氏はsinger song writerとして、私に沢山の力をくれた。彼の音楽への集中力を今、少しでも近くで感じ取る事が出来てうれしい。本当にありがとう!
・「ビバ米子」 人の輪の中で新たな土地につながりを持てた。 米子に本当に行く事ができたのは嬉しかった。ビバの1枚のCDが年月をかけ本当にそれを聴いてくれた人の前で演奏出来た。最高に幸せだった。ありがとう。まだまだ頑張りたいね、ヒメコ!
・「名古屋」 もう一つの土地は名古屋。 深野一穂氏が私やビバを紹介してくれた。名古屋の刺激はとても新鮮に感じた。私にとってはネバーランドのような場所かもしれない。 いつ訪れても自分の音楽を信じて発表していきたい。努力しないとな。精進しよう、こんなに音楽を楽しんでくれる人達が居てくれるのだから。 それにしても毎度ボサボサ頭の森さん家族には本当にお世話になった。 今年は京都に来てくれる。素敵な約束が出来てうれしいな。
・「表現太郎」 2008年は彼との活動にぶれない芯が出来た様に感じる。技量も根性もないくせに我儘な私の何かを必死で信じ続けてパートナーとして受け入れてくれる山崎さんに心から感謝します。いい作品が出来たのはエンジニアのエゾエ君のおかげ。たくさんライヴもさせて貰って本当にBANDになってきたのだと思う。丁寧に頑張ります。ありがとう。
・「ビバ☆シェリー」 ヒメコとの関係は本当に最高だと思う。 ビバ☆シェリーはもう彼女無しではもうやっていけないし、やりたくない。 もうすぐ10周年。いよいよこれからやね。ほんまにありがとう。誰よりも愛してます。
・「的場智氏」 毎月1夜だけ年に12回のJAZZライヴ。的場さんのギターでおなじみの曲をうたわさせてもらうと、その時の自分が正直に感じられる。 もう3年程になる。RJに集ってくれるミュージシャンやお客さんも皆素顔で音楽に触れている。照れたり、背伸びしたりする自分をいつも恥ずかしく思う。これからも宜しくお願いします。
・「ごはんや」 長年アルバイトしていたランチと居酒屋のお店。シフトの我儘をよく聞いて頂いた。寝坊をしたり、喧嘩したり、とにかくありったけの迷惑をかけたのに、ずっと雇ってくれた。それなのに辞める時しっかり挨拶出来なかった。いつまでもこんな自分ではいけないな。これからの在り方で少しでも恩返しが出来ればと思う。ありがとうございました。
・「家族や身近に居てくれる仲間」 じっくりとそばに居て支えてくれる人。環境。 こんな風に好きな事をやり続けて生きていられるのは、家族、リッキーのおかげです。ムカツク事もいっぱいあるやろうなぁ。 ほんとうに傍にいてくれてありがとう。生まれて生きる限りは、何か人の役に立つ存在になりたいと願います。感謝しています。
・「友達やBAND仲間、お客さん」 ミクシーやホームページ、マイスペース等で自分自身がいつの間にか音楽中心に生活させて貰っている(精神的に)事に驚きます。 もともと淋しがり屋で恥ずかしがり屋で集いが苦手な私が、ふと気付けば皆に向かって発信している。人生は不思議です。 どうしようもないことも沢山あるけれど、この欲深さを無視してはいけない、と自分で思う事にしています。そうでないと続けていけない気がしているし、私は続けたいからです。 ありがとうございます。みんなに混じる為の手段が音楽です。ありがとう。
少しだけ部屋を片して新年を迎えました。 そばにはテレビと猫と母がいます。幸せを感じて何があっても1日1日を愛せる2009年にしたいと思います。 ありがとうございました。
5日は都雅都雅での弾き語りが決まっています。 嬉しいです。ありがとう!
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