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男装の麗人〜川島芳子の生涯〜
うきき (2311)投稿日:2008年12月03日 (水) 21時56分 返信ボタン

 12月6日(土)よる9:00〜
伝説の女スパイの波乱の生涯を描いたドラマSP
『男装の麗人〜川島芳子の生涯〜』
http://www.tv-asahi.co.jp/dansou/

芳子の夫・カンジュルチャップも出るなんて、けっこう細かく描いてくれているのかな!(^^)!

寒くなりました
岩屋城 (2299)投稿日:2008年11月19日 (水) 21時04分 返信ボタン

突然、寒くなりましたね。2週間ほど前まではクールビズ
の延長野郎が居たのが、遠い昔の様です。

>麻生首相に12000円のお小遣いをもらったら買いに…
独身貴族のうききさんですから、その本はポケマネで
買って、麻生給与の12000円で森さんの江戸上屋敷&下屋
敷跡探訪ツアー資金の一部にされるかと思いきや。

私が書いたのは、現在の東京中心部の東半分(=江戸のエ
リア=現在の高輪・六本木や飯田橋辺より東のエリア)に
300の諸侯の江戸上屋敷・中屋敷・下屋敷の600位の
大名屋敷が存在し、それが現在のTOKYOの各界の主要
建物になっている…ということです。
うききさんの書かれてるとおり、江戸時代の各地のお城の
跡地は、明治初期になると県庁と軍の鎮台(のちの師団)と
の草刈り場になりましたね。現在でも残る、同じ県内での
県庁所在地を巡る2大都市の確執の原点です。140年を
経ても。有名な処では、GUNMA、NAGANO…など
いくつもの県がありますが、佐賀と長崎両県が結果的に
分けられた歴史は国内では稀有な例でしょう。

□夢の都・東京〜♪/うきき (2300)投稿日 : 2008年11月19日 (水) 23時29分

 寒いですね〜。懐も寒い、独身マンボウです。
しかも、来月が車検という新事実に気づいてブルーです!麻生太郎氏が「福岡県民にだけ10万円ずつ給付」と言ってくださらないものでしょうかねぇ。

>私が書いたのは、
お江戸の件、読みがズレてすみません。(^_^;)

>現在でも残る、同じ県内での県庁所在地を巡る2大都市の確執の原点です。
…そんなのあるんですね。存じませんでした。
佐賀と長崎の話も初耳です。すごくあり得ないですけど、くっつく予定だったんですか?
佐賀にも県庁所在地があったんだと改めて思う今日この頃。

□チェックしてきました!/うきき (2301)投稿日 : 2008年11月20日 (木) 19時54分

 先生!本屋でその本を探しましたが、森家と関家情報だけでいい私にとっては、あの情報量では高いと思いました。
もっとでっかく、もっと地図をふんだんに使ってくれればよいのに…で、別の本を3冊買ってしまいました。
私、修行が足りませんか?(><;)

□歴史的考察・ケンミンショー/岩屋城 (2302)投稿日 : 2008年11月22日 (土) 00時06分

>あの情報量では高いと思いました…
そうですよね。このスレッドを立てた際、森さん関係は
赤穂&津山を併せても、あの本では1頁半でしたんで、
若干迷いましたが、仲々あの手のガイド本は世間になく
探訪しようにも知る由もなくで、有難い本ではあります。
家で観てても、実際に東京に行っても探訪できる有難い
ガイドではあります。私としては、特に特定の藩に拘らず
今の東京の建物等と300諸侯の藩邸をリンクできるのも
面白きものです。
…で、関さんとは、備中・新見藩の関さんでしょうか。

>現在でも残る、同じ県内での県庁所在地を巡る確執…
>そんなのあるんですね。存じませんでした。
そうなんですよ。群馬県に於ける前橋市と高崎市。県庁
所在地は前橋で、昔は厩橋。織田軍団の滝川一益も本能寺
の直前はここで北条と対峙してました。で、すぐ隣の高崎
は江戸期は江戸初期の安藤さん・絵島さん事件の間部詮房
さん等、徳川譜代のエリートの地で、家光の弟・徳川忠長
卿もここで自刃しました。…で、現在の群馬県は高崎市が
経済の中心地の様で、隣の前橋市は政治の中心でしょうか。
で、両市民間には…。
また、長野県の城下町の松本市は江戸期から繁栄を続け、
一方、同じ信濃の善光寺の門前町・長野市。昔は別の県
であったのが、明治期の松本の県庁舎焼失事件等により
同じ県となり、戦前の確執は長く続き、現代へ持ち越し。

これらの2県の他にも、県庁所在地を巡る対抗意識では
なくとも、津軽藩とその元祖である南部藩の確執の現代
版をはじめ、日本各所に同じ県内の対抗意識は存在する
様です。九州だって豊後の日田市と大分市、肥前佐賀の
佐賀市と唐津市など、江戸期からの藩政などでの気質の
違いから来るものがある様です。北九州市エリアでも、
筑前国の八幡・戸畑と、豊前国の小倉・門司とは言葉も
気質も微妙に違い、対抗意識がある様に感じてました、
が如何でしょうか。 佐賀と長崎の件はまた次回。

□着物を一着しかもっていなかった滝川一益/うきき (2303)投稿日 : 2008年11月23日 (日) 01時27分

 本屋で見ましたが昔の地図と現代の地図を重ね合わせてみることができる「東京時代MAP―大江戸編」もよい感じですね。
麻生さんにお小遣いをもらったら買います。
 備中・新見藩の関さんは森さんの親戚ですよ。江戸の藩邸は森家から土地を分けてもらって造りましたので岩屋城さまお手持ちの本でも並んでいるのではないかと思います。関家は「鳳凰丸紋」と家紋まで森家の鶴丸紋に似せていて、「新銭座 鳳凰と鶴の尻くらべ」というブリケツ対決の狂歌まで作られたそうです。
 県庁所在地をどこに置くかは明治新政府のご指導の上かと思ってました。
確か、左幕派だった藩は県庁所在地名と県名を一致させることを許してもらえませんでしたよね。会津とか。あれ?繁栄地に県庁所在地を置けなかったんでしたっけ?でも、これとはまた別の問題なんですね…。今も仲が悪いのですね。まぁ、県庁所在地であるとないとでは経済的に格段の差が出るでしょうしね(不思議な山口県を除く。)
長野県は、お話を伺ってなるほどと思いました。私的に最も思い入れの深い松代は当初からカンケーなしなのですね。
>肥前佐賀の佐賀市と唐津市など、
唐津の人に「佐賀の方なんですねー。」と言ったら「佐賀とは違う!」なんて言われたことがあります。貶められたように響くのでしょうかね…。
北九州でも、あると言えばあるでしょうか。なんか、豊前は筑前を馬鹿にしてるような…。

□続・歴史的考察ケンミンショー/岩屋城 (2304)投稿日 : 2008年11月24日 (月) 13時38分

佐賀市と唐津市の出身の方は概してそんな感じですね。
佐賀は西国大藩の鍋島家の城下。葉隠に象徴される封建武士
の世界ですが、一方、唐津は徳川譜代のエリートが次々に来て
は去りが目まぐるしい土地。さらに現在の唐津市の南東部や
東部は天領でしたし、東の浜玉町の一部は対馬藩宗さんの飛地。
文化や言葉の違い、意識の差はあって当然かもですね。

また、佐賀県は本来長崎県が吸収し長崎県の一部とする予定だ
ったのが、佐賀の旧鍋島藩士が譲らず、反乱も起きかねない
不穏な情勢となり、結局は政府が根負けして佐賀県が独立した
経緯があります。

>左幕派だった藩は県庁所在地名と県名を一致させることを
>許してもらえませんでしたよね…
そうなんですよね。一致してない県が日本には18あります。
その多くは佐幕派で幕末に官軍と戦うか、または態度を曖昧に
にした処がほとんどで、福島県の会津若松市や滋賀県の彦根市、
岐阜県の大垣市など、本来であれば県庁所在地となって県名に
なるべき、そのエリアの代表的城下町が、明治政府の考えによ
り、県庁所在地から外されてますもんね。

家紋もよく似たJALマークですし、備中・新見藩の関さんは
森さんの親戚なんですね。元禄期の津山森さん改易の際に、立
藩したんですね。

今日は、雨。昨日は友人と近場の「基山」に登ってきました。
山頂は広大な芝で爽やかです。下山は史跡を辿るコースを下り
ましたが、天智天皇の命で造られた朝鮮式山城「基肄城」の
遺構が結構残っていました。

□武士道とは夢がモリモリとみつけたり/うきき (2305)投稿日 : 2008年11月27日 (木) 21時54分

 いつも詳しい情報をどうもありがとうございます。
>佐賀の旧鍋島藩士が譲らず
ああ…譲りそうにない(汗)!!!!!
なるほど、旧藩士にしたら、吸収ってのはすこぶる嫌でしょうね。

そういえば唐津は、めまぐるしいですね。
400年祭の旗にもいくつ家紋並べてるんだ!という感じです。
そんな唐津城には今や犬系のゆるキャラ(手作り)が住まうといふ…。
浜玉にも、対馬藩の浜玉出張所などあったのでしょうね。
この前、福井に行った時に思いましたが飛び地を持つ藩って、結構多いのですね。
石高の帳尻合わせか何かでしょうか。

そも関家は戦国期には尾張・一宮城主で、森蘭丸の姉が嫁いだ先です。
その夫・関小十郎右衛門は長久手の合戦で森長可の後追い討ち死にを果たしました。
津山森家にしても、忠政の男子が死に絶えてしまっていたために、関家から来た長継が
二代目津山森家を継ぎました。だから、とってもとってもご縁が深〜いです。


基山に登られたのですね。年内は、あといくつお登りになるのでしょうか。
私は相変わらず階段登りですが、来月は本物の津山城跡に登ります。(^O^)/♪♪

秋の山は…
岩屋城 (2287)投稿日:2008年11月05日 (水) 18時35分 返信ボタン

>縦に走られたのですか?
いえいえ。麓から1つの山の山頂へ登ることを「登山(登頂)」
と言いますが、いくつもの山やピークを、山頂の稜線(山脈の
一番高い尾根)沿いに進むのを「縦走」といいます。
登山と違い、標高が高い処を登ったり下ったりするんで、樹木
や花、鳥のさえずり等は高山特有で、また涼しくて爽快です。
(冬は一面の雪の中ですし)。 
福岡近郊では昔から、三郡縦走が有名で、篠栗から「若杉山」
→「砥石山」→「三郡山」→「宝満山」までの山脈の稜線を
登り下りして、各山の山頂を経由しながら進む、8時間以上は
かかるハードなコースです。勿論、この逆の太宰府「宝満山」
からのコースも三郡縦走です。大正か昭和初期頃までの永い間、
太宰府・筑紫野の青年は成人の儀式として行なっていて、これ
が出来て、一人前の男と云われてた時代もあったそうです。
単に太宰府から「宝満山」だけ登るのでも疲れるのに、そこか
らさらに遠い2つの山を登り下りして3つ目の「若杉山」に登
り、そして篠栗の交通機関がある処まで降りる、プラス8〜9
時間コース。早朝出発して、日没前に到着ですが、これをやっ
てある方も宝満山に登った際によくお会いします。
私は、太宰府から「宝満山」に登り、そこから2時間、稜線を
縦走して「三郡山」までを往復したことは、何度かありますが、
これが宝満まで戻るという往復でなければ、復路に要する時間
でさらに先に進めて、「砥石山」まで行けるのですが、そうな
ると、粕屋郡方面に降りて下山後はローカルバス・電車等で帰
ってこにゃならず、実現していません。

>金山城跡が福岡県にあれば私だって…
「金山」。 福岡も脊振山脈の、3番目に高い山として存在す
るんですよ。先日は「脊振山から鬼ケ鼻岩」まで行きましたが、
そこからさらに2時間ほど、山頂稜線を登り下りしながら西に
縦走すると、ピラミッド状に聳える「金山」山頂(967m)に
到達します。 ほんと、東西どちらの縦走路から見てもきれい
な「△型」で登頂ゴコロをくすぐる山です。
福岡市の平野部から登るなら、早良区の内野周辺にある温泉
「千石の郷」辺りを出発点として、2時間半ほどで登れます
(登山道は結構キツイですけどね)  私も、このルートでも
4回ほど登りましたよ。(宝満山よりキツイと思った)ばって
ん、出発点が温泉ですから下山後は幸せ。 
森さんは居ませんけど、同じお名前の山というのも何かの縁
ということで、一回登ってみては如何でしょう?
脊振山脈の稜線は、福岡と佐賀の県境ですから、金山の山頂
近くには佐賀鍋島藩の番所跡が残ってます。

□横走を開発してください。/うきき (2289)投稿日 : 2008年11月07日 (金) 00時44分

 うう、「縦走」が実際にどんなものか、お言葉で伺うだけでは実感できませんが、かと言って自分との戦いのような運動はやる気ナッシング…です(気弱なもので)。とりあえず「縦走」とは岐阜城でいう「馬の背コース」のようなものですね(違う)。
やはり岩屋城さま、一般人とは違う山の楽しみ方をご存じなのですね。8時間以上コースもいつかトライしてみてください。しかし、安土の城下町を8時間歩いただけで足がどうにかなりそうだったのに、それを3Dでやったら、どんな恐ろしいことになるのでしょう…。知らないうちに野生化して自然にかえってしまいそう。

>大正か昭和初期頃までの永い間、
太宰府・筑紫野の青年は成人の儀式として行なっていて

そんな知られざる通過儀礼が!!!昔の青年たちはこうやって男を試されるのですね。Σ(゜□゜;
しんどそう…。福岡三越のライオンにまたがるほうをチョイスしたくなりますね。

>森さんは居ませんけど、同じお名前の山というのも何かの縁
ということで、一回登ってみては如何でしょう?

森さん(美濃出身)が居ないと無理です。(:_;)
森さんが居ればどこへでも行きます。

□筑紫さんが…/岩屋城 (2291)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 00時47分

筑紫哲也さんが亡くなられました。ショックでした。
すばらしいジャーナリストでした。仕事から帰って「筑紫
哲也NEWS23」を観て、筑紫さんの考え方を聞いては
頷き、番組最後の筑紫さんのいつものセリフ「今日はこん
なところです…」を聞いて一日が終わることが昔から多か
ったです。本当に残念ですし、平成日本のひとつの時代が
終ったとさえ思えます。

□また訃報ですね。/うきき (2293)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 02時24分

 筑紫さん…岩屋城さまはお好きな方だったのですね。
私はこのニュース番組自体を視聴しておりませんでしたが、私見を大胆に公共の電波に乗せてしまうという、ものすごいジャーナリズムを切り開いた方ではあったのかもしれません。

□森さんの江戸上屋敷・下屋敷/岩屋城 (2294)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 15時57分

先日、徳川時代後期の300諸侯すべての江戸屋敷[上・
中・下屋敷]の所在地が現在の東京地図とリンクできる
データ本を買いました。それぞれの跡地にある現在の建
物名等も書いてあり、いいデータになります。
で、森さん(赤穂藩)の上屋敷は以前書いた、JR山手線
の浜松町駅から新橋駅に向かってると左側の某大手電機
メーカーのビルが建ってる場所(芝神明町裏通=現・浜松
町1丁目)ですが、下屋敷は渋谷で、JR山手線の恵比寿
駅から渋谷駅に向かうとすぐ右手にある御寺様がその敷地
の様です(現・渋谷区東3)。

/岩屋城 (2295)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 23時01分

森さん情報のあとで何ですが、筑紫さん逝去の反響は
各界&全国に広がってますね。筑紫さんの感性とその
主張は、政界はじめ各界そして多くの国民に受けとめ
られましたが、そういうジャーナリストは今後はそう
出てこないでしょう。元祖の徳富蘇峰先生も吃驚かも。
うききさんはTBS系の「筑紫哲也NEWS23」は
観られたことなかったですか?日テレ系「今日出来」派、
或いは堅いN●Kニュース派だったのでしょうか。

□お屋敷!/うきき (2296)投稿日 : 2008年11月09日 (日) 13時37分

 きゃああああ!お素敵な森家お屋敷情報を情報ありがとうございます!!(^O^)
その本のタイトルとか教えてください!私もその本欲しい、住みたいです〜!

 TBSのニュースは、オ●ムのビデオ事件で嘘ついた事もあって…なんか…。そもそも親が、いつも久米ぽんのほうにチャンネル合わせてましたので、自然とそっちを見ていましたが、私は元々N●Kラジオニュース派です。海外のラジオニュースと聴き合わせしてました。でも、同じ出来事に対して情報が食い違うのを知って、各国・各社の思惑による情報操作があるとなると、自分がどこまで正しい情報を聴けているのかわかんないし、概略だけでいいや、と、そこまでニュースに情熱を傾けなくなってしまいました。
でも、田中宇さんの記事は読んでしまいます。

□森さんの[津山時代の]江戸上屋敷・下屋敷/岩屋城 (2297)投稿日 : 2008年11月16日 (日) 13時42分

江戸時代の諸侯の江戸屋敷の住所と現在の施設名が載って
る本ですが、1ページに1〜4藩掲載がベースで、巻頭に
数ページある大名屋敷MAPの番号で位置を確認する形
です。タイトルは「江戸三百藩〜まるごとデータブック〜」
人文社1,700円(税別)です。
そういえば、赤穂藩だけ書いてましたが、森さんは江戸前期
は津山藩でしたね。津山藩の江戸上屋敷は、JR東京駅の
すぐ有楽町駅側で多くの番線に分かれる線路のうえ辺り。
また、下屋敷は早稲田大の近くの牛込で、現在は中学校に
なってます。上屋敷跡は歩行は困難ゆえ、JR山手線に乗
って味わってください。
上京した際の大名屋敷跡探訪は、これがあれば、飛躍的に
楽に行けそうです。
この本を見てると、昔の大名屋敷跡は現在の中央官庁や
企業の本社ビル、小中高校や大学、有名な公園などになっ
てるケースが多い様です。江戸期の長い間、武士たちに
踏み固められた広い土地は再利用し易かったんでしょうね。

□かたじけない。/うきき (2298)投稿日 : 2008年11月17日 (月) 23時10分

 また色々な情報ありがとうございました。
麻生首相に12000円のお小遣いをもらったら買いに行きます〜。
きゃ!7冊も買えちゃう!!

>昔の大名屋敷跡は現在の中央官庁や

お城跡もけっこうそうですね。城跡へ行って意図せず何度か学校訪問、お役所訪問いたしました。
福井城なんて、お堀に囲まれ石垣の上にモロ県庁…なんということ。
あと、お城の本丸跡には神社が建っているのが多いのも、土地が昔お城だったっことと関係あるのでしょうか。
そしてとりあえず、城跡の人寄せに桜を植えてみる自治体。
(゜.゜)

友達が…
うきき (2273)投稿日:2008年10月26日 (日) 22時12分 返信ボタン

 奈良に旅行中の友達が「せんとくん」ポスターを写メールしてきたので、お礼に
ttp://mainichi.jp/enta/mantan/graph/manga/20080816/13.html
の画像を写メしたら、それきり返信がきません。

□なんと!/うきき (2274)投稿日 : 2008年10月29日 (水) 22時36分

 私へのお土産に「せんとくん」グッズを買ってきてくれたって!!



□せんとくん/しまちゃん (2276)投稿日 : 2008年10月30日 (木) 21時28分

 この前TVで、せんとくんと、なーむくんの着ぐるみが登場というニュースやってたんですけど、仕事中だったので、TVに目をむけるわけにも行かず、音声のみ。なーむくんの着ぐるみっていったい!?今では、彼らのストラップが当たり前に、売られているのでしょうか?

 津山のキャラクターかっぱのごんちゃんは、鳥取のゆるキャラコンテストにエントリーするみたいです。足元も丈夫そうだし、あとは中身かしら。

□なーむくんの着ぐるみ?/うきき (2278)投稿日 : 2008年11月01日 (土) 16時04分

 奈良の和尚たちが造りし「なーむくん」。「せんとくん」の着ぐるみに会ったらどういうことになるのでしょうか?

別の意味で、PRにものすごく成功してますね。奈良県。 
奈良キモキャラ戦争というべきか…。

え!ごんちゃんって着ぐるみもいるのですか?!Σ(゜□゜;
マンホールのフタだけで活躍中かと思いました。

□福岡は…/岩屋城 (2279)投稿日 : 2008年11月01日 (土) 23時36分

福岡にも、話題になるゆるキャラは出ませんかね〜。
やっぱ、菅公系でしょうか。道雪公や紹運公系では
ちと怖い以上に、県民は御存じなさそうな。
柳川&立花宗茂公キャラでは如何でしょうか。

□ゆるくなければキャラじゃない。/うきき (2281)投稿日 : 2008年11月02日 (日) 12時24分

菅公が松明持ってる「ふっくん」って着ぐるみには至らなかったのでしょうか。個人的には、登場するだけで転倒しまくってた着ぐるみ「飛梅丸」が好きでした。

柳川&立花宗茂公キャラ→ウナギと朱鑓を手に持って頭から「さげもん」揺らしている柳川ゆるキャラ「むねりん」誕生?!Σ(゜□゜;
いっそ、もう、ひこにゃん並みに、どうしようもなく可愛い「ウナギ」キャラが生み出せないでしょうか。ネコに対して犬、ウナギいぬ!!!

/岩屋城 (2286)投稿日 : 2008年11月05日 (水) 18時21分

立花宗茂公キャラ「むねりん」いいですね〜。
ネーミングもホークスお膝元の福岡にはすんなり
溶け込めます。あのデカイ輪っかの兜をかぶって、
手には鰻と朱鑓… イメージ出来てきました。
ただ、立花宗茂ってだあれ?とか言う方々が県民
でも結構居そうな。

□さげもんにマンボウが混在/うきき (2288)投稿日 : 2008年11月07日 (金) 00時09分

 人々が「ひこにゃん」をきっかけに彦根城の存在を知ったように、また「せんとくん」をきっかけに奈良県で繰り広げられる確執の存在を知ったように「むねりん」をきっかけにして立花宗茂の事を知ることもあるでしょうから、きっとよいのでしょう。岩屋城さま、「むんりん」着ぐるみの中身に立候補なさいませんか?「むねりん」に人気がでたら、雪のように白い新キャラ「どうせつくん」登場。どうせつくんは雷が苦手です。

/岩屋城 (2290)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 00時24分

「むねりん」「どうせつくん」ゆるキャラでも良いから
福岡の戦国期の英傑が脚光浴びる日が来て欲しいものです。
福岡は何故か歴史にうとい土地柄です。幕末の郷土人を
誇りにするお隣の山口県や郷土の戦国武将を讃える愛知
県人がうらやましい様な。

□むねりんに期待/うきき (2292)投稿日 : 2008年11月08日 (土) 01時29分

>福岡は何故か歴史にうとい土地柄です。
幸か不幸か、福岡シティはその他の文化にもウリが多いので、歴史人物は二の次なんでしょうね。
誰かが、九州を統一するとか、もっと中央(京都とか江戸とか)でも有名になるほど大暴れするとかしていればまた評価が違ったのかも。
 ここ最近の人物でも、明石元二郎とか、広田弘毅もいたのに、「誰?」というような感じですね。

おかえりなさい
岩屋城 (2269)投稿日:2008年10月25日 (土) 12時56分 返信ボタン

■うききさん
お帰りなさいまし。
越前・一乗谷に行かれたんですね。私も6年前に行きましたが
細い谷間に伸びる遺跡が綺麗に整備されてありますよね。
朝倉氏の栄華の跡。信長さんは朝倉憎いのは解りますが、攻撃
した際は、朝倉勢は逃げた後だったんですから、焼き払わずに
そのままで占拠すれば良かったのに…と思ってました。
また、武家屋敷跡の至るところに残る夥しい井戸跡も生活感が
伝わってきました。
越前・一乗谷と似た、戦国遺跡が近くにもあるのですよ。
以前ここでも書いたと思いますが、筑紫広門の本拠「勝尾城」
城跡。鳥栖市の北部ですが、一乗谷と同じ様に山間の細長く
狭い平野に、居館や武家屋敷跡が残ります。居館は神社とな
ってますが、武家屋敷跡は多くが杉林の中。分け入ってみる
と、石垣やそれらしきものが散見されます。貴重な中世城跡
が当時のまま手つかずで残っており、市が積極的に調査を続
け整備しており、以前に比べると案内板や碑なども設置され
てきました。いずれ脚光を浴びるでしょう。
福岡市から10数キロ。久留米に向かう鳥栖筑紫野道路から
入って数キロで行けますんで、うききさんも一度行かれてみ
ては。 またこの勝尾城は、島津が岩屋城を攻める直前に攻
略した城で、その折の、筑紫春門VS川上左京亮の戦国最後
の一騎討ちの跡もあります。

■しまちゃんさん
本州の山は熊が出るのですよね。おとなしいツキノワグマと
は言っても、山中で逢ったら怖いでしょうね。日本での熊の
生息地は中国山地までで、九州には居ない為、安心していつ
も山に登ってます(笑) イノシシは、私も以前ひとりで佐賀
県の山に登っていて、山中で前方を横切ったイノシシに遭遇
しました。ドドドーと凄い地響きで、それだけでも驚きます
し、恐怖感があります。音の威嚇の様に感じます。戦国の昔、
歩兵が、騎馬軍団が近づくドドドーの音で震えたというのも
解ります。(戦時中、米軍戦車が見えなくても近づく戦車の
轟音だけで戦慄したという日本兵の話も)
しまちゃんさんは、九州国立博物館に来られたことあるんで
すね。九博は、家から車で10分足らずの近くなんですよ。
4回しか行ってないけど。

□ただいまんぼう。/うきき (2270)投稿日 : 2008年10月25日 (土) 23時57分

 岩屋城さまも一乗谷におでかけになったんですね!

>焼き払わずにそのままで占拠すれば良かったのに…と思ってました。
3日間燃えて、その炎はまるで曼珠沙華のようだったそうです(越前大野のガイドさん談)。
なんなんでしょうね。お気に召さなかったのでしょうか。もったいないですね。敵さんの戦意を完全に喪失させたかったのかも。
もしくは、越前の一向宗が根城にしないように本格的要塞は撤去しなくちゃということだったのかも。あいつら、突然やってきてすごいので。

越前に行くと、つくづくこの国の大名は一向宗との戦いにあけくれる運命だったんだと痛感しました。
寺院集落に行くと、今でも、町ごと要塞の雰囲気が残ってますよね。
森長可もクマをものともせずに木ノ芽峠を越えて越前一揆軍征伐にでかけたのですが龍門寺城というとこに攻め込んでます。かつて一乗谷攻めで信長が本陣を置いていた場所が、数年後には一揆の根城になってたようで。

筑紫広門…なんとなくですが、なぜかこの人のネーミングが私の脳みそを素通りしてしまいます。
森家とはすれすれ名護屋城つながりでご縁があるけれども。

/岩屋城 (2271)投稿日 : 2008年10月26日 (日) 11時57分

うむ…そうですか。良き史跡であっても森さんと繋がらない
と、うききさんの研究・探訪モードは稼働しないのですねぇ。
森さんが一頃転封されていた、信濃・川中島には行かれない
のですか?

最近は、涼しくというか少し寒くなってきましたね。
11月は山の紅葉が美しい季節。寒波の山になる前に、数回
は登る予定です。

□山登り、今年100回記念やっちゃいますか?/うきき (2272)投稿日 : 2008年10月26日 (日) 22時10分

 本当に最近は寒いですね。会社に着て行く服が微妙です。 
今日はなりゆきで、名護屋城跡に行かざるを得なくなりました。が、雨上がりの緑、清々しかったです。

信濃川中島…過去2回行きましたが、ほんと、また行きたいのです。見ないままの史跡もありますし。
あの、長沼城跡はバッチリとりんご畑と化してましたが、解説の看板に「森長可」の名があってうれしかったです。

 信州では、長可(25)が、どんな風に思われているのかバッチリわかる学習マンガです。↓
ttp://www.town.iizuna.nagano.jp/kouhou-iiduna/konjaku/3imogawashi.pdf

□うらやましいです〜/しまちゃん (2275)投稿日 : 2008年10月30日 (木) 21時22分

岩屋城さまは、すてきなところにお住まいで、うらやましいです。今、東京で興福寺の阿修羅像展示やってるのですが、来夏、九州にお目見えとか。家族づれを考えると、夏を狙っています。

私の住んでいるところは、昔から猪が出るところです。ご近所のハンターさんからわけてもらうお肉は美味ですよ。鍋・焼肉、そしてミンチはハンバーグにして食べています。

一乗谷の手前、湖北の惣村の名残のある村に行ったことありますけど、村の出入り口に見張りのための建物があったりして、戦国時代は、民衆も一筋縄ではいかない世界がありますね。

 それにしても、秋は武者行列多いですね。小牧長久手でも、ゲームから入った若い女性たちがいたのでしょうか?
 信州での森・・・地域のことをよいこに知らしめるのは、マンガが一番?

□どんどこいのしし/うきき (2277)投稿日 : 2008年11月01日 (土) 15時59分

 九州に、阿修羅像が出張してくるなんて、嬉しすぎます。
あの、笑っているような憂いているような、泣いているような、不思議な阿修羅像…。あの阿修羅は子供ですよね?
朝いちばんに興福寺に出向いて拝観しましたけど、心が痛むほどによい対面でした。
 猪、私も田舎にいたときには、ハンターさんからボタン鍋をご馳走になってました。油がものすごいですよね。鍋が油で白濁して、洗うのが大変でした。

>信州での森・・・地域のことをよいこに知らしめるのは、マンガが一番?
信州のよゐこは、長可を残酷なヤツと思っているのでしょうか…さみしい。
武田も、信州ではめちゃくちゃやってたハズなのに、スーパーには信玄梅が売ってました。

惣村も見てみたいです。
やっぱりあんな危険な時代を生きていると、村やグループごとで自衛手段とかがすごく発達するし、ともあれば領主も許さねぇ?!
男とともに女子供も戦うこともあったし、たくましい時代ですよね。
女子供まで切ったと言って「酷い。」と思うのは、現代の感覚なんだとつくづく感じます。
と、信州のよゐこたちに向け、長可をフォローしてみる。

/岩屋城 (2280)投稿日 : 2008年11月02日 (日) 00時16分

◆しまちゃんさん
そんな、すてきなところでもないのですが、
福岡都心への通勤が私鉄もJRでも便利で10数分。
しかも、北は「水城」、南は「基肄城」に囲まれてる
エリアで、天智天皇の御世にあっては、都に次ぐ西の
重要防御拠点であった「数キロ四方」のエリア内に
住んでるというのは、歴史好きにとっては(密かに)
嬉しいことかも知れません。
[但し、周囲の方々は大抵誰もその認識がないのも
事実ですが]
ばってん、イノシシ料理が喰えるのは、うらやましい
です。

◆うききさん
信濃・川中島の史跡も、やはり探訪済みでしたか。
森さんの足跡は、あらかた踏破しているうききさんの
これからの目標(人生)は、さらに昔の森さんのルーツを
辿る旅となることなのでしょうか。

□江戸城!/うきき (2282)投稿日 : 2008年11月02日 (日) 12時32分

岩屋城さま:
でも、ワテクシはまだ肝心のお江戸に行ってないのでございます!!!ビヨヨヨヨ!!
本当はこの3連休も埼玉である研修に行く予定だったので、その時に江戸の森家史跡を見学しようと思っていたのですけど、研修スケジュール見ると日中にそんな時間が存在しないのを知り、「森家がダメなら行かない…(心の声)。」と欠席してまいました。
未踏の地はまだまだ数知れず…森家の活躍はダイナミックすぎてまだまだ追いつけない私です。
でも、森家があれば、絶対に行きます。

/岩屋城 (2284)投稿日 : 2008年11月03日 (月) 22時32分

今日は、会社の者9名をお連れして脊振山系の縦走に行っ
てきました。曇りでしたが11月の気候は爽やかで、山の
紅葉が綺麗でしたよ。
年内にはまだ数回登山の予定ですが、宝満山ばかりには
登れません故、100回は来年に持ち越しでしょう。

埼玉での研修も森家探訪とリンク不能と知り、キャンとは、
それは、そろそろ本職を森家探究の仕事へ変える潮時かも…
と思われます様な。

□11月になってしまった!!!/うきき (2285)投稿日 : 2008年11月05日 (水) 01時26分

 またしてもお山に登っておいでだったのですね。縦に走られたのですか?(^O^)
一人でなければそれなりに皆さんの安全面でのお気づかいもあるでしょう。どうもお疲れ様です。
運動すれば、ちょうどよい空気の冷たさでしょうね。
ああ、金山城跡が福岡県にあれば私だって毎週末でも山に登りますのに…。

本サイトオープン♪
うきき (2283)投稿日:2008年11月02日 (日) 22時22分 返信ボタン

『男装の麗人〜川島芳子の生涯〜』(年内放送)。
ttp://www.tv-asahi.co.jp/dansou/

ワナ
しまちゃん (2258)投稿日:2008年10月14日 (火) 08時13分 返信ボタン

 先日、用事をいっぱい抱えて、車を止めみんなの輪に入ろうとした私。でも私の愛車のキーが抜けない!!エンストみたいな感じで車のエンジンもかからない!!ここの後にも行く所いっぱいあるのに!パニックっている私に「しまちゃんが新車買うって言ってるぞ〜」と車両販売会社に勤める人にチクる人も「!!」しかし、冷静な方が「しまちゃん、落ち着いて。ギアがパーキングに入っているか確かめて」手元のギアがパーキングに入っていないワナ。くうっ!その夜、ビデオに撮ってもらった、NHK深夜の拳様特集はラストの5分が撮れていませんでした。しくしく。ワナにはまりまくりの3連休でした。

 お見舞いではなく、潜入したのですね。
 ケロケロ座り、合理的というか、確かに服は汚れませんよね。この座り方って、今にも通じるものがありそう。
 
 ガ○トも、はじめて褒められたいと思った人だったと涙つきで語っていました。しかも、拳様、公式HPをお持ちで、うぅっもっと早くアクセスするべきだった!

□明日はきっと罠の無い明るい日/うきき (2259)投稿日 : 2008年10月14日 (火) 23時54分

しまちゃん様:
>手元のギアがパーキングに入っていないワナ。
そ…それは、超ド級に基本的なミスなワナ。=(゜)
…とかいうと、自分もやらかすのが世の中のオチ。

>この座り方って、今にも通じるものがありそう。
コンビニの前でみんなでケロケロ座りで群がりたいですね。(^u^)

>ガ○トも、はじめて褒められたいと思った人だったと涙つきで語っていました。
TVで語る機会があったのですね。
あの演技を…褒めていただけたのでしょうか…。

今から私は徹夜で書類作成の巻です。(._.)
でも、その先には森家史跡が待ってるんです♪
いつかしまちゃん様も、兼山に参りましょうね!
一緒に、山中にあったという謎の「右近跡」を探しましょう!
お城の地下道もあったそうですけど、危険なので埋めちゃったそうです。

/岩屋城 (2261)投稿日 : 2008年10月15日 (水) 00時06分

慌ててる時はいろいろありますよね。ばってん、車は
キーなしのボタン始動のが便利ですよ。

□右近跡/しまちゃん (2262)投稿日 : 2008年10月15日 (水) 07時32分

うきき様 
 私も兼山に行って、行列をみたり、史跡を見たりしたいです。山中で「右近跡」探索!
 我々は人跡未踏のこの地に・・・カメラも入ったことありません。といいつつ、Vサインして写真を撮りましょう!

岩屋城様
 ボタンで一発始動。それは、車両販売会社に勤める人が薦めてくれるモノ。
 ついに○日の艦隊も見てしまいました。こっちの方が突っ込みどころいっぱい!


□自分の車にもナビが欲しい。/うきき (2264)投稿日 : 2008年10月20日 (月) 12時28分

 レンタカーを借りて福井県を回ってきましたよ。で、やっぱり私もギアをドライブに入れたまま「鍵ぬけない!!」をやっちゃいました(恥)。
 ボタン始動…ドアオープンのみのリモコンすら電池切れで手動で鍵開けしている私には遠い世界。
でも、車はやっぱり便利。特に福井。

旅で知ったこと。荒木村重のくわえた饅頭をアゴと思っていた人口は、予想をはるかに上回って多そうだということです。

□私もナビがほしい/しまちゃん (2265)投稿日 : 2008年10月21日 (火) 08時03分

 カーナビもボタン一発始動でもなく、ガソリンもたくさん食べる私の車。でも、ここでは必需品。都会での電車の乗り方を子供たちに教えなくては!!(1回逃しても数分後には次がくるとか・・・)というわけで、来年、もう一度九州国立博物館へいくぞ!と考えている私。
 うきき様の旅行記楽しみにしておりまする。それにしても、熊、冗談ではなく出るのですね。

□クマのぷーさんよりも10000倍危険。/うきき (2266)投稿日 : 2008年10月22日 (水) 00時09分

 カーナビが無くても、とりあえず見上げれば津山には鶴山があって、津山城跡には迷わず向かうことができるのでうらやましいです。
 国立博物館、今は天神様の企画展開催中。「人生が、国宝だ」のアイキャッチコピーつきです。行かないですけど。むしろ、もう一度「黒田長政」展に行きますけど。

 福井では、ジモティーの「熊がでる」という言葉のみならず、「熊に注意」の看板をよく見ました。免疫のない九州人の私はうろたえてばかり。
山の中に、食糧が沢山あれば熊さんも人々の生活地や峠には来ないのなら、私が旅している間だけでも、ヘリで山奥に熊専用オニギリを投下してほしかったです。
岡山県内には熊の心配はありませんか?

□人生が国宝/しまちゃん (2267)投稿日 : 2008年10月22日 (水) 08時36分

 確かに、天神様の人生は国宝級。死んでからもくっきりと存在感を示し、絵巻物にも登場。今では、修学旅行生のメッカ。お礼参りは岡山からは遠すぎる・・・。来年の阿修羅像の展示見にいきたいです。岡山では、足守の木下家の展示始まってるみたいです。

 数年前、猪の被害がたくさんあったころ、熊も話題に出ましたが、今年は、何も聞きません。というか、熊の話題本当かなあという感じですが・・・。

□津山にも天神はあるでしょうからそこにお礼参りとか?/うきき (2268)投稿日 : 2008年10月23日 (木) 23時57分

 我が国において、あれだけ神様扱いされる人間は道真公くらいですよね。
呪いを鎮めるために神として祀ったはずが、ご利益があるからと軌道修正される日本の不思議。
祖父母の時代は梅干しの種も天神様が宿るというのでゴミ箱には捨てずに海に流しに行っていたそうです。
梅干しの種の中にある白いのが天神様だそうで。
えええ!!!
来年、阿修羅像が来るのですか?!!Σ(゜□゜;興福寺の阿修羅ですよね??!?!!!

津山にも一応クマさんが住んでいることになっているのですね…。こわい。

おとこたちのやまと
しまちゃん (2240)投稿日:2008年10月07日 (火) 07時03分 返信ボタン

 すみません、トップの後姿写真に力いっぱい脱力。去年見なくてよかった。今、我が家のDVDでは、突っ込みどころいっぱいの!「紺○の艦隊」が毎日ながれています。「漢のロマン」としょーもない突っ込みが、家族の軋轢を強めます。「これが終わったら、旭○の艦隊!」「もういらな〜いい」。

 今朝から拳様死去のニュースを聞いて、哀しみがいっぱい。去年見た白野のナマ拳様を思い出しながら、合掌。拳様の出世作は、上様がらみの太閤記。

□緒方拳さんが…/岩屋城 (2241)投稿日 : 2008年10月07日 (火) 23時38分

緒方拳さん、突然の逝去…。 好きな俳優でしたのでほんと
寂しい。
いつか、大河「九州三国志」で、是非とも島津義弘の役を演っ
て頂きたいと10年前から思ってましたが、もう叶わぬことと
なりました。
昨年の大河ドラマでは、上杉謙信の軍師・宇佐美定満の役で
厳しい男を演じてありました。
私にとって忘れられないのは、一番好きな大河の作品である
平成9年の「毛利元就」での、尼子経久の役です。
懐の深い名優でした …合掌…

□寂しいですね。/うきき (2243)投稿日 : 2008年10月08日 (水) 00時39分

■しまちゃん様:
>「紺○の艦隊」
Σ(゜□゜;○に入る文字が判らない私は、まだ修行不足でしょうか?!歴史のみならず、こっち系も意外と強いですね、しまちゃん様。
緒形拳さん…残念ですね。でも、生涯現役で過ごせるって、素晴らしい人生ですよね。しまちゃん様も元気を出してください。

■岩屋城様:
>大河「九州三国志」で、是非とも島津義弘の役を
緒形拳さんなら、きっと、お似合いでしたでしょうね。時代劇がよく似合う名優がまた一人消えてゆく…。
「毛利元就」の主役のセリフが歌舞伎調子でどうにも馴染めずに見ておりませんでしたが、岩屋城さんがおっしゃるのだから、素晴らしい尼子経久だったのでしょうね。

□思いだしました。/しまちゃん (2245)投稿日 : 2008年10月08日 (水) 08時08分

 岩屋城さまも、あの尼子経久役憶えていらっしゃるのですね。まだ小僧の元就に対して、森の王様みたいにふんぞりかえっていて、大きくなった元就に敗れて、しょんぼり去っていく・・・。敵なんだけどお師匠さまみたいな感じでした。去年は、ビジュアルな今にも舞い上がりそうな謙信公の傍で、渋い演技で押さえつけていた姿が印象的でした。去年の時点で、もう、体は病魔におかされていたのですね。一人芝居の舞台、なんだか痛々しい感じがしたのはそのせいだったのでしょうか?舞台にいるときは、なんともなさそうだけど、幕間では、苦しそうみたいな・・・。ぐすっ。

□ボヤキの元就/岩屋城 (2246)投稿日 : 2008年10月08日 (水) 23時27分

●うききさん
それは、「紺碧」です。ビデオやらでこの架空戦史の
ハシリは、昔何度か観ました。

大河ドラマでの「九州三国志」。
島津義弘=緒方拳さん、高橋紹運=北大路欣也さん、
竜造寺隆信=中尾彬さん、大友宗麟は…。
HNでお解りのとおりの大友贔屓の私でも島津の総帥
の配役はポイントですから(義久よりも義弘です)。
ただ、ちょっと歳が合わないかも知れませんので、
北大路欣也さんは立花道雪が良いかも。

●しまちゃんさん
緒方拳さんの尼子経久。覚えてるどころか、一番の
大河ですから。総集編のVTRは持ってますし、
当時は、月山富田城をはじめ尼子経久の墓をはじめ、
新宮党居館跡など、徹底的に尼子史跡巡りをしたもの
でした。
しまちゃんさんの書かれている、元就と経久の関係…
あの大河で元就と経久が絡んだ色々なシーンが、ほんと
鮮明に駆け巡ります。元就幼少時に夜間霧の森の中で、
馬上の経久に弓を引くシーン、経久に庭で土下座し忠誠
を誓う中、経久に太刀を首に当てられる場面、そして
経久の死の前に、敵対しながら元就に会いに来る(架空)
のシーンなど。 また、その後「利家とまつ」「功名が辻」
「篤姫」と続く夫婦愛モノ大河の、近年におけるハシリの
作品でもありました。

□そうです。○碧の艦隊です。/しまちゃん (2247)投稿日 : 2008年10月09日 (木) 16時53分

 DVDのオープニングで毎回流れる、山本五十六の最期シーン(飛行機の落ちるところ)と、気がつくと、別世界に生まれ変わって?いて、というシーンが否応なく頭に入ってきます。
 
 生まれ変わり仲間で「紺碧組」を作って、この別世界の日本を敗戦から救おうなんていう話です。(岩屋城さま、これでまちがいないですよね)

 漢のロマンに浸りきっている家族に対して、「えーっ、どうやって生まれ変わり組見つけたの?○ーにでも広告だしたの?」とか、海上の秘密基地に対して「津波がくると全部流されちゃうんじゃない?」とか言って、ロマンを理解しないやつと言われてます。

 NHK大河は、拳様がいろいろでていますが、私は「風と雲と虹と」(加藤剛も好き)「峠の群像」(ライバルは、松平健!)も好きですよ。
 拳様の最期の出演ドラマ、新聞のあらすじを読むと、拳様の状況を考えると何ともいえないテーマだなと思いました。

□秋山監督でよかった(ソフトバンク)。/うきき (2249)投稿日 : 2008年10月10日 (金) 00時56分

▲岩屋城さま:
「紺碧」ですか。ありがとうございます。って、判ったところで何も解決しなかった…しかしながら、どうして岩屋城様は何の話題でもついてゆけてしまうのでしょうか。(^_^;)
九州三国志:島津義弘役はもうせがれの直人にお願いするしかな(ばきっ)!
尼子っち:私も何のご縁か、尼子経久のお墓参りはいたしましたよ。尼子氏の郷土本も持っている気がします(タンスの肥やし)。
しかし大河って、すぐに敵さんにプライベート感覚で会いに行けたりするので便利ですよね。大河はものすごい確率の偶然でばったり出会ったり、うっかり立ち聞きもできますし。

△しまちゃん様:
 山本五十六…そんな名のカレーは食べたことがありますが(関係ない)、まだこの世に関係者がわんさかいそうな人物をキャラとして使ってしまった架空のお話があるのですね。アストロ球団以来のビッグウェーブです。
>拳様の最期の出演ドラマ
そういえば、映画「ゲゲゲの鬼太郎」で「ぬらりひょん」をなさっていたような…。あれも、闘病しつつ…(涙)?

□彼の演じた役は、すべて拳様/しまちゃん (2250)投稿日 : 2008年10月10日 (金) 08時12分

 どんな役をやろうと彼は拳様。今日の深夜(もう明日かも)、NHKで特集があります。もちろん大河もでるみたい。ゲストは、息子さんたちも出演(ということは、キング・オブ・ジパング直人も出演!)

□朝までおがたん/うきき (2251)投稿日 : 2008年10月11日 (土) 11時50分

「ヒカルの碁」を1冊出してきたばっかりに夜明け近くまで夢中で読みふけってしまい…と、いうわけでこちらの「おがたさん」見てた我です。ばきっ!

 緒形拳さん、追悼特番組んでもらえるなんて、役者冥利に尽きますね。 
Gacktさんもコンタクトが流れ落ちるくらいに涙なさっているのでしょうか…。

/岩屋城 (2252)投稿日 : 2008年10月11日 (土) 17時02分

◇しまちゃんさん
>山本五十六の最期シーンと、気がつくと、別世界に生まれ
>変わって?いて…
「紺碧の艦隊」の最初はそうでしたね。史実どおり前線視察
の際、ブーゲンビル島上空でP‐38に撃墜。ただ、目覚め
たら、本人が少尉候補生として巡洋艦「日進」に乗艦していた
日露戦争・日本海海戦の38年前にタイムスリップ。その後
太平洋戦争迄の日本の道程を知っている彼は、歴史に再チャレ
ンジ… でしたね。その後の長いストーリーは、断片的にしか
見てませんので「紺碧組」結成の辺りはしらないんですよ。
それに、元号は昭和ではなく照和。山本は養子行かず、旧姓の
高野のままでしたね。

>拳様の最期の出演ドラマ…
数日前、始まりましたね。フジ系木曜22時枠「風のガーデン」
亡くなった直後に。見ましたが、医療に関する重いストーリー
の様です。最終回まで見ようと思います。
昨夜は、追悼ドラマ「帽子」を見た後、0時過ぎからの追悼特番
も見ました。「帽子」は今年8月に放送された際に見損ねたので
今回見れて良かった。呉を舞台にしたいい話でした。

/岩屋城 (2253)投稿日 : 2008年10月11日 (土) 18時35分

◇うききさん
>九州三国志:島津義弘役はもうせがれの直人に…
うむ、直人さんは昔の大河で信長やってましたケド…
直人さんは、関ヶ原の退き口で奮闘する佐土原島津家の
島津豊久の役の方が似合うかも。

尼子一族は、独特の魅力がある武士団と思います。
事実上、経久一代で築き上げ、そして弱小だった毛利に
乗っ取られ、その後に義久が再興の狼煙を上げる…。
尼子氏の郷土本は、赤い背表紙のハーベスト出版の尼子
シリーズ本ではないですか。私も5〜6冊買って持って
ます。
山本五十六 という名のカレー!?
カレーは海軍発祥とは言っても、その名を商標とした
カレーまであるとは、ちょっと。地域限定のレトルトもの
でしょうか。

昨年秋に、NPO法人の福岡の歴史の会主催の黒田六端城
(松尾城・麻底良城・三奈木黒田家等)のツアーに参加して
たんで、そこからの案内で今日、「黒田長政と黒田24騎」
の講演会を聴きに福岡市博物館へ行ってきました。
博物館の学芸員さんや顧問の方、また主催した会の先生方の
講演を聴け、為になりました。講演の始まる前には、特別展
「黒田長政と黒田24騎〜黒田武士の世界〜」も観てきまし
たが、仲々観れないものも展示してあって良かったです。
やっぱ、地元モノの特別展は良い。

□尼子騒兵衛ご存じですか?/うきき (2254)投稿日 : 2008年10月12日 (日) 00時09分

 岩屋城様:
>尼子一族は、独特の魅力がある武士団と思います。
そこへ山中鹿之介のゲリラと赤痢(フリ)が彩りを添えていますね。
>赤い背表紙のハーベスト出版の尼子シリーズ
そう!それです!!読んでませんけど、それなのです!

それにしても、毛利対策に九州の大友氏が尼子と手を組んで、本州でも毛利対策で信長と尼子が手を組んで〜。
その狭間で揺れる三木城と有岡城。
ちゃんと九州の歴史が信長にまで連動しているのがうれしいです。

越後の友から五十六カレーをいただいたのですが、名前にちなもうと必死で56種類の具を入れており、私が食したのはブリブリ舞茸入りで、とっても面白い味でしたよ。
ttp://www.nagaoka-newotani.co.jp/restaurant/osu_r_isoroku.html

 福岡市博物館におでかけだったのですね。あの特別展は充実していますね〜。
金塊(なぜあの形状)も残っているし、さすが52万石。
 ただ、疑問に思ったのは、主君の黒田官兵衛が荒木村重に投獄された時に、お見舞いに行く家臣たち。どうしてそんなことが可能だったのでしょうか?一方、信長は官兵衛が有岡城から戻らないのは裏切りと認識していた…この行き違いは何なのかと…。
私も、信長肖像画の展示替えがあったので、もう一度あの特別展を見に行く予定です。

□知ってますよ尼子騒兵衛/しまちゃん (2255)投稿日 : 2008年10月12日 (日) 09時35分

岩屋城様
 紺碧の艦隊、オープニングは、落ちる飛行機・高野五十六とサインするところが毎回でてきます。ただし彼はお偉いさん(クーデターをおこし、政権を握る)で、艦隊を実質的に率いている方が主人公っぽいです。ちなみにレンタルショップで、この作品を我が家より少し早く借り始めている「名も知らぬ強敵(とも)」がいます。

 風のガーデン、最終回までみましょうね。

うきき様
 えぇっ?閉じ込められた主君の見舞いに家臣はお出入り自由!? 昔、大河でみた閉じ込められシーンは、狭苦しいところで、埃?まみれで転がっていたようなイメージがあったのですが、(これも大河の嘘がなせるワザ!)家臣がお見舞いにいけるとなると、何だかイメージがちがうような。
 

□忍たま乱太郎…/岩屋城 (2256)投稿日 : 2008年10月13日 (月) 11時06分

「五十六カレー」あの有名ホテルの長岡の限定販売品だった
のですね。地元輩出の英雄と海軍カレーブームを掛けた逸品
でしょう。56種類の具はすごい。他の長岡の著名人・河井
継之助や戦後の某首相の名を冠した商品もあるのでしょうか。

>黒田官兵衛が荒木村重に投獄された時に、お見舞いに行く
家臣たち…
有岡城の水牢に幽閉されてる官兵衛のもとに家臣の栗山・
井上・母里が忍び込み、安否を…。とありますが、果たして
真実はどうなんでしょう。官兵衛を救出解放した時のことを
後年そう書いたのでは、という気もします。

昨日も宝満山登ってきましたが、先月迄の暑さの中と違って
快適な登山でした。登山者の数も夏場と違い、えらく多かっ
たです。今日体育の日も爽やかな天気ですんで、多くの方が
登ってあることでしょう。

□週末は悲願の金山城跡!!!!!!!!!!!!/うきき (2257)投稿日 : 2008年10月13日 (月) 20時27分

■しまちゃん様:
>名も知らぬ強敵(とも)
「耳をすませば」でも、そんな設定がありましたね〜(+_+)
なにか運命的出会いの予感しませんか???

幕末の画像ですが、従者ってケロケロ座りするんですね。戦国の時分もそうだったのでしょうか?(._.)
土下座だと汚れるので合理的といえば合理的ですが、なんか見慣れないです。
ttp://opac.u-air.ac.jp/koshashin/tonosama.html
ttp://opac.u-air.ac.jp/koshashin/bushi2.html

■岩屋城さま:
五十六カレーは、56種類の具にも勝って舞茸感がすごかったです。
黒田お見舞い情報どうもありがとうございました。やっぱり牢屋にお見舞いに行くのって、何か変ですよね…。
官兵衛を生かさず殺さずの荒木村重もどうなんだと思いますけど。
 友を信じてこっそり官兵衛の子を助ける竹中半兵衛もかっこいいですけど、身代わりに首を刎ねた子供はどこから連れてきたのか…。


宝満山、おつかれさまでした!年内に3ケタいきますか??!
この季節、肌に触れる風が気持ちいいでしょうね。
私も金山城跡のある古城山に登ってきます!!(^O^)/

/岩屋城 (2260)投稿日 : 2008年10月14日 (火) 23時59分

幕末の画像。セピアのままで着色しない方が良いと思った
のは私だけでしょうか。貴重な写真がサイトで見れるのは
有難いことです。

年内に3ケタは無理ですが、宝満山はあと2回で94回、
その他、会社の連中を連れていく山で1回、旧友と登る
山で1回で、年内はあと計4回の登山でしょうか。
12月の山は、そりゃ寒いもんです。

金山城跡のある古城山… うききさんの故郷の山ですか
ら、もう何度も登られたのかと思ってました。
気をつけて登ってきてください。

□帰国して恋しい金山キャッスル/うきき (2263)投稿日 : 2008年10月20日 (月) 12時23分

 お返事遅れてすみません。
越前在住のクマ達に食べられることなく無事に帰国いたしました。
一乗谷に初めて行きましたが、当時の城内・城外の様子が判りやすいようにきれいに整備されていて、とても勉強になりました。

金山城跡にも登れて満足満足♪
でも、はや金山城跡が恋しいです。

>幕末の画像。セピアのままで着色しない方が良いと思った
のは私だけでしょうか。
 あの時代の写真、着色のせいで不自然になってしまってることが多いですよね。駕籠に乗ろうとする殿さまや家来衆は写真撮影のため20分ほどあの姿勢?

王監督、ラストゲームでした
岩屋城 (2242)投稿日:2008年10月07日 (火) 23時56分 返信ボタン

今夜は、仙台で王監督のラストゲームでした。
延長12回の激闘の末、楽天に負けて最下位が確定し
ましたが、最下位になって、すっきりした様な気がし
ます。
この10年間常勝軍団で、優勝争いがが当たり前の様
の感覚で当たり前になっていた、のぼせもんの我々福岡
のホークスファンだったのかも知れません。
ただ単に、王さんに監督になって頂く前のあの頃の状態に
戻ったまでのこと。
来年からは「裸一貫」の挑戦者として、10年以上前に
戻って、頑張って頂きたいと思うのみです。

□あっさりすぎてショック/うきき (2244)投稿日 : 2008年10月08日 (水) 00時45分

 お昼にも、同僚たちと、「ラストゲームいつなのかしら。」と話していたのに帰宅したら、今日がその日だったなんて。
…というか、今年は優勝と思っていたような状況だったのに、あれよあれよと最下位…いつの間にホークスはこんなことになっていたのだろうかと、オリンピックのせい?
 でも、きっと王監督も、試合を観戦しに来てくださったりするかもしれませんね。その時に勝ちを捧げてあげてほしいです。
次は秋山監督でしょうか? 

「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」観ました。
岩屋城 (2234)投稿日:2008年09月27日 (土) 23時29分 返信ボタン

うききさんから、ネットでセルDVDがあるとお聞きし、
早速検索して「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」を買っ
て、届いた一昨日に29年ぶりに観ました。時代も移ろい、
10代終りの頃に観た時と全く同じ感覚にはなれませんが
ほんと懐かしかったです。 俳優陣も大谷直子は若かった
ですが、永島敏之・勝野洋・本田博太郎・山田孝夫など、
今もそう変わっていませんね。 あの頃の映画は、現代の
映画と違い、言語その他の規制も緩かったせいか、展開も
事実に近いと感じましたし、逆に監督の意向により、有り
得ない様な事をストーリーのメインに持ってきて却って、
それが現在見れば、より悲壮感を増すシーンもありました。 
慶応大出身の特攻隊員達が、慶応ボーイお得意の「銀座」の
街並みの全店舗名の図を4月から黒板に書き込み続け、全店
の名を思い出せないまま、知っている店を書き込みながら、
次々出撃し、この映画の主役の慶応野球部員達が出撃する6月
11日の朝に、やっと「銀座」のすべての店舗名の記入を完成
させ、その前1〜2か月の間に先に逝った多くの慶応大の仲間
達が最後にやり残したことを完成させ、喜び、特攻機に乗って
いく展開など…。
岡本喜八監督には、事実は違っていても、その姿でもって、
昭和50年代当時の若者達に訴えたかったのと、悲しすぎて
本当の姿を描けなかった… の両面があった様です。
3年前に岡本喜八監督が亡くなられた後に、岡本監督の多く
の作品がDVD化され、そのうちの一作が今回のこのDVD
であり、世に出た様です。 情報ありがとうございました。

□青春だ!/うきき (2235)投稿日 : 2008年09月29日 (月) 01時08分

 懐かしの映画を再びご覧になれてよかったですね。
岩屋城さまのお話が詳しすぎて何だかその映画を見たような気になっちゃいました。
それにあのDVDはパッケージ画像を見ただけで(amazon画像は小さいですが)、訴えたきことが伝わってきたような気がします。
早慶戦の応援席では実際には「海ゆかば」とかも歌われていたんですよね?
先の映画では出てきませんでしたけど…。
機会を見つけて、私も英霊たちの応援歌も見てみます。

『わだつみの声』を読んでいて、「自分は何ていい時代に生まれてきたのだろう。」という兵士の手記があって、それに続く文章を読む限りはそれは建前ではなく本心のようで、少なからずショックを覚えたことがあります。
 平和の世に生きる私たちは、戦争に行った若者に悲壮感を見出そうとしますが、一個人がお国のためにできることがあるのだと、本当に誇らしげに喜んで戦死していくあの時代の若者の姿もまた真実なのだと思わされます。洗脳と言ってしまえばそれまでですが、
みなが「国の為」と、考えることができた時代があったことはある意味ものすごいですよね。
 今の世で自分の人生を「この国」の為というレベルで物を考える人は逆に慢心かおバカと思われちゃいますもの。
GHQの教育の影響によるところが多いのでしょうが、数十年で価値観って、こんなに変わってしまうのですね。ああ、森蘭丸も多くの若者の戦意高揚に役立った人物としてGHQに消されようとしたんですよね。
…話がそれまくりましたね。

□クールビズも明日まで…/岩屋城 (2236)投稿日 : 2008年09月29日 (月) 23時40分

>早慶戦の応援席では実際には「海ゆかば」とかも
>歌われていたんですよね…
よく解られましたね。「英霊たちの応援歌」のそのシーン
は、応援するスタンドの学生による海ゆかばの大合唱でし
た。「ラストゲーム」では早慶の校歌でしたが、これは今
の時代の映画なんで敢えてそう演出したんでしょうね。

>みなが「国の為」と、考えることができた時代…
今の世間からは批判されて当然の事ですが、鎌倉以降の
日本のもののふの時代は、主家の為の戦いの歴史ですから
これは日本人のDNAかも知れません。
戦国期に敗れ去って滅亡した武将、関ヶ原で西軍に付いた
武将、幕末に賊軍とされ憤死した奥羽越列藩の武士達…、
みな、その勇気と知略に何らの評価もされず、勝者の歴史
に埋没してます。先の大戦で亡くなった方々、特に特攻隊
で亡くなった若者達は、終戦後、軍国主義の権化とされて
彼らが命と引き換えに守ったはずの多くの日本人から忌み
うとまれた事実も、時代は移っても日本人のDNAが為せ
ることなのかも知れません。

先の大戦の経験者も年々減っていく時代となり、ひとつの
歴史として描かれ始めた昨今ですが、これから将来、戦国
期や幕末と同じ様に、歴史のひとつとして描かれていくこ
とでしょう。これから30年後、50年後の日本人達は、
この歴史をどの様に観てどう思うんでしょうか…。

□ああ10月になってしまいました。/うきき (2237)投稿日 : 2008年10月01日 (水) 00時39分

 ク…クールビズどころか、何なんでしょうか、この寒さは!!!
数日までまでは扇風機を回していたのに、今宵は冬の布団を引きずり出そうとしておりますよ。
 
 実際の早慶戦について私の読んだものでは、応援席で早慶の校歌も歌ってたようです。映画と同じく、慶応が「都の西北〜♪」と歌い、お返しに早稲田が「若き血に燃ゆる者〜」と歌ったんだったと思います。そしてその後、感極まって海ゆかば〜♪

>多くの日本人から忌みうとまれた事実も
そうだったんですか…。あんな若者の死すら、そのように…。
戦犯の人々も、それまでは英雄だったのに、敗戦になればあっという間に、犯罪者。
ようやく最近になって再評価されるようになったのでしょうか。
そういえば、私が小学校の時ですら、道徳で、なんかお話がありましたね。今の知識でいくと「え…」という感じのものが、教材になっていました。要するに、日本軍がどんなに非道だったかというものですが。
私も、今の知識で亡くなった祖父と語りたかったです。

/岩屋城 (2238)投稿日 : 2008年10月03日 (金) 23時43分

>あんな若者の死すら、そのように…。
そうなんですよね。惨憺たる状態ながらも自由にはなった
日本人達の恨みの矛先は、日本を焦土と化して占領したア
メリカ(GHQ)ではなく、それまで神様扱いしていた特攻
隊などの象徴的な方々だったんです。
生き残った方々は「特攻くずれ」などと呼ばれ、無頼漢
扱いされたり、大事な息子を特攻などで亡くした親達も
かなり辛い思いをされていた様です。日本中で。
いにしえの歴史から見ても、日本人はその時の権力者に
なびきやすい民族… と思うことも多々あります。

2年前の映画「椿三十郎」のDVD、ひょんなことから
今夜観ましたが、面白かったですね。織田裕司と松山ケ
ンイチが主役でしたが、昔の三船敏郎主演を観てないだ
けに、新鮮に観れたのかも。

□生きても死んでも…/うきき (2239)投稿日 : 2008年10月05日 (日) 10時46分

 そういえば、以前、ミュージカル『南の十字星』にからんだドキュメンタリーが放送されて、戦時中は自分の誇りだった軍人の父が、戦後はBC級戦犯として南国の牢獄に入れられたことにより、息子さんは学校でも「お前の親父は悪人だ。」といじめに遭ったらしく、父親の所業を憎んでそのことを手紙に書いて牢獄へ送ったか(このへん記憶が曖昧)なにかで云々…、父は母と自分を気遣う返事を送ってきた…という「息子さん」ご本人のお話を流していました。それで、成長してようやく父親を理解できても、父親は極刑ですでにこの世の人ではない、それで一生自分の言葉に後悔し続けなくてはならないなんて、酷い話ですね。

>生き残った方々
「月光のピアノ」Σ(゜□゜;
口さがない世間って…本当に恐ろしいものですね…。ましてやそれが世の主流となれば。

 椿三十郎…映画では観客が動員できなかったようですが、面白かったのですね〜。(^O^)
最近観た映画では「おくりびと」、評判通りに良かったです。



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