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No.490 【日米安保条約 反対運動と歌劇「沖縄」】- 作曲家 荒木栄氏の談話(1961年)
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

− 日本共産党中央機関紙「アカハタ」1961年12月19日付 第6面より

“躍進する「日本のうたごえ」座談会(上)”


荒木栄(大牟田センター合唱団所属):

うたごえ運動が人民の音楽運動として展開されている、本当に音楽運動らしくなったと言えると思います。

三池闘争の教訓を正しく発展させている大牟田では、いま、「企業合理化反対がんばろう」「二つの敵(米日反動勢力・日本独占資本)を明確にしていく統一戦線を築きあげてがんばろう」、これを、たたかっていく若者の気持ちとして、ぴったり結びつけて、それを農村にまで及ぼしてゆく状態が出てきています...

九州のうたごえについて討議した時、「心には夜はない」と言うけれども、俺たちの心や職場は暗い。

そこだけ見れば、俺たちは「心には夜はない」と言い切れる根拠は無いが、闘い抜いてきた確信がある。

したがって、それが創作の中にも出てきている。

統一の問題を知るためには、敵が明らかにならなければならない。

敵を明らかにする点で、たとえば、三川の労働者合唱団が去年に引き続いて第1位になったけれども、去年は、なぜ第1位になったのか分からなかったが、今度はすぱっと分かった、と言っている。

それは、米日反動の搾取と命をかけた闘いが繰り返されているので、「敵は米日反動」と、すぱっと言えたからだ。

三池では、今までは「独占資本だけが敵だ」、というように指導された研究会もあったのですが、まさに「俺たちの敵は米日反動である」、という日常の活動が、第二組合に対しても手を差し伸べようと、統一の問題を歌っている確信を持って、この問題を集中的に討議しているということが、非常にたくましい特徴だと思います。

合唱発表会、創作発表会、農村のうたごえを通じて、一貫して言われていた「政暴法反対、アメリカ帰れ」というように出てくることは、これは、うたごえが共産党に指導されているかどうかの問題ではなく、本当にみんなが民族独立、平和の問題を真剣に考えているから、「反対」となって出てくるんです。

2014年10月01日 (水) 21時51分

No.489 【日米安保条約 反対運動と歌劇「沖縄」】- 日本共産党中央委員会 文化部員(1960年当時) 松田貞夫氏の論述
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

− 日本共産党中央機関紙「アカハタ」1960年12月9日付 第4面より

“「日本のうたごえ祭典」を迎えて”

「1960年日本のうたごえ祭典」が12月9日から3日間、東京で開かれる...

全国から祭典に集まってくる人々は、安保反対、三池、総選挙などの諸闘争の生々しい息吹をもって、仲間意識と団結の思想を力強くうたいあげ、呼びかわそうとしている...

今年の祭典は、次のようなスローガンを掲げて結集している。

それは、「うたごえは平和の力」「安保廃棄、全面軍縮のうたごえを国のすみずみに」「いのち新たなうたごえで、たたかいの世紀をひらこう」である...

日本人民の歴史的な大闘争であった安保闘争と三池闘争は、新しいうたごえ運動の方向づけをした。

新しいうたの創作活動と、それの普及、合唱活動は、「どんとこい」「がんばろう」「三池の主婦の子守唄」などでも分かるように、前進し、数多くの作品を生み出した。

また、人民の新しい芸術への自覚は、民族的な創作曲をつくりだし、民謡が数多くとりあげられてきた。

安保闘争は、とくに青年のあいだに大きな影響を与え、それは総選挙闘争と結びつき、未組織労働者への活発なうたごえ工作活動となって現れた。

東京、福岡、宮崎、鹿児島、福島、京都などでは、うたごえ工作班の活動が新たに起こされた...

これらのことは、労働者階級の指導のもとに、政治的な闘いと諸権利の闘いが、大衆的な音楽運動と結びつき、さらに、「民主主義を守る音楽家の会」「関西音楽人の民主主義を守る懇談会」の専門家や労働者を中心にした労音の音楽運動の結合などを通して、大衆的音楽運動を前進させた具体的なあらわれである。

この事実は、政治問題や社会問題や勤労人民大衆の闘いと結び付くことが、音楽運動を成功させるカギであることを、経験を通して示している。

日本のうたごえ運動はいま、新しい発展の段階にある。

当面の課題は、日本人民の巨大な運動の前進とともに、これからのうたごえ運動をどのように進めていくか、ということである。

人民の諸闘争と結合し、発展させることと、諸闘争に奉仕することは、先進的な活動家の主要な任務である。

未組織労働者の中へうたごえを拡大することは、うたごえ運動の発展における新しい威力となる...

たたかいの魂をうたった歌は、すべての人を揺り動かす。

たたかいの中で生まれた無数の創作と、同時に、何をどう歌うか、という問題もきわめて重要である。

安保闘争とその後の運動の発展、とりわけ総選挙闘争をたたかうことによって、うたごえの活動家が大量に、(日本共産)党の陣列に加わった。

無数のうたごえ活動家を思想的、政治的、芸術的に高め、職場、地域に育てあげることは、こんにち実際的に必要に迫られている。

多くの若い労働者、農民が、日本人民の進むべき道を体で感得しているとき、以上の課題に取り組むことは、うたごえ運動の基本的活動路線である。

さらに、新しいうたごえ活動家の育成は、(日本共産)党の文化活動、大衆活動の発展にとって、きわめて重要である。

2014年09月30日 (火) 10時20分

No.488 自由民主党機関紙「自由新報」1970年6月30日付−歌劇「沖縄」の紹介(攻撃)記事文 【参考用資料】
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

“思想宣伝へ 映画・演劇づく日共”

映画・演劇など文化活動を通じて思想宣伝に躍起となっている日本共産党は、うたごえ実行委員会(関鑑子委員長)を中心に、2年余りをかけて、歌劇「沖縄」を制作、全国主要都市で公演を続けている。

「70年安保闘争の有力な武器」として「反米・沖縄返還闘争を強調する」という表向きの目的以外に、“党活動の有力な資金源” としようという狙いをもっているとも言われており、注目されている。

 *第2弾に歌劇「沖縄」
  反米・安保廃棄からめ 全国で“洗脳公演”
  −うたごえ実行委員会が音頭とり

歌劇「沖縄」は、「うたごえ20年の成果を勝ち取るとともに、70年に向けて、沖縄の即時無条件全面返還と安保廃棄を勝ち取る強大な武器とする」ことを目的として制作された。

もともと “うたごえ運動” が、日共が “みんなで、そろって歌をうたおう” というスローガンのもとに、労働組合やサークルを通じて、日共勢力の浸透を図ろうという狙いで始められたもの。

終戦後のすさんだ人心に巧みにつけこんで着々と勢力を広げ、今では加盟61団体にものぼっている。

もちろん、参加者のすべてが党員またはシンパというわけではないにしても、日共の資金源として重要な役割を果たしていると言われている。

こうした中で、(昭和)42年8月の第4回日本のうたごえ実行委員会で、「アメリカのベトナム侵略最前線基地としての沖縄を主題としたオペラをつくり、沖縄返還の戦いと、日本独立の戦いを明らかにしよう」という方針が打ち出され、43年6月完成を目指して、制作の呼びかけが行われた。

歌劇「沖縄」制作・上演実行委員会(代表者=関鑑子、屋良朝苗=沖縄政府主席、村山知義=劇作家)が結成され、制作資金1000万円のカンパ活動が展開された。

その後、カンパは800万円に訂正され、2年余りの遅れをみたものの、昨年12月に完成され、「1969年、日本のうたごえ祭典」で試演にこぎつけた。

本年に入って、4月2日の岐阜市民会館を皮切りに、6月29日、仙台市公会堂まで、25都市で公演が続けられてきた。

歌劇「沖縄」の内容が、沖縄・伊江島における基地反対、土地接収反対を素材にしたものであり、反米・反安保思想で一貫していることは当然だが、その制作、上演運動が終始、日共を中心に推進されていることが、最大の特徴と言えよう。

実行委員会には、うたごえ実行委をはじめ、労音、統一劇場、民青中央音楽院など、日共翼下の団体が加盟している。

出演者も、中央合唱団、新星日本交響楽団(44年6月、民青同盟員を中心に結成、約70名)、京都市交響楽団(蜷川[虎三・京都府]知事、富井[清・京都]市長の援助を受けている)のほか、外山雄三(作曲・指揮者)、守屋博之(関西合唱団常任指揮者)、井上頼豊(中央合唱団指揮者・セロ奏者)といった一流音楽家が指導している。

 *左翼知事らが支援

さらに賛同者、支持者としては、石垣綾子(評論家)、宇野重吉(民芸)、小原安正(ギター演奏家)、木下順二(劇作家)、谷桃子(バレリーナ)、滝沢修(俳優)、蜷川虎三(京都府知事)、福島要三(日本芸術会議会員)、堀江邑一(経済学者)、美濃部亮吉(東京都知事)、宗像誠也(教育学者)、柳田謙十郎(哲学者)など、48名が名を連ねているが、このうち28名(58.3パーセント)が日共党員、16名(33.3パーセント)が同調者と見られている。

とくに美濃部知事は、「沖縄が本来、日本の一県でありながら、今日まで自治体としての形式すら備えていないことは、日本国民の自治が、本質において大きな欠陥をもっているというべきだと、私は考えます。皆さんがつくる歌劇・沖縄は、本質をきわめて鋭く表現しています。この歌劇が、沖縄を取り戻し、明るい日本をつくる力として、東京をはじめ、全国での公演の成功を心から期待しています」− という賛辞を寄せている。

2014年09月13日 (土) 11時27分

No.487 1993年 「45周年むかえたうたごえ運動」− 関西合唱団 常任指揮者(当時) 守屋博之氏の論述
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

守屋博之「45周年むかえたうたごえ運動」
−「前衛」(日本共産党中央委員会理論政治誌)1994年1月号「文化の話題」欄より


うたごえ運動は、今年(1993年)で創立45周年をむかえた。

ここ数年、「うたごえ運動も変わったものだ」と、初期の頃を知っている人たちから言われることがある。

50年代や60年代が自分の青春時代だった人がそう言う時、どうもそのニュアンスの中には、「昔はよかった」という響きがあるようだ...

しかし、「昔」も今も、うたごえ運動の中にどっぷり浸かっている者としては、「変わった」ことは大いに認めるし(もっと変わらなければならないと思っている)、「昔もよかった」ことは実感としてあるが、「昔は」となると、そう簡単に認めるわけにはいかない...

では、残念そうに「変わった」と言っている人たちは、いったい、何を嘆いているのだろうか。

国鉄のうたごえ祭典などに参加しない限り、うたごえ運動の中でも逞しい労働者の闘いの歌が、うたわれることがあまり無くなったことだろうか。

歌の伴奏にアコーディオンを使うことが圧倒的に少なくなり、そのかわりにギターやピアノでうたうことが増えたことだろうか...

歌に感動が無くなったからか。

不特定多数の若者を対象にした「みんなうたう会」や「うたごえ喫茶」が活発でないからか。

それとも、中央合唱団や関西合唱団など、かつて「中心合唱団」と呼ばれていた合唱団の演奏が、あまり「労働者的」でないからだろうか。

それらの合唱団の活動に、大きなステージの演奏などが多く、地域や職場に出て行くことが少ないからか。

いま、思いつくままに列挙したが、このような「変化の現象」を数え始めればきりがない...

もちろん、本来変わってはいけないことが、状況に対応する力の不足のために、不十分になっているということも無いわけではないが、むしろ、状況の発展の中で、もっと変化しなければならないのに、旧態依然として立ち遅れていることがいっぱいあることのほうが問題なのである。

45周年を迎えたうたごえ運動の最大の課題は、依然として大きく運動を広げることである。

そのためには、思い切って外に向かって打って出ることが大切だ...

7年前につくられた合唱構成劇「ぞうれっしゃがやってきた」は、全国ですでに300回ちかく演奏され、上演に参加し、ステージに上がった人の数だけでも数万人になる...

この「ぞうれっしゃ」上演活動の中にこそ、運動を外に向かって広げ、打って出るための教訓がいっぱいある。

私たちがこの教訓を汲みつくし、自分のものとした時に、うたごえ運動は大きく飛躍することができるだろうし、「昔はよかった」と言っている人たちも、「今も捨てたものではない」と思ってくれるに違いない。

2014年09月06日 (土) 23時37分

No.484 歌劇「沖縄」上演に際して− 関鑑子(1969年)
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

歌劇「沖縄」は、ご存知の方々も多いと思いますが、米軍による伊江島の土地取り上げに対する島民の闘いを歌い上げたものです。
 
伊江島の島民は、戦争の惨劇を真正面から受けたばかりか、敗戦後はアメリカ軍に土地を奪われ、生活することさえできなくなったので、その血の訴えは誰の心をも打つ、劇的な事実です。

...困難を乗り切って上演が決まったのは、「沖縄を返せ」の日本中の熱意にこたえた、うたごえ運動の熱意にほかなりません。

...オペラこそは、うたごえ運動の目的達成に役立つものと念願しながら、いま20年たって実現の運びにいたったことは、何としても大きいよろこびです...

※出典:「うたごえ新聞」1969年12月10日付

2014年08月24日 (日) 12時08分


No.486 日本のうたごえ実行委員長 (当時) 関鑑子氏の年頭あいさつ−1960年
NAME:歌劇「沖縄」演奏団

[前略]

“安保反対は全国民の課題”

1959年は、この文のまず最初に掲げたように、平和の希望を明るくした素晴らしい年であった。

日本においてもまた、世界の平和情勢の発展と呼応して、警職法反対闘争の勝利に続いて、沖縄・砂川をはじめとする基地闘争、松川闘争、安保改定阻止闘争等、平和への諸闘争は、いずれも高まりを示したものであった。

この時期におけるソビエトの軍備全廃提案は、ソビエトにして初めて力を発揮できる提言で...日本における安保改定阻止の問題は、はっきりとこれにつながるもので、日本国民はこれを阻止したいと決意している一方、岸(信介)政府はあくまでもこれを押し切る決意を示している。

これは平和実現性の日本における問題である。

1960年の日本における最初の平和と戦争の対決は、ここから始まると考える。

日本における各種の平和闘争は、政府の決意を揺るがし、警職法の経験を活かして、全国民一致して、国民の意志を貫かねばならない。

その意味で、母親の運動、婦人の運動を含めて、我々の日本のうたごえ運動にいたるまで、この政治的課題を課題となしうるまで、活動はたゆまず熱烈に、国のすみずみ、家庭のすみずみ、職場のすみずみまで精力的に行われなければならない。

日本が心ならずも戦争に巻き込まれる恐れは、岸政府が存続する限り無くならない。

※出典:「うたごえ新聞」1960年1月11・21日付

2014年09月06日 (土) 00時01分






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