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ダレモイナイ コウシンスルナラ イマノウチ(ペ∀゚)ヘ
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[491]短編『秋に聞く歌、春に芽吹く葉(1)』≫月姫&シスプリ: 武蔵小金井 2004年01月14日 (水) 02時17分 Mail

 
 
 花のような、というたとえは好きじゃない。
 なぜって、花には呆れるほどたくさんの種類がある。例えば薔薇はそれだけで何千種類もの彩があり、それらは千年の歳月を経て生み出されてきたものだ。その一つ一つに作り手の思いと、育てた者の思いと、見た者の抱く思いがある。だから花全体、なんていう言い回しは貧困なイメージしかいだかせないし、そしてそれは、男が作ったものだ。女らしく、はかなき、たよわし……彼らが女に対して求めるもの、概念とでもいうべき欲求が、それに集約されていると私は思う。
 一輪の、あるいは咲き乱れる花々。それは確かに美しく、観た者の心を潤すのかもしれない。甘美な芳香は、百の言葉より雄弁な誘惑の導き手となるだろう。だが彼女たちはものを言わない。自ら動くこともない。ただ美しく育てられ、必要に応じて手折られ、そして用が済めば枯れ果てるだけの存在だ。目の前の花に飽きたらどうする?男たちの誰もが答えるだろう。別の花を探すだけだ、と。
 妙に力が入ってしまった。私は別に男性という存在そのものが嫌いなのではない。男尊女卑という熟語について論じたいとも思わないし、私の学院にいる自尊心だけが過剰に発達した女生徒たちのように、彼らの存在を汚らわしいものとして弾劾する気もなかった。今の世界は男社会として築かれたのだし、それは男が女より強かった結果だ、ということを理解できないほど愚かではない。もちろんその強弱は人が作り出した、社会的な定義とでも言うべき、さらにはその中の表面上の法則としての……いわば、ただの不文律にすぎない。種として男子が女子より強い、という事実などどこにもない。世界の半分は女でできており、それは有史以前から変わらない事実だ。女とは男によって作られたのではないし、彼らに奉仕するために生きる者ではない。そして同じように、男も女から作られたのではなく、繁殖のために私たちを陵辱する者ではない。私は何かを冒涜しているだろうか。そうかもしれない。
 話がそれてしまった。どうしてだろう。けれど、それでもいいかもしれないと思う。私は昔から文章を綴るのが苦手なのだ。物を記す、という作業は自分の感情を冷静に分析する、という行為に似ている。そして私にとって、それは絶対に的を射た結果を生み出さない。つまり、そこには真実など書かれていないのだ。
 でも、こうも思う。たとえ目の前に刻まれるのが嘘ばかりの中身としても、書かれた文字の軌跡には真偽などない。読む者一人一人にとって受け取り方は違うのだろうし、だからこそ、そこには本当の言葉だけがあると思う。記した本人以外には決して理解できないことでも、書き込まれた文字そのものが変わることはないのだから。だからそれは、口にする言葉より遥かに読み手に近しいものとして映りこんでくる。語る者の表情も、声も、姿も何も見えないからこそ、私たちはそれを個々で思索し、気付こうとするのかもしれない。誰もが一人であることに不安なのだろうか。そうかもしれない。
 前置きが長くなってしまった。これではいけない。たった一人の少女のために、何ページを費やしてしまうのだろう。私は自伝などを書いているつもりはない。私の祖先の中にはそのような作業に及んだ者が何人かいた。だが彼彼女らの多くは、歳月を経て年老いた後にそれを成している。まだ二十歳にもならない私が、余生を振り返るが如き行為にうつつを抜かしていいはずがない。たとえ今の私はかつての先祖の多くと同じ立場であり、ある面で彼ら以上の地位と権力を有しているとしても、である。何より、私にはその意志がない。そんな気持ちは皆無と言ってもいいだろう。自分がそんな時間を求めていると思いたくもないし、そんな安息は私には与えられないだろうとも思う。
 とにかく私は、そんな日々の中で少女に出会った。そう、花のようなというたとえが嫌いだという述懐と矛盾するかもしれないが、私がその少女を見た瞬間に思ったことが、それだった。花のような、一人の少女。今考えてもわからないが、どんな花だったのだろう。私の心に浮かんだはずのそれは。庭の花壇に咲くマーガレットだろうか。琥珀が育てている、名も知らぬ異国の色とりどりの花だろうか。わからない。
 場所は会館のホール。私とその少女を引き合わせたのは、その会館を稽古場にしている、日本舞踊の師範だった。今年で齢六十八となるはずの人だけれど、まったく彩を失わない彼女。師範は私が尊敬する数少ない女人の一人でもある。その舞いは現役を半ば退かれている今も流麗で、人柄は優しいだけでなく、時に烈火の如く厳しく鋭い。私はこの稽古場に十年以上通っているが、初めて出会った時から彼女は変わっていないように見える。無論、実際にはそんなことはない。不老の人間などこの世にはいない。そう、いてはならない。
 筆が少し止まった。とにかくその日、師範が私を呼んだのは、年明けの初舞で私が舞台に立つことになったという通達だった。無論人前で踊るのは初めてではないし、嫌なことでもなかったので私はそれを承知した。正直、今まで踏んだ舞台に比べても屈指の場に選ばれたことが、ほんの少しだけ嬉しかった。でも、そこで師範は付け加えた。今回は二人一組での舞台で、もう一人共に舞ってもらう相手がいると。演目も確かにそうであり、だが弟子の中でも年少組の少女がそれに選ばれたのだと私は聞いて、少し驚いた。これを踊れる子供がいるのかというのがその疑念だった。そしてその直後に、少女に出会った。そう、花のような少女と。
 まとめた長い髪に白い肌。えび色の着物に淡紅の帯。ほんの少しだけおしろいを塗った頬が赤く染まっている。まだ十代に足を踏み入れたばかりなのだろう、私がうらやましく思えるほど肌はみずみずしかった。大きな、ほんの少しだけ藍を滴らしたような色の瞳が、私をじっと見つめていた。こちらが一瞬、ドキッとするような眼差しだった。そして、少女が屈む。よく整った動きだった。百人はいる年少の娘たちから初舞の舞子として選ばれたのだから当然かもしれなかったが、よほどの鍛練と教育を受けてきたのだろう。きっとそれは私同様に厳しく、辛い日々だったに違いない。この子はどうやってそれを乗り越えたのだろうか。私はこの名前も知らぬ少女の前で、ふとそんなことを考えた。
 だが、そこで師範が私をたしなめた。我に返り、師範と少女に詫びる。なんということだろう。礼儀を重んずる場で、挨拶も忘れてただ立ち尽くしていたのだ。羞恥が私の中に満ち、そうしながらも体が動く。何百何千と繰り返して身に付けた行儀。きっとそれは、この少女も同じだろうと思う。
 私が挨拶をすると、少女は少し驚いた顔になっていた。私の今の失敗をまだとがめているのだろうか。そう思った私の前で、彼女がまた少し頬を染めて一礼を重ねる。
 春歌。
 少女はそう名乗り、笑った。花のような笑顔だった。
 

 
 拝啓、兄君さま。
 その日の私ほど、幸福の絶頂にいた娘もいなかったと思います。
 欣喜雀躍。日ノ本には福徳を運ぶ尊き七柱の神がいると申しますが、まるでその方々がお揃いでお宮参りをして下さったかのような……そう、伝え聞く傘地蔵様のお話のように、私のお屋敷の門に舞い降りて下さった幸せの女神様……神様でなく女神様なのは、やっぱりというべきでしょうか、その方がここではふさわしかったからで、決して私が男神さまをこばかにしているからではありませんわ。そうです、私の兄君さまの守護神の如く、誇り高く勇ましい白馬に乗った大神のように、平時においては寛容を旨とし民人を義と仁の下に治め、いくさ場においては武と勇において並び立つ者とてない偉大なる御方……あぁ、私もいつか兄君さまの出陣を見送り拍子木を打ち鳴らし、ねじり鉢巻きで炊き出しをするようなかいがいしい大和の女将になりたいものです。そのためにも、日々精進を忘れずにいるのですわっ。
 ああ、いけない。また私としたら思いのたけのままに。筆の取るまま赴くまま、そんなことが許されるのは万人にその才を認められた歌人の皆様だけだというのに、またこのような文で白い項をいくつも無駄にして。これを遠き西欧のお祖母さまが見たら何とおっしゃるかしら。お祖母さま、春歌はお祖母さまの教えを忘れず、ヤマトナデシコとしての練活の日々を送っております。いつか訪れる兄君さまとの運命の刻……永劫のさだめによって背の君として身も心も捧げるその日のために、お祖母さまのような立派な日本女性の一員になるべく、こうして筆を走らせているのですわっ。
 それにしてもあの方……そうです、あの方のことを記そうと思って今日の筆を取ったのですから、それをないがしろにするわけにはいきませんわ。ですけれど、あの方に出会った時の驚きは、とても満足に表現できるようなものではございませんでした。そう……そうです、畏れ多いことなれど、兄君さまをかの源氏の君とすれば、あの方こそ君が叶わぬ想いを寄せる藤壷の宮……薄幸なれど気高くお美しいその御身の如きに凛々しいあの方のお姿を目前にし、私はしばし言葉を失ってしまったほどでした。華美、という誉め言葉はよく使われますけれど、本当にそれにふさわしいのはお祖母さまや師範さまなどの立派な先達の皆様を除いては、あの方しかいないと思いますの。とにかくそれはもう美しく、桜のように白いお顔と紅の着物があまりに見事で、春歌は御挨拶もそこそこ、まぶしさに目を逸らしてしまったのですわ。
 ですが兄君さま、そこであの方が……そう、御自分の名前を教えて下さったのです。その名を聞き及んで、私は本当、涙が零れてしまうかもしれないと思いましたの。だって……紅葉の錦、神のまにまにという歌そのままの御方だったのですから。でも、それで私、また失敗してしまって……お言葉をかけようとしても、何一つ非の打ち所のないこの方に捧げられる歌などあるはずもなく、それを察したその方は、まさに錦秋の候の言葉のまま、銀杏の葉を散らせる秋風のようにうなじにかかる艶やかな髪をばぁっとかきあげると、私の前から歩み去ってしまいましたの。
 ですが私、自分が大失敗をしたことにも気付かず……ああ、どうか私をお笑いにならないで下さいね、兄君さま。ただ、その方の立ち振る舞いの見事さと、背にたなびく長い長い黒髪の美しさに、ただその場でお見送りするしかなかったのですわ…………ぽっ。

 

 春歌はとても変わった少女だった。
 誤解のないように書き加えれば、それは決して変、という意味ではない。ただ、ありきたりではない、どこにでもいるようなタイプではない、という意味だ。どうしてこんなことで念を押すのだろうかとも思うけれど、きっとそれは、どうしてもそれだけは誤解されたくないからだ。私以外が目にするはずもないこの記録の中にそんな必要はないはずで、それでもわざわざこんな書き方をしてしまうのは、私自身が自分に言い聞かせたいのかもしれない。春歌は変わった娘で、だがそれは、そういった意味ではないのだと。なんだか、こう書いてみると余計にわからなくなってしまう。つまり、私は……彼女は違うと言いたいのだろうか。違う?誰とだろう。この私とだろうか。それとも、まったく逆の意味なのだろうか。どうにもわからない。
 とにかく師範に紹介されたあの日から、私は他の弟子たちと離れ、春歌と二人で稽古を始めた。彼女は驚くほど舞に練達しており、さらには師範が教えるままに上達していった。必死にならなければ私が置いていかれるほどで、年上としてそれは許されなかったが、それでも時として私の目を奪う春歌の舞いは、悔しいけれども、決して不快ではなかった。またこういう書き方をしてしまうが、彼女には確かに花がある。一挙一動、その涼やかに響く声にも一本芯が通っていた。目を引き、耳を傾けずにはいられなくなるような、秘められた何か。共に演目を学んでいくうちに、私はそんな春歌の魅力を理解していた。そしてそれは、稽古場を離れた今も消えない。目を閉じれば、すぐにでも彼女の姿が浮かんでくる。
 笑う。これではまるで、私が恋をしているようだ。規則も忘れて下駄箱の中に入れられる文や、真っ赤になって寄宿舎裏で渡される封書のような、そんな文面。なんということだろう。でもそれもどうしてか、気分の悪いものではない。確かに今、私は筆を走らせながら笑っていた。こんなことは、ずっとなかったのだから。
 春歌は帰国子女だった。後日その正式な家名を聞いて驚いたのだが、春歌は私の想像を越えて由緒正しい家柄の娘だった。もちろん、稽古場に通う女性のほとんどがそうであるのだが、それでも私は彼女がそんな、と驚きを隠せなかった。でもそれは、同時に感銘ももたらしてくれた。この少女もまた、私と同じさだめを背負っている。それでいて、春歌はそのさだめを重責として……いや、自ら背負う荷としてすら思っていないようだった。知らないのか、知っていてなおそうできるのか、それは今もわからない。子供だから、と言ってしまうつもりもなかった。なぜなら、彼女の意識は自らの律する部分にはなく、その挙動はほとんど全てがある一つの方向性を有していたからだ。私がそれを完全に知り得るまでにはかなりの時間がかかったのだが、そうなる前に……私は自分が春歌に抱く何かの思いの、あらゆるきっかけともなる根源を悟った。
 彼女には、想い人がいたのだ。
 春歌は恋をしていた。それも、並大抵の恋ごころではない。恋する想いに大小や上下差はないかもしれないが、それでも春歌の想いは尋常ではないと言い切ることができた。稽古場で、あるいは稽古前後の彼女との会話の中で、幾度か繰り返されるその素振りに疑念を持ち、師範に聞くに至り、私はようやくそれを知った。
 春歌には家族とも言うべき、将来を約束された慕うべき相手がいる。師範が少し難しい顔で伝えたそれだけで、私には十分すぎるほどの確証になった。おそらく、いや間違いなく、親同士の決めた許嫁なのだろう。そして春歌はずっと昔、それこそ物心ついた時分からその相手に恋し、遠い西欧の地で想いを暖めてきたのだ。
 最終的に彼女自身の口からそれを聞くに至り、私はたとえようのない……あえてたとえるとすれば、親近感、だろうか。そんな思いに包まれた。幼き日の想い。それを大切にして、だけれど、ずっと逢えないままで……それでもこの少女は、今なおその相手への想いを持ち続けている。そしてそれは、決して揺らぐことのない強固な意志だ。彼女、春歌の中でその許嫁とは、絶対の存在なのだ。私には痛いほどそれがわかった。わからないはずがなかった。
 もう一つ、私にとってとても愉快なことがある。それは、彼女がその許嫁を呼ぶ敬称だ。彼女の育ちにふさわしく、とても古風な呼び名なのだが……目上の殿方を敬って呼ぶ名としてのそれが、私にはとても印象深かった。最初にそれが春歌の唇から発せられた時など、思わず耳を疑って聞き返してしまったほどだ。そして、私の問いに頬を真紅に染めて恥じらう少女の様子が、私にはどんな説明よりも雄弁にその秘めた想いを伝えてくれた。だからだろうか、屋敷に戻ったその日、一人の部屋でそれを口にしてしまった。自分の声で、それを。小さく、囁くように夕陽の庭に流れた一言。
 何を書いているのだろう。もうよそう。春歌は可愛らしい娘で、そして来週はもう本番だ。彼女の踊りは完璧だが、私はまだ自信がない。そして、失敗するわけにはいかない。なにしろ、その席には彼女の想い人である許嫁、その人が来るらしいのだ。そんな席で、春歌に恥をかかせることなどあってはならない。琥珀に明日の予定を確認して、もう眠ることにしよう。 



 背景、兄君さま。
 御機嫌はうるわしくいらっしゃいますでしょうか。
 いよいよ初舞の舞台は明日です!春歌はもう、今朝から胸がどきどきしてしまって……お食事もあまり進まず、お女中の方に悪いことをしてしまいました。ですけれど、いよいよ明日が……あぁ、私如きの舞いを兄君さまや皆さまの前で見せなければならないのだと思うと、恥ずかしくっていてもたってもいられないのです。師範さまは、自信をお持ちなさい、たとえ失敗をしてもそれを乗り越える心を持ってすれば、舞いに魂はこもるのです、それに、春歌さんに限ってそのようなことがあるはずはありません、とおっしゃってくださるのですけれど……あぁ、やはり日ノ本にその人ありと謡われた師範さま、私のような未熟者をはげますためにお言葉をかけてくれたのだとは存じますが、やはり……ううん、すみません兄君さま。春歌がこのようなことばかり書いては、兄君さまに心配をおかけするだけ、とわかっているのですけど……どうしても春歌は、春歌は……晴れの日に兄君さまの前に立つのかと思うと、落ち着くことができないのです。
 でも、そうしていたら……そうです、兄君さま。本当に何度も何度も繰り返すようですけれど、あの御方……秋葉さまが、私にすっと手を差し伸べて下さって。春歌は私よりずっと筋もいいのだし、貴方の大事な人のために、心をこめて精一杯舞えばそれでいい、想いは伝わるわ、って……ああっ、やはり師範さまが一目を置かれ、いずれはその名取りを得る方にふさわしく、私を元気づけてくださって。私よりずっと演舞が厳しく、御自分の練習が大変であらせられるのに、私などの指導にさらなる時間を費やして下さって……もう春歌は嬉しいのとすまないのとで言葉もなく……ですけれど、これほどまでにして下さった師範さまや秋葉さまのためにも、必ず明日の舞台では恥ずかしいところを見せないようにしなければ、と決意を新たにいたしました……ぽっ。
 ああ、でも思えば秋葉さまは……兄君さま、これほど麗らかな佳人はいらっしゃいません。由緒正しい家柄にして品行方正、聡明にして沈着、まさに金声玉振を絵に描いたような、私の理想そのままのヤマトナデシコ……ああっ、決して他意のあることではありませんけれど、この世にもしも……もしも、私以外に……その、兄君さまにふさわしい姫君がいらっしゃるとすれば、それはきっと……間違いなく秋葉さまのような御方であると思いますの。目上の方にも間違いがあれば臆することなくしっかと問い返し、私のような若輩にも分け隔てなく接して下さる秋葉さま。ああ、春歌はいつの日か、あのように素晴らしい女将になれるのでしょうか。何だか失敗ばかりで、明日の舞台一つにおろおろして、食事も喉を通らないなんて……兄君さま、こんな不肖の私ですけれど、どうか見捨てないで下さいませ。きっといつか、私も秋葉さまのような……兄君さまにふさわしい立派なヤマトナデシコとなってみせますから……ぽぽっ。
 ああ、もう床入りしなければならないようですわ。行灯の光から面を上げて障子をずらして見れば、遥かに見渡せる日ノ本の大地……つねづね思うことなれど、春歌はこうして兄君さまのいらっしゃる故国に帰って来たのですもの。遥かな独逸の空から私を見守って下さっているお祖母さまのためにも、私はくじけたりいたしませんわ。明日の一世一代のひのき舞台、兄君さまに恥ずかしくない舞台をお約束致しますわっ!
 おやすみなさい、兄君さま。
 
 


[492]短編『秋に聞く歌、春に芽吹く葉(2)』≫月姫&シスプリ: 武蔵小金井 2004年01月14日 (水) 02時21分 Mail

 
 
「ふぅ……それにしても、凄い人だね。こういうのって、もっとこじんまりとしているのかと思ってたけど……」
「とんでもありません。この新年の舞台は別名を春宵祭と言って、古くは平安時代までさかのぼる、由緒ある日本舞踊の舞台なんですよ。」
「へぇ……平安時代?」
「そうです。時の後白河法皇が、一年の厄を払い宮中を始めとして日ノ本全土の民人が幸福に包まれてその年を過ごせるようにと、広く全国より腕自慢の舞姫を集わせ、花のお江戸は桜田門のお白州で舞いを競わせたのがその始まりといわれているんですっ。それに選ばれるなんて、秋葉お嬢様も御立派になられて……よよよ。」
「そ、そうなんだ。凄いんだね……って、あれ?琥珀さん、平安なのに江戸って……それに、桜田門って確か……」
「あ、こっちですよ志貴さん。ほら、翡翠ちゃんも遅れない遅れない。しっかり志貴さんに掴まってるんですよ。よし、突撃近所の朝御飯ー!」
「えっと、あの、うわっ……!」
「…………姉さん……」
「あ、あの、琥珀さん?何だか他の人たちと、向かってる方向が違うんだけど……?」
「いえいえ、いいんですよー。ほらほら、ちゃんとプラカードも下がってます。」
「下がってるって、これ、関係者以外立ち入り禁止って……」
「あはは、なに言ってるんですか志貴さん。私たちは秋葉さまの応援に来たんですよ?立派な関係者じゃありませんか。ね、そうですよね翡翠ちゃん?」
「それは…………納得ずく……」
「ひ、翡翠?」
「ほら、翡翠ちゃんも快く了承してくれたじゃないですか。こうなれば後は野となれ山とナデシコですよっ。そそくさー。」
「……って、また強引に……でもさ、まずくないか?だって、秋葉には俺が見に来ること秘密にしてるんだろ?もし、こんなところでバッタリ出くわしたら……」
「あはは、またまた。なに言ってるんですか志貴さんってば。」
「でもさ、あいつの性格を考えると……」
「あー、いけませんよ志貴さん。秋葉さまのことをあいつだなんて。それに、秋葉さまが晴れの舞台を志貴さんに見てもらいたくないわけないじゃないですか。内心では志貴さんに見に来てもらいたいけど、でもやっぱり誘うのもどうかって……あぁ、悩まれている秋葉さまを見るに見かねて、今日の『遠野三人かしまし所帯透波大作戦』を遂行することになったんじゃないですか。」
「そ、そんな計画だったの?だって俺は、今朝起きて翡翠に……」
「あーっ、さては翡翠ちゃんの連絡通達受信ミスですね?もう、ダメじゃないですか志貴さん。翡翠ちゃんのピピッと電波信号、ちゃんとアンテナ向けて受信しないと。いざという時、日頃の訓練の成果が発揮できませんよ?ただでさえ、秋葉さまのお目付桜夜桜が厳しいんですから。二人とも、深く静かに逢引してくださいねー。」
「姉さん……違う……」
「そ、そうだよ!俺は……」
「まぁまぁ、翡翠ちゃんも志貴さんも真っ赤になって照れない照れない。喉元過ぎれば熱さ寒さも彼岸までですよー。うっふふ、私は秋葉さまも翡翠ちゃんもそれぞれ応援してるんですからねー。」
「な……」
「とにかく、先を急ぎましょうっ。こんなところで油を売ってたら、美濃の三人衆として末代までの恥ですよっ。開演前の秋葉さまを直撃して舞台を目茶苦茶にし、見事先祖の悲願を達成するウルトラシークレット計画がパーになってしまうんですからっ。ではレッツゴー、三人が晴れ着を着るっ!」
「こ、琥珀さん!今、何か……」
「志貴さま……速めに……」
「はいはいお静かにー。さあ、そこの角を曲がれば……はい、ここが控え室ですよ。」
「な、なんだか立派だね……本当にこれ、楽屋なの?スダレとか……」
「そうですよー。この中では今、柔肌を晒した秋葉さまが大勢の付き人にかしずかれて、一枚一枚十二単をおまといになっているんですから……あ、志貴さん!鼻の下をずいっと伸ばさない下さい!」
「え!?あ、そ……そんなことは……あ、ひ、翡翠?」
「……志貴さま……不謹慎です……」
「そ、そんな!誤解だよ!俺は、別に秋葉のそういう……」
「うふふふ、遂に本音が出たようですね、志貴さん。さあ、ここまで来たからには観念して下さいな。これをくぐれば、もう後戻りはできませんよ。さあさあさあ、どうします?」
「ち、ちょっと、琥珀さん……だ、だって、中では秋葉が着替えてるんじなゃ……わっ!」
「なに言ってるんですか。そんな時こそボーイ・ミーツ・サプライズですよー。大丈夫です。いかに秋葉さまといえども、仏の顔も三々九度。私と翡翠ちゃんで霊園の手配から供養まで、バッチリ任せておいて下さいねっ。」
「姉さん、そこまで……」
「な、なに考えてるんだ琥珀さん!それに翡翠も……そんな冷ややかな顔しない!ち、ちょっと……」
「あら、どなたかの足音が……?」
「あ、兄君さまー!」
「う、うわぁ!な……!」
「……どんがらがっしゃん……」
「うわぁ、これまた派手に倒れましたね……志貴さん、それに……まあ、可愛らしい。」
「あ、あの……ワタクシ……兄君さま?あ……!」
「だ、大丈夫かい?驚いたよ、いきなり飛び出して来て……」
「す、すみません。ワタクシ……お、おひと間違いを……どうしましょう……ぽっ。」
「まぁまぁまぁ!何て可愛らしい。大丈夫ですかお嬢さま?志貴さん、ちゃんと抱えていらっしゃいます?ギュッと、肌身離してませんか?」
「あ、ああ。倒れたけど、彼女はちゃんと抱きかかえて……って、違うっ!」
「志貴さま……」
「翡翠も!琥珀さんも、見てないで俺……じゃない、この娘を助け上げてくれ!動いたら、この子の着物が……」
「はーい。任せておいて下さい。ちょっとモッタイナイですけど、いたしかたありませんね。では翡翠ちゃん、はい、そちらを持って……よいしょ。」
「…………こらしょ……」
「あっ、ありがとうございます……あの、その……本当に申し訳ございません。殿方の歩みをくじくとは、ワタクシ、なんとはしたない真似を……あの、お怪我はありませんか?万が一のことがありましたら、ワタクシがこの身を……」
「い、いや、俺は大丈夫だけど……君の方は?その洋服……じゃない、和服さ、物凄く立派だけど……汚れたりしてない?派手に倒れたし……」
「いえ、ワタクシのことなど……あ、あの……」
「ピッピッピー、チェック完了ですっ。こっちはオッケーですよ。」
「……大丈夫です……」
「よかった。それじゃ俺達は……って、そうか。秋葉は、この部屋にいるんだっけ……」
「えっ……い、今なんと……もし、今、秋葉さまと申されましたか?」
「えっ、あ、そうだけど……あれ?もしかすると君、秋葉のこと知ってる?」
「まぁ……ぽぽっ。はい、もちろん存じておりますわ……ワタクシ、今日の舞台を秋葉さまと共にする栄誉を頂いておりますの……もったいないことながら、一世一代の晴れ舞台ですわ……ぽぽぽっ。」
「そ、そうなんだ。へえ、秋葉と一緒に……」
「まぁ……あのその、そうしますと、あなたさまはもしや……」
「あ、うん。秋葉は俺の妹なんだ。だから……」
「なんと!それではやはり、あなたさまは秋葉さまの、兄君さまなのですね!?」
「あ、アニギミサマ?ま、まあ……そうとも言えるかな?」
「するとそちらのお二人は、腰元の方ですのね……ああ、秋葉さまに兄君さま、お二人にお仕えするにふさわしい清楚可憐な方ですわ……ぽっ。兄君さまも凛々しくてあらせられて……ぽぽっ。」
「こ、腰元?あのさ、俺は……」
「ああ、いけません。どうかこちらへ……秋葉さまの大切な兄君さまを廊下などで応接したなどと、末代までの恥になってしまいますわ。ささ、待ち合い室ですがどうかお入りになってください。ワタクシが今、お茶など……」
「はいはーい、いま玉露が入りますよー。翡翠ちゃん、その棚にお茶菓子が入っているみたいですから、お茶と一緒にお出ししてくださいねー。」
「…………了解……」
「……って、二人とも!いつのまに中に?」
「ああっ、さすが秋葉さまの腰元の皆様……どうもありがとうございます。さあ、兄君さまもお入りになって……上座にどうか……よよよよ。」
「い、いいのかな……あっ、ありがとう翡翠。でも、くつろいじゃっていいの?舞台、そろそろ……」
「はい、まだ少し間がありますから、大丈夫です。それに、秋葉さまの兄君さまにそそうをしたとあっては、ワタクシ秋葉さまに立つ瀬がございません。日頃からお世話になってばかりなのですから……」
「そ、そうなの?うーん、アキラちゃんとはちょっと違う感じだけど……って、お、俺の顔に何かついてる?」
「あ、いえっ……その、あの……申し訳ありません。ワタクシつい……ぽぽっ。なんてはしたない……ぽぽぽっ。」
「うふふふー、志貴さまったら、相変わらず相手が可愛いとすぐメロメロなんですからー。よっ、美少女キラーっ!」
「…………。」
「そ、そこ!横から茶々入れない!翡翠も顔背けないで!まったく、人聞きの悪い……ご、ごめんね。誤解しないでね?俺は別に……」
「はい、わかっておりますわ。秋葉さまのお選びになった御方……どのような強く気高くりりしき殿方であらせられるのかと、つい……ぽぽぽぽっ。」
「え……選んだ?あの……」
「ああっ、はしたない娘と思わないで下さいまし。ワタクシの兄君さまについては、秋葉さまにも日々お耳を騒がせてしまうばかりで……でも、秋葉さまが御身の兄君さまについて今まで何も申されなかったのは、きっとそのような話を聞かせてワタクシにいらぬ気遣いをさせないためなのだと、今はよくわかります……ぽぽぽぽぽっ。」
「あ……あの……もしもし?」
「……でも、このような素敵な兄君さまだったのですから、無理もありませんわ。ワタクシもはしたなきことなれど、心に決めた兄君さまがいらっしゃらなければ、思わず心が動かされてしまうに違いありませんもの……ぽぽぽぽぽぼっ。」
「うわ、これは……って、翡翠?琥珀さん?ふ、二人ともどこに……ぁ!」
「あ…………兄さん…………?」
「あ、秋葉……!?お前、どうして……」
「そんな、兄さんこそ……どうしてここにいるのですか?だって、今日の話は……」
「まあ、秋葉さま!いらっしゃいませ。僭越ながら、ワタクシ先程から、秋葉さまの兄君さまに……あ!」
「あれ、秋葉……その、後ろの人は?」
「あ、ええ。その、こちらの人は、春歌の……」
「あ……兄君さま!来て下さったのですね!兄君さまぁっ!」
 
 


[493]短編『秋に聞く歌、春に芽吹く葉(3)』≫月姫&シスプリ: 武蔵小金井 2004年01月14日 (水) 02時24分 Mail

 
 
 
 新春の早い陽光が沈んでいく。
 なんだろうか、この気持ちは。動悸を感じる。高揚感めいた、それでいて禁忌の淵に立っているような、少しだけ危険な感覚だった。抑制しようと務めても、どうしてもうまくいかない。何がどうしてしまったというのだろう。酔っている……のだろうか。まだ、何も飲んでいないのに。
 不思議だった。ここは私の屋敷で、いつもの私の部屋で、何一つ変わらない日常がある。からっぽ、と言ってもいい閑散とした屋敷。でもそれは、私にとって自らの意志で作り上げた、必要な空間だった。そう、大切な人と過ごすために築いた私の領域。
 違っていることと言えば、ただ一つだろうか。今ここに、小さな来客が訪れている。そう、あの少女、春歌。彼女を招いたのは他ならぬ私自身だった。無論、彼女の家……彼女の後見人に許可は得ている。そして、春歌も私の招待を快く承知してくれた。そして今、彼女は応接間にいる。
 先日の初舞の舞台は無事に終わった。舞台自体に、何一つ問題はなかった。あの騒ぎの後、春歌は物怖じせず普段の……いや、それ以上の華麗な演舞を見せた。その手を携える私の方が圧倒されそうになったほどだ。鼓の音色と共に春の舞台に舞う春歌は、その名のままにあまりに美しかった。私が見てそうだったのだ。老若男女……観客のほとんどが驚嘆の思いで春歌の踊りに見とれたことは疑いない。そして私も、負けじとそれに応じた。不思議と、動揺はなかった。目の前の人の波の中に、兄さんが見えたとしても。それは普段の私とはどこか違う、そして不思議な感覚だった。
 そう、兄……兄妹。
 また、笑いを堪えてしまう。それは、おかしさだけではない……もっと深く、それでいて楽しさも宿した、けれどどこか苦笑めいた色もある、不思議な笑いだった。
 光と影、というたとえがある。陰と陽、表と裏……何でも構わないが、私と春歌は、結論付ければまさにそういう関係だった。表情が豊かで、物腰は柔らかく、常に身を引いてかいがいしく振る舞う彼女。私はそういった女が総じて嫌いなはずだった。でも、そんな自分の観念を思い出した時には、既に私は春歌を認めてしまっていた。どうしてなのかそれはずっとわからず、だからといって、それが何なのか答えを出そうという気にはなれなかった。ウマがあった、などという俗な言い回しとは違う。春歌は私を慕ってくれたし、私もそれが嫌ではなかった。やはり、うらやましかったのかもしれない。いや、間違いなくそうだったのだ。今は、それがはっきりとわかる。その理由を、私はあの日、舞台に立つ直前に知った。
 発表会の朝、私は会場の待ち合い室で春歌を待っていた。だが、その日の朝が早かったこともあって、私は待つのも手持ち無沙汰になり……何の気なしに、春歌を迎えに出た。来賓を含めた人の多さに、どこかで迷子になっているのかもしれないと思ったこともある。私は通路やホールなどを探し……
 そしてそこで、一人の青年に出会った。
 今も、不思議になる。身なりがどうとか、仕草がどうとかいうのではない。そういう言い方をすれば、彼はあまりに凡庸だった。どこにでもいそうな、そして誰もが振り向くこともなさそうな、一人のありふれた青年。年の頃はどれくらいだろうか。私と同じようでいて、二十代にも見える……子供と大人の間を不安定に揺れ動いているような、そんな人だった。そして、私と同じように誰かを捜しているような彼と目を合わせた瞬間、私は彼の正体に気付いた。直感めいた、それでいて確信にも似た、そんな感覚だった。彼が……この青年が、春歌の許嫁、想い人なのだと。 
 正直、そう気付いた直後に複雑な気持ちになったことは否めない。頬を染めて恥じらい、それでも許嫁への想いをつむぐ春歌……それを見聞きするたびに、私はほほえみながらも、漠然と不安を感じていた。それは、一途な春歌をかすかにうらやむ気持ちなのかもしれなかったが、そもそもこのような純真無垢な少女に想われる相手に対する、人となりというものへの疑念だった。もしもその相手が軽薄な、どこにでもいる男の一人だとすれば、ある種盲目的な恋慕を捧げる春歌にとって、その想いは決して幸せをもたらさないだろう。もちろんそんなことを春歌に問い正すわけにもいかなかったし、問われれば彼女はきっぱりと否定したと思う。その気持ちは私にもわかった。自分自身で何を口にしようが平然としていられたが、私以外の誰かがあの人の悪口を言うことは、絶対に許せないのだから。
 今、珍しく翡翠が私を呼びに来た。きっと、琥珀は料理に夢中になっているのだろう。あの子を招くことを伝えた時から目を輝かせていたから、もしかしたらリビングでつきっきりなのかもしれない。普段なら後でとがめようと思う彼女のそんな性癖も、今の私には嬉しく思えた。何より、春歌には笑顔が似合う。あの笑顔が、私に力をくれたのだから。
 話を戻そう。とにかく私はその青年……春歌の許嫁である男性に出会った。彼は無作法ではなかったが、それでも礼儀にかなっているとは到底思えない態度で私に接した。いつもの私ならばその手だけでなく言葉さえきっぱりと払いのけただろう。でも、その場の私は、彼が春歌の意中にする相手だと確信し、同時にそれが理解できた自分に驚いていたから、そういった態度を取ることはできなかった。今では、自分が彼にどんな挨拶をしたのかも思い出せない。それは、春歌に初めて出会った時に似ていた。認めたくないが、たじろいでいた、という言い方が一番近いかもしれない。
 とにかく、私は彼と話をした。それほど長い会話ではなかった。挨拶を交わしたのはいいが、私は言葉に詰まって……本来の目的を思い出した。頭の中でそれを復唱してから、私は彼に向かってそれを口にしかけて……彼もまた、私にまったく同じことを告げた。つまり、私たち二人は互いに彼女の名前を口にしたのだ。春歌、と。
 それが、私の推測を裏付けする最後のカードになった。私が聞き返すと、驚いたことに彼もまた同じようなことを言った。どうやら、春歌から少なからず私のことを聞いていたらしい。私は春歌が私についてどんなことを彼に言っているのか興味があったが、初対面の場でそれを聞くほどぶしつけではなかった。ただ彼が口にした、春歌が私に世話になっているという言葉を否定することだけは忘れなかった。それは、言うなれば正反対だ。ここしばらくの私は、春歌のおかげで笑っていられたのだから。
 そうだ。それを認めれば認めるほど、自分が嫌になる。私は身辺とこの屋敷を整理し、万端を整えてそれに備えたはずだった。それは私の今までの人生と、これからの人生の全てをかけた計画だった。私はそのために何もかもを容認し、あるいは裁断したのだ。背負ってなお想像を絶する苦痛と重責が、あらゆる負のそれが私に伸しかかっていた。でも、それをするだけの価値があった。それに耐える理由があった。私の命は、今の私の生は、全てそのためにあるのだから。
 だけど、そうして今の生活を手に入れてなお、私は満足していない自分を知っている。押し込め、諦めてしまったはずの、何か。それを、諦めきれていない自分がいた。あの秋の凄惨な事件を越えてなお、私はそれを……自分の我を、奥底の焔を消せないでいる。そして手に届かないものを、手に入れてはいけないものを求めようとしている。それは禁断の果実の如く、手を伸ばせば触れることはできても、食すればすべてが終焉を迎えてしまうはずのものだった。
 でも、それでも、想いは消せなかった。欲求は消せなかった。見ているだけでいい、声が聞こえるだけでいい、そばにいられるだけでいい……それには、際限などなかった。どうにも抑制できない、あの人への想い。そこにいる、一番近くにいる人への想い。それが、私を苛み、狂わせる。
 情熱。その言葉は、私にとってどれだけの皮肉に満ちているだろうか。平静を保つために書き綴っているこれがいけないのかもしれない。だけど、せめてこうでもしなければ、私はどうにかなってしまうだろう。そう、そう思い……そして、そんな私か今、笑っている。
 だけど、笑いたくもなる。なぜって、私は逃げたのだ。自分の気持ちに正直に向き合うことから。過去を言い訳にして現在を納得させ、未来を見ないようにしている。目に入る全てを重荷として自分自身の心を押しつけ、その動きを封じている。
 でも、春歌は違った。私と正反対に、彼女は何一つ隠していない。春歌はそれを認め、それでいてなお、ああ振る舞っていたのだ。もちろん、それは彼女の幼さゆえの意識かもしれない。おそらく、ほとんどの者が彼女の想いを一笑に伏すだろう。何という幼稚な、そして無知な小娘なのかと。
 でも、私は違う。私だけは違う。それはきっと、私にしかわからないことだ。そう、たとえ春歌には関係なくとも、春歌自身がどう思っていようとも、私にはわかるのだ。そう……記された文字に真偽が刻まれないように、春歌を見た私にだけ理解できる、意味。
 ずっと、怖かった。その想いに身を委ねるのも、向き合うのも怖かった。だから、どうしても辛く当たってしまう。きつい言葉を放ってしまう。もしも春歌のようになれたら。春歌のように、自分の気持ちに素直になれたら。今も、こうして笑っているはずの自分を認めてすら、そう考えるだけで指先がかすかに震えてくる。
 そう、そんなことはできない。それだけはできない。それは、私が決して越えてはならない境界だった。心が求めても、魂が叫んでも、決して許されないただ一つの選択。私が遠野秋葉である限り、永遠にそれは越えられない。
 そう、思っていた。だから、怖かった。そうするだけの、勇気がなかった。
 全ては彼だった。春歌の許嫁。私がそう思っていた相手。だが、それは間違いだった。いや、彼がその本人でなかったということではない。彼は間違いなく、春歌が焦がれ、想いを寄せるただ一人の相手だった。だからこそ……いや、それを知ったからこそ、続く言葉に私は呆然としたのだ。彼の、青年の口から漏れた、春歌への思いに。それは、あまりに皮肉な結末だった。そして、私にとっては衝撃的すぎた。
 兄妹。
 思えば、何もかも私の誤解だった。春歌の敬称を苦笑混じりに聞き、自分で反芻してなお、私はそこにこめられた本来の意味に気付かなかった。そう、春歌は嘘など言ってはいない。彼女はそんなことができるような性格ではないのだから。私のように、嘘と偽りの仮面で他人に接してはいない。私は違う。私は、たった一人の家族にすらそうしている。誰にも、本音など告げたことはない。学校でも、屋敷でも、どの稽古場でも親戚の前でも、そう……父の前ですらそうだった。全てを偽りで形作り、虚で覆い隠して来た女、それが私だった。
 たった一つの、想いを隠すために。
 でも、春歌はそうではなかった。彼女は純粋で、汚れ一つない、真の乙女だ。まさに陽光の中で舞い踊る美姫のように、その心身は神々しく柔らかな光に満ちている。そんな彼女が、私と同じ想いを抱いていた。遠く隔てられた幼い頃から、再会を願って、ただひたすらに想いをつのらせていた。そう、私と春歌は似過ぎていた。だけれど、日差しの中の一輪の花にも必ず影がさすように、私は闇の中にいた。知った秘密、為さねばならない宿業、血族のさだめ、そんなものが何の理由になるだろう。私はただ、強くなかったのだ。だからこそ、嘘で身を隠した。そして、そんな私だったから、心のどこかで春歌に強く惹かれたのだろう。あの清らかさ、自分に対する正直さを、うらやましく思ったのだろう。あの頃の自分。あの夏の日を迎える前の自分のような、一人の純朴な少女に。
 だから、笑った。だから、変わろうと思った。
 それで、変わったのだろうか。変われたのだろうか。いや、実際には何も変わってはいない。ただ、変わったと思ってしまう、変わろうと思っていられる、そんな自分がいるだけ。でも、それも変化の一つではないのだろうか。そんな小さな考えも、今の私には楽しい。意志の力が人を動かすなら、想うことはその根幹だと思えるから。そう、想うことが…… 
 正門に翡翠が歩んでいくのが見える。彼が来たのだろう。私が春歌に内緒でそれを頼んだ時、彼は快く承知してくれた。あの日の騒ぎ……あの人を巻き込んだ私たち二組の兄妹のあわただしい対面が、今日正式に第二幕を迎えることになる。私とあの人がそうであるように、春歌と彼……二人の間にも、何か複雑な事情があることは私も薄々察していた。でも彼は、そんなことはおくびにも出さずに私の招待を受けてくれた。外見などまったく違うのに、どこかあの人に似ている、と思う。そして、春歌が選んだのがこの人でよかった、と思えた。
 突然の兄の来訪。春歌は驚くだろうか。いつものように頬を染めて、喜んでくれるだろうか。想い人がだまし討ちのように現れて、ひねくれたように怒り出すのは私だけだと信じたい。
 そう、もっと強くなりたい。自分の想いに負けないようにではない。自分の想いを貫けるほど、強く。私は、最後まで自分であることを……遠野秋葉であることを放棄しようとは思わない。そうしなければ手に入らないものがあるとしても、それを覆せるだけの力があればいい。あの日確かに私の中にあった、あの人への想いのように、強く、誰にも揺るがされない意志が。
 そろそろ行かなくては。長く客人を待たせておくわけにはいかない。この屋敷の主人は誰でもない、この私なのだから。
 願わくば、今夜のつどいに幸あらんことを。
 
 
 


[494]2004年あけましてのあとがき: 武蔵小金井 2004年01月14日 (水) 02時28分 Mail

 
 
 
 うむう。
 このお話とは実はまったく関係ないのですが、
 左に転んで右ですべって、やはりというか大笑いをして。まさに矯角殺牛の教えといいますか……
 ……そこでようやく、はたっと気付いて。

 ……って、すみません。
 えっと、月姫です。考えると、月姫の話を上げるのははじめてだったりしますね(汗)。
 昨年末から色々とナニしてはいるのですが、やはりというか、既にというか、さすがというか、色々とやはり(笑)。
 ですが、どうも最近は足りなくて。前述した話もまさにそうなのですが、エンジン空回りというか、風呂の空焚きというか、
 ふとそんな自分に気が付いて、久しぶりに昔書いたこの手のSSを幾つか読み返してみました。
 あ、ここには載っけてないくらい前の奴ですが、そこまで昔ではないという感じの。その辺りを四、五本、だっだっだーっと(笑)。
 それで、小さなことに気が付いて。あ、誤植とかそういうのじゃなくて(泣)。なるほど、ふむ、そうだったんだなと。
 それで、おもむろに一筆。相変わらずですが、何も考えてません。そもそもシスプリ・ゲーム(汗)などもそうですが、月姫については私の脳程度では追いきれないほどの情報設定その他がありますので、細かな部分はポイしてやってください。
 私的にその基本エンドに惹かれた秋葉さんと、気付かせてくれたシスプリから春歌ちゃんに。
 うーん、でも本当に考えてませんね。和風な二人が着物で舞っていたら新年あけましておめでとうだなー、などと妄想したのがきっかけです。
 あ、明けましてから二週間近くたって、新年書初めなのは見逃してください。ただでさえ一つ前で年度ミスをして年末年始、落ち込んでいましたから(寂笑)。
 お読みになった方がちょっとでも笑ってくれたら……いえ、考える部分でもありましたら、作者冥利につきます。ありがとうございました。

 それでは。
 今年もよろしくおねがいします。
 
 
 



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