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ダレモイナイ コウシンスルナラ イマノウチ(ペ∀゚)ヘ
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[483]中編『V.M.S.(プロローグ)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時49分 Mail

 
 
 
 浴室は鮮血に染まっていた。
 それを見下ろし、彼は愕然とする。
 そんな馬鹿な。
 倒れているのは、一人の女性だった。淡紅色のドレスを着たままバスタブに右手の肘をかけ、両膝を屈してうつぶせになっている。おそらくはその胸部からだろうか、流れ出た血が彼女の周囲に池のように広がっていた。それが、彼女の命が既に失われていることが、理屈でなく感覚として認識できる。
 そう、彼女は死んだのだ。
 ぞっとする気持ちを少しでも落ち着けようと、彼は息を吐いた。もう一度、まじまじと眼前の光景を見定める。細部に至り、現状を確認するために。
 窓はない。小さなバスルームは人一人が入れるギリギリの大きさの浴槽と、シャワーのコックがあるだけだった。さらに加えるとすれば、湯が流れ行くための排水口。
 窓はない。そう、あまりにも簡素な光景だった。数メートル四方の小部屋に、ドア……いや、それが存在した出入り口が一つ。今まさに彼が開放したそのドアには、確かに鍵がかけられていた。そして彼がここに立っている以上、何者も出入りしているはずがない。そう、自分はずっとそれを見ていたではないか。彼は自答する。彼女がこの浴室に消えてから、眼前の惨状を俺が確認するまで、三十分もたっていない。その間、俺は目を離していなかったはずだ。何か、あるいは誰かがこのドアを使って、浴室に出入りしたはずがない。第一、と彼は思う。この浴室だけではない。そこに連なる俺のいた部屋にすら、鍵がかかっている。
 ならば、ここは密室だったということだ。
 彼……桐生渉の額に、季節にふさわしからぬ汗が浮かんでいた。
 事態の深刻さに。
 これで、三人。
 しかも、今までとは違う。名も知らぬ誰かが殺されたというものではない。
 彼女、西之園萌絵が殺されたのだ。
 彼の目の前で。
 
 
 


[484]中編『V.M.S.(1)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時51分 Mail

 
 
 
「クリスマスパーティ?」自分が素っ頓狂な声をあげたことを自覚しつつ、N大学工学部建築学科四年生の桐生渉は古びた製図用デスクの向こうの女性に眉をひそめた。「パーティって、西之園さんが主催するの?」
「違いますよ。」渉と同じくN大学工学部建築科の新一年生である西之園萌絵は、渉の疑わしい表情に気付いた様子も見せずに笑った。「ミステリィ研究会が主催するんです。桐生さんも、もちろん行きますよね?」
 萌絵の言葉は渉にとって二重に驚きだった。「ミス研が?」それ自体はおかしくない。ミステリィ研究会がクリスマスに部主催で何かのイベントをする、というのは恒例でもある。渉が驚いたのはそれが仮にもミステリィ研究会に所属する最上級生である彼の預かり知らぬことであったためで、だからこそ今年はそれを開催しないんだろうなと漠然と思っていたからであった。「それじゃ、やっぱり西之園さんが主催してるんじゃないの?」そう、それこそが……本当に違うとすれば……もう一つの驚きである。
「だから、違うって言ってるじゃないですか。」少し不満そうに萌絵は両肘を曲げると渉を睨んだ。「何か秘密のイベントをするらしくて、私は蚊帳の外なんです。部長さんとかに聞いても、『西之園さんは大切な新入部員だし、このイベントは新入生歓迎の意味が多分に含まれるのが我が部の伝統だから、どうかイブまで楽しみにしていてくれるかな?』って……それまで部室にも出入り厳禁、とか言われたんですよ?」萌絵の口ぶりは少なからず子供じみており、渉は思わず笑いそうになるのを堪えた。「何だか部員のみんなも急によそよそしくなって。メンバーとして何かすることはないんですかって言ったら、『じゃあ、桐生先輩を誘っておいてくれないかな』ですよ?新入部員は関わらないのが伝統だって言うから、私もそれ以上は聞きませんでしたけど……」そんな伝統は初耳だった。だがそれでも、渉には部員たちの心情が容易に理解できた。何しろ、相手は西之園萌絵である。
「なるほどね。」渉は少しの間、考える。大きな部屋に不釣合いな小さなスチームが、およそ暖かいとは評せられない部屋の空気をゆっくり対流させていた。「別に、その日は構わないけど。」いつもながらどこかカビ臭いその空気を散らすようにして、渉はうなずく。「西之園さんの方は空いてるの?」自分のことは置いても、仮にも目の前にいる女性は那古野にその家ありと言われた資産家、西之園家の令嬢である。イブの夜に予定が一つもないとは考えにくかった。
「今年は、他に目新しいパーティもなくて。」西之園萌絵に目新しくないパーティ、というのはどのような宴なのだろうと渉は思う。「それに、部長さんや先輩たちが是非来てくれって頼むから、OKしました。でも、桐生さんが来ないと行くのやめようかなって思っていたから……それじゃ、これで決まりですね。」
「そうだね。」どうして俺が行かないと駄目なのだろうと渉は思ったが、それを問い正してみようという気にもなれなかった。「イベント……パーティは何時から?」
「二十四日の夜六時からです。」渉はうなずいて、取り出した手帳のページにそれを記す。
「場所は部室?」萌絵がうなずく。時間共に、極々平凡だった。渉は一瞬、派手にどこかのイベントホールなどを借りて大がかりな催しでも行うのかと思っていたが、どうやらありきたりのパーティらしい。もちろん、ミステリィ研として何か……そう、新作のミステリィの発表や論評などを行うのは間違いないだろう。そして、その後はお決まりの飲み会だろうなと渉は予想した。
「それじゃ、約束しましたよ。」萌絵が壁にかかっているアナログの時計を見て言った。渉はうなずき、そして萌絵が身を翻して部屋を出ていく。その後ろ姿を見送って、渉は再び目の前の作業に集中した。


 週が明けてイブの当日。思わぬレポートの再提出で夜を明かした渉は、提出時間ギリギリになってそれを間に合わせることに成功した。
「遅い。」渉の指導教官である犀川の助手である国枝桃子は、単純明快なその一言に全ての非難をこめていた。
「すみません。パーティの服をクリーニング屋に出すの、すっかり忘れてて……」思わずそう弁解して、渉は目の前の相手が誰かに気付く。「つまり、なんというか……」手持ちの言い訳を全て使い尽くしても、微少な効果すらあがるとは思えなかった。渉は素直にもう一度頭を下げる。
「桐生、今日は結婚式でもあるの?」渉のレポートを一読して机に置きながら、国枝はそう尋ねた。彼女がそんな……そう、まるで雑談の如き言葉を投げかけてきたことは渉にとって相当の驚きだった。だがそもそも今日、いわゆる十二月二十四日にその台詞を口にするということが、最初の驚きを遥かに陵駕するいわば驚愕となって渉の当惑を呼ぶ。
「あ、いえ、その……今日は、一応……つまり、クリスマスなので。」どうしてか、しどろもどろに渉はそう答える。案の定というか、国枝は驚く様子もなく、ふぅんと一言つぶやいて椅子を回し、再び目の前のモニタに向き直った。さすがに『知らなかった』という台詞はなかったというものの、確かごく最近に夫を得た女性……新婚の新妻の言葉としてはあまりにも異彩すぎるのではと思う。
「なに?まだ何か用事があるの?」国枝はゼミ内で並ぶ者とてないスピードでキーボードを叩きながら言った。
「いえ、国枝先生は……その、旦那さんと、食事をしたりしないんですか?」言ってから後悔するという台詞の典型だった。「ほら、クリスマス・イブですし……」
「毎日してるけど。」あっけない返事だった。「クリスマスが、何か関係あるの?」
 鋭い返答に、夫となにがしか、という質問を重ねてみようかどうか悩んでいた渉の気持ちは、一瞬にして喉から胃の奥にまで引っ込んだ。
 頭を下げて教官室を出た後、渉はそのままキャンパスを出た。時間は既に午後四時を回っている。パーティの会場はミステリィ研究会の部室であり、そこまでは学生寮からでも十分とかからなかったが、その前にクリーニングに出したタキシードを回収しなければならなかった。ギリギリにそれを思い出し、今日のために突貫で洗ってくれるクリーニング屋を見付けることができたまではよかったのだが、特別料金もその分取られていた。もちろん、渉は私服のままパーティに行くことも……それこそミステリィ研究会の伝統として……考えたのだが、西之園萌絵の存在を思い出すに至り、さすがにそれははばかられた。もしも萌絵がクリスマスパーティにそれなりの……そう、西之園家の令嬢にふさわしいような……格好をしてくるとすれば、まさか擦り切れかけたジーンズに年代物のジャケットでそれをエスコートするわけにはいかなかった。その点については、それが萌絵の先輩であり大学四年生としての立場がなせるものか、ミステリィ研究会の最上級生としての立場がなせるものか、はたまた別の感情があってのことかは、渉以外にわからなかったが。
 とにかく那古野市内のクリーニング屋で無事タキシードを受け取り、渉が男子寮に戻ったのは既に五時を回った頃だった。大急ぎで風呂場に行ってシャワーを浴びる。他にも何人かの生徒たちが今夜はどうだのなんだのと笑いながら言い合っていた。幸いというか知己はいなかったために渉は黙々と髪を洗ってバスタオルを巻き付け浴場を出る。
『あー、建築学科四年の桐生渉、玄関まで来なさい』髪をこすりながら寮の廊下を歩いていた渉は、その放送に耳をそばだてた。同時に、嫌な予感が胸をよぎる。
『桐生!イブの夜に女を待たせるとはふてぇ野郎だ!』先程の老人……間違いなく寮の管理人である老爺の声とまったく異なる若い声がスピーカーから全寮内に轟き、渉は飛び上がった。進行方向と逆にある玄関に思わず身を向けかけ、ほぼ同時に今の自分の格好に気付く。『美しいお嬢さん、あんな冴えない奴なんて忘れて、どうせなら今夜は俺と……』ワイワイガヤガヤと流れる雑多な声と音。渉は階段に走り、脱兎の如く自分の部屋に飛び込んだ。およそここ数年で最速だろうと自覚できるスピードで衣装を身に付け、髪にドライヤーを入れる時間も惜しんでそのまま駆け降りる。
 冬休みの開始……既に帰省も始まっている時期だからこそ救われたのだろうと渉は思った。さらには、イブの夕方である。外出している寮生が圧倒的に多かった。だが、N大男子寮の玄関を埋め尽くした学生は一桁ではすまない人数だった。幸い……いや不幸なことかもしれなかったが、川端や淵田、浜中といった渉の知るゼミの先輩連はその場にはいない。
「あ、桐生さん!こっちこっち!」群集に……男に囲まれて、にこやかにほほえみ、手を振る西之園萌絵。その明るいグレイのスーツの相手を見て、渉は深々とため息をついた。


 午後六時七分。
 ミステリィ研究会の部室の中には、数十名の男女がひしめきあっていた。
 だが、その様子はパーティ……一般的に言うパーティとも、そして渉が想像していた飲み会に近いそれとも大きく異なっていた。乱雑に並んだテーブルや、その上の原稿や膨大な雑誌や書籍。おそらくは片付いているのだろうと予想していた渉にとって、それらがそのままになっている光景はあまりに意外なものだった。渉と萌絵を含めた二十名ほどの招待客の誰もがそれに近い感覚を持っていたのであろうが、開催側のミステリィ研究会メンバー……渉の後輩にあたる彼彼女らは平然としたものである。むしろニヤニヤと、何かを期待する視線をこちらに向けているのが渉には気になった。これは間違いなく何かを企んでいるのだろうと思い、近くにいた後輩に声をかける。
「おい、向井……」そこまで言った途端に、その後輩に対して鋭い声がかかった。渉が見ると、そこには現部長である三年の男子が腕組みをしてふんぞり返っている。渉の問い詰めるような視線にも我関せず、という様子でそっぽを向き、彼は居並ぶ招待客を眺めた。行き場をなくした威厳かそれとも憤懣か、渉はしばらくそんな相手を睨む。
「さて、ではそろそろ……アテンション・プリーズ!」奇妙な発音の英語と共にミステリィ研究会の部長と副部長が進み出た。「ようこそ、本日はわざわざお集まりいただきまして……」言い慣れない挨拶のようなものが流れ、いまだ状況を掴めない招待客から文句めいた囁きが漏れる。「……皆さんには、我々ミステリィ研究会がその知恵と知識、持てる総力の120%を結集して遂に完成させた、古今東西空前絶後究極至高のショータイムに熱烈御招待いたします!」およそ正しくはないであろう単語の羅列と共に、部長は大きく両手を広げて参加者にその頭を持ち上げた。それが何か賞賛とでも呼ぶべきものを求めているのであろうことは疑いもなかったが、あいにくと彼がそれを受けるために必要な条件のほとんどは満たされていなかった。それを察してか、度の強い眼鏡をかけた副部長と若い部員の一部がまばらな拍手をして彼に応え、部長は満足げに……彼と正反対の表情で彼を見つめる人々に相対した。
「具体的には何をするんですか?」その場に訪れたある種奇妙な沈黙を破ったのは、西之園萌絵のためらいのない質問だった。そしてそれがおそらく、招待客の気持ち全てを代弁するものだったであろう。何か酔いが回っているような部長がそれを聞いて真顔になり、号令をかけて部員を呼ぶ。横合いから進み出たミステリィ研の部員は何か薄いケースのようなものを手にしており、それをうやうやしい仕草で招待客の一人一人に配り始めた。渉にもまもなくそれが届けられる。
 それは、透明なケースに入ったCDだった。ラベルも何もない、ただの一枚のディスクである。参加者の多くが怪訝な顔をする中で、部長は満足げに再び口を開いた。「皆さんが手にされたものこそ、今宵の一大イベントの鍵となるものです。」そこで、反応を待つかのように一同を見渡す。「皆さんには、それを今から各々のご自宅に持ち帰り、御自分のコンピュータにセットして下さることをお願い致します。そこには、めくるめく神秘と陶酔と謎に満ちた驚愕の世界が待っているのです。それすなわち……」部長は、そこで大きく息を吸う。「……我々ミステリィ研究会が電算部の協力の元に全知全能を費やして作り上げた、V.M.S.なのであります!」
 一瞬、室内は静寂に包まれた。「OS?」渉の口からかすかに独り言が漏れる。
「V.M.S.って何の略ですか?Virtual Mystery System?」西之園萌絵のよく通る声が部屋に響き、何かを言おうとさらなる力をためていた部長が咳込んだ。「これ、もしかしてミステリィのお話が入ってるんですか?すると最後のSは、Scenario?Story?」
 部長の咳は派手というより、何か発作めいたものだった。何人かの部員が彼に駆け寄り、介抱されるのを後目に、副部長がその度の強い眼鏡を正して彼のいた位置に立つ。
「西之園嬢のおっしゃることに間違いはありません、ええ……」女性である副部長は低い……冬よりは夏の夜にふさわしいであろうトーンの声で切り出した。「VMSとはOS等ではなく……バーチャル・ミステリィ・システムの略です。お渡ししたCDには、私達ミス研が開発した、VMSのプロトタイプが入っています。これから帰宅した後、皆さんのコンピュータにCDをセットして、プログラムをインストールして下さい。VMSの個人登録を済ませた後、こちらのミス研のサーバにログインして貰います。開始時間は今夜、二十一時零分です。遅れることのないようにお願いします。」
 言われたことの意味を掴むのに、渉は多少の時間を必要とした。「つまり、チャットソフトのようなもの?」眼鏡の奥の小さな目が渉を見る。
「違います。しいて言うなら、ネットワークゲームのようなものです。皆さんは今夜、そのVMSによって今まで体験したことのないミステリィの世界に招待され、驚くべき事件に遭遇するのです……」どこか予言者のような口ぶりで彼女は告げた。「そこで呈された謎を最初に解き明かした方には、我々ミス研から、素晴らしい賞品がクリスマスプレゼントとして授与されます……」
 おお、というどよめきが参加者の中に走った。やはりというか、多少なりともミステリィ好きであるはずの学生が集められているのだから当り前だろうなと渉は思う。ミス研が出す賞品に期待できるはずは絶対にないと知る渉だったが、それでもこの企画は少しは面白そうだと思える部分は確かにあった。いつもながらのミステリィの論評や、部内発行同人誌などの配布ではないのだ。
「わかったけど、だとするとさ、これから……」参加者の一人が腕時計を見ながら首を傾げる。「……どうするの?」そう、時間は六時半を過ぎたばかりである。招待客の一部が、それに気付いてざわめいた。
「それじゃ、私は帰りますね。開始は九時ちょうどですね?」西之園萌絵がディスクを掲げるようにして尋ねる。その発言に気を取り直したのか、部長が立ち上がって大きくうなずいた。
「九時ジャスト。開始に間に合わなかった者は棄権と見なされるから注意するように。また、VMSに参加する最初の栄光にまみえた諸君に、私から一言だけ忠告を……」彼は咳払いをした。「……そこで起こり得るすべてに、現実として対応するように。仮想現実、バーチャル世界だからと、ゲーム感覚で遊ばないでいただきたい。我々は伊達や酔狂でこれを作り上げたのではないのだ。」渉は内心で首を振った。「与えられた状況を真剣に認識し、謎を真摯に考える者だけが、答えにたどり着けるだろう。それをないがしろにする者には、恐ろしい運命が待っているのだ……わははは……」まるでそういった作品に登場する怪盗のように身を翻した部長は、そのまま部室奥のドアを開けて準備室に退場していき、残された副部長を始めとする部員たちが頭を下げる。結果、招待客はどこか憮然としつつ、CDを手に帰り始めた。
「桐生さん、帰りましょう。」萌絵がさっそうと渉に近付いてくる。何やら嬉しそうだ。とすればこのVMSとかいうものに期待しているのだろうか。渉は考える。まぁ、確かに興味はある。だが、過度の期待は禁物だろう。「それじゃ、失礼しまーす!」渉の手を引いて、萌絵が部室を出る。渉は後輩たちに疑わしい目を向けながら、それに続いた。
 手を引いて……!?「西之園さん?」冬の夜が訪れたキャンパスは、闇の中にその巨体を横たえていた。渉はひとけのない廊下を歩いている途中に事態に気付き、萌絵の手を払うようにして大きく避けた。
「どうしたんですか?」萌絵は平然としていた。何か他意があるようには……決して見えない。「楽しみですね、桐生さん!部のみんな、これを作っていたんですね?知らなかったわ。」
「俺も知らなかったよ。」渉は相づちめいた動作で応じる。「電算部とか言ってたけど……妙なことを考えるね。ま、どんな内容なのかわからないけどさ。」何も書かれていないディスクを怪しげに一べつする。おそらくラベルの印刷等は間に合わなかったのだろう。ギリギリまで作っていたか、そもそも予算がなかったのかもしれない。まったく……
「どうしたんですか、桐生さん?何か、イライラしているみたいですけど……これ、面白そうじゃないですか。」
「え?あ、あぁ……そうだね。いや、別にいらついているわけじゃないんだけど。」ふむ、と渉は考える。確かに何か、鬱積に似た感覚がある。このVMSとやらでないとすれば、原因は何にあるのだろうか。
「それより、桐生さん。これから少し、時間あります?よかったら、どこかに寄りませんか?」校舎から出ると、萌絵がそう言った。
「え?」渉にとっては心外……いや、意外である。「そりゃ、俺は……寮に戻るくらいしかないからね。」そこで、ようやく渉は自分の感情を理解した。そうか。張り切ってクリーニングに出したタキシードも何もかも、まったく意味を為さなかったではないか。
「私、こんなイベントだって思わなかったから……少し、時間が空いちゃって。よかったら桐生さん、つきあってくれません?いつものバーか……軽い食事でもいいですけど。」
「あぁ、いいよ。」どこか憮然とした気分だった渉は、萌絵の魅力的なほほえみにうなずいた。
 クリスマス・イブに西之園家の令嬢と食事ができるなど、滅多にないことだけは間違いない。
 
 


[485]中編『V.M.S.(2)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時52分 Mail

 
 
 渉が寮の自室に戻ったのは八時半過ぎだった。西之園萌絵との一時間ばかりの会話は、相変わらずというかミステリィに関するものばかりだった。その中でもやはり、二人が手にしたCDの中身……いわゆる『V.M.S.』に対しての会話がその多くを占めた。まだどこか半信半疑の渉に比べ、萌絵は多分にそのプログラムに興味があるようで、コンピュータさえあればその場でインストールを始めてしまいそうな雰囲気だった。とにかく二人が軽い食事とカクテルを傾けて、その後頃合を見計らって別れたのが八時近く。その後、渉はコンビニで少しばかりの買い物をして今に至る。
 いつもながら狭い寮の自室に戻ると、渉はベッドの上にコンビニの袋を投げて、まずは礼服を脱いだ。考えればこんなものを用意する必要ははなからなく、今更のように自分の行動に呆れたが、まぁ結果的に西之園萌絵と……短い間にしろ……食事ができたのだから、まったく役に立たなかった訳でもないかと自分を慰める。そこで渉はコンビニの袋と共に転がっているCDに気が付いた。慌てて時計を見る。時間は八時……四十五分近い。開始は九時で、脱落者は失格とするという部長の警告を思い出した。とりあえずワイシャツはそのままでコンピュータを立ち上げる。
 渉のコンピュータは決して最新式というわけではないが、それでも必要最低限のことはこなせるマシンだった。それを起動させ、ディスクを入れる。一瞬、この中にコンピュータ・ウィルスなどが混入されていたらと思ったが、まさかと思ってそのままオートで立ち上げた。インストールを促すメッセージを了承し、ドライブを指定する。そのままソフトが解凍、インストールされていくのを眺めながら、渉はもしこのソフトの中にウィルスが混入されていたら、と先の小さな疑念を考えてみた。大学内でウィルスが発見されるのは珍しくなく、日々学生がそれに引っ掛かり、それと知らぬまま感染が広がり被害が拡大するケースも多かった。渉は一瞬、そういう仕掛けでミステリィ研が今回のイベントを作り上げていたらと思ったが、まさかそこまではしないだろうとその考えをそこで止めた。
 インストールにはかなりの時間がかかった。おそらくプログラムの規模というより圧縮の不手際だろうと渉は考え、時計を見て九時まであと少ししかないと焦る。実際には研究会の催しに参加することにはそこまで意欲はなかったのだが、不参加となった後の西之園萌絵の反応を考えたくなかった。つい今し方までリキュールのグラスを傾け談笑していた相手であればなおさらである。
 まあ、焦っても仕方ないと渉は時間を利用してメールをチェックし、次にインスタントコーヒーを入れる。ポットのお湯は少しぬるめだったが、渉にとっては残りの時間の方が遥かに気になった。
 九時まであと一分というところでインストールが終わる。渉はそのままフィニッシュをクリックしてプログラムを起動させた。

>ようこそVirtual Mystery Systemの世界へ
>これから貴方の心は貴方の体を離れて
>このVMSが作り出す
>謎に満ちたミステリィ・ワールドに入っていくのです

 どこかの素材を適当に繋ぎ合わせたような画面の装飾と共に、そんなわざとらしいメッセージが画面に表示された。そのまま開始をクリックすると、ユーザー登録画面が表示された。名前、性別、住所、氏名、生年月日、メールアドレス、電話番号、学年……ここまでするのかと渉は一瞬鼻白んだが、結局は情報を入力し送信を押した。何せ、既に九時は回ってしまっている。
 しばらく時間がかかり、ログイン許可のメッセージが届く。焦りつつそれを渉はクリックし……
 次の瞬間、画面がフラッシュして動かなくなった。
「なんだ?」渉は思わず声をもらして画面を見つめる。しばらく見ていても、何か起こる気配はない。ブログラムを強制終了させようとしてみたが、反応もない。どうやら完全にコンピュータが飛んでしまったらしかった。渉は呆れて電源を落とし、コンピュータを再起動する。
 どうしたのか。渉は思う。まさか本当にウィルス……いや、ありがちにバグだろうか。今日のレポートではないが、ギリギリで今日に間に合わせた結果、ろくな動作試験も行わなかったとすれば充分にありえると渉は思う。
 と、そこで不意に、ブザーのような耳につく音が鳴った。
 渉は顔を上げる。萌絵の時ではないが、寮から部屋に直接の呼び出しである。すぐにドアまで行ってフォンを押した。「はい、桐生です。」
「電話。」簡潔明瞭な老管理人の一言に、渉は了解して部屋を出た。電子メールやチャットがほとんど手近にある環境なので時折にしか思わないが、携帯電話があればと思う瞬間である。とにかく渉はいつもと違い妙に静かな寮の中を歩き、玄関ホールの横で受話器を受け取った。「もしもし?」
「先輩!どうして落ちたんですか?反応ないし……」不満ありげな声は、ミステリィ研の部員だった。名前は向井といい、一年後輩で比較的仲がいい相手である。
「プログラムが止まったんだよ。ウィルスか何か入ってたんじゃないか?今、再起動中。」こんなことで電話するな、と思う。向こうは携帯で気楽なのかもしれないが……
「そんなぁ、ウィルスなんてありませんよ!先輩だけ入って来てないんですから。部長がうるさくって……」
「いいから、進めてろよ。だいたい、このプログラムはどういう奴なんだ?バーチャルって……」
「あ!先輩、もしかしてグラフィック・ボードとか古い奴ですか?」
 渉は顔をしかめる。「そんなもの、入れてないよ。ゲームなんてしないからな。」無論、画像処理のために最低限のものは入っているはずだが。
「うえっ、マジですか?」呆れたような後輩の声。「G-FORCEとかRADEONの8500とかせめて……」何か、憐れむような声。
「お前じゃないよ。向井、俺のPC見たことあるだろ?先輩のお下がりで……」渉は呆れた。要するに画像処理用のカードが必須なプログラムだったらしい。そしてそういった用途に使用することなど皆無な渉のコンピュータは、指示された画像処理をできずにフリーズ……止まってしまったのだろう。
「参ったな。先輩、どうにかなりません?西之園さんのこととかあるし……」向井のそれは、遠まわしに渉の存在がかの女傑の抑止力としての効果を発揮するのだと期待している……いや、切望している口ぶりだった。渉は何か言い返してやろうかとも思ったが、このイベントに参加できなかった時の萌絵の反応への不安が、逆にそれを抑制する。
「そうだな。まぁ、ノートの方ならできるかもしれないけどな……」旧式であり、デスクトップよりほとんどの機能は劣るのだが、渉の持つノートPCは少しまともなグラフィック・チップを内臓していたはずである。
「本当ですか?お願いします!部長に言って、先輩を待ってもらいますから……」
「いいよ。先に始めててくれ。後からなんとか把握するから。遅れるとまずいだろ。」
「わかりました。それじゃ、必ず入って来て下さいよ。何かあったら連絡よろです。」電話が切れる。渉はため息をついて受話器を置くと、長電話にうるさい管理人に頭を下げて部屋に戻った。その後、再びため息をついてノートPCを取り出し、電源を入れる。再起動を終えているデスクトップと接続し、ノートのCDドライブからもう一度ソフトをインストールを開始した。
 ようやくインストールが終わった時、時間は既に十時近かった。渉は苦笑いをしてソフトを起動する。
 ようこそVMSへ、のメッセージから、ユーザー登録を再度行った。さて、と思いながら渉はログインのクリックをする。これで動かなかったら諦めることは既に決めていた。まさか、このために大学に出かけたり他の寮生のPCを借りたりするつもりはない。西之園萌絵が非難を浴びせてくるかもしれないが、PCが動かなかったのだから仕方ない。どうせ約束などないが、イブの夜にPCと格闘するなどという不毛な思い出は残したくなかった。
 結果、渉は半ば期待もしない瞳で液晶画面を見つめる。再び画面がフラッシュして……
 そして、そこに人が表示された。
 渉は見る。三次元CG……ポリゴンでできたキャラクターだ。黒いスーツを着た男性で、渉に背を向けているため、顔は見えない。斜め上から見下ろすような形で、目の前に景色が表示される。本格的だな、と渉は思った。もっと単純なものを想像していたのだ。
 時間……画面の中の世界の時間は、深夜らしかった。実時間と連動させているのかもしれない。夜空、遥かに三日月が見える。そして、男性の立つ道の先には、大きな館が建っているのが見えた。窓が多くあり、玄関などから明かりが漏れている。館の周囲は断崖絶壁になっているようで、立地的なことを含め、あまりにファンタジックで渉は思わず笑ってしまった。
 それはともかく……さて、どうすればいいのか、と渉は思う。画面には何も表示されていない。こういったゲームでありがちな体力やら何やらというものもなかった。ただ、一番下にコマンド入力用のバーのようなものがあり、カーソルが点滅している。渉は試しにキーボードを打ってみた。それがそのまま、そこにメッセージになって出力される。どうやら日本語変換機能を備えているらしい。

>どうすればいいんだ?

 渉はそれだけ打ってリターンキーを押した。途端、画面の男の上に漫画のような半透明の吹き出しが現れ、「どうすればいいんだ?」というメッセージがその中に表示される。渉は怪訝な顔をして、次にマウスを動かしてみた。と、画面が大きく動く。クリックすると、男が突然歩き始めた。
 渉はこのシステムの操作方法を理解した。キーボードで打ちこむ文字は、発言したメッセージとして頭の上に表示される。マウスを動かすと、それが視点を移動させ、上下左右を見ることができる。さらにマウスをポイントすると、その場所に向かって歩き出す。実に単純明解だった。男の動きはまるでロボットのようで、相当にぎこちなかったが、それでもよく作ったものだと渉は感心した。無論、専門のゲームや何かと比べられるような出来ではないが、これだけでもかなり苦労したのだろうと渉は思う。あの部長の尊大な態度の理由がわかった気がした。確かにこれは、大作なのだろう。
 とりあえず、と渉は画面を見渡す。道の先には崖の上の館があり、スタートした場所から後ろへは進めないようだった。これは館に向かうしかないのだろうと渉はそちらをクリックする。男が歩き始め、次第に館が大きくなっていった。断崖の向こうは海で、月も出ている。波の音などはしないが、夜の洋館という雰囲気がよく出ていた。渉は戸口に近付く。
 ドアなどはどうやって開けるのか、と思いつつドアをクリックすると、

>ノックする
>開ける 
>壊す

 という三つの選択肢が目の前に現れた。少し考えてノックを選ぶ。画面の中の男がまるで喧嘩をするように腕を目の前に向けて何度か突き出し、その動作と完全にタイミングを外してピッ、ピッ、という音がした。そのアンバランスさに渉は吹き出しそうになる。
 少し待ったが、反応はない。どうしようかと渉は思い、もう一度ドアをクリックして、今度は現れた選択肢から開ける、を選ぶ。

>鍵がかかっています

 表示されたメッセージに渉は眉根を寄せた。一瞬、ならば最後の『壊す』かと思ったが、さすがにそれは短絡というか直情径行すぎると思い、そこで腕を組む。これが始めの謎だとすれば、まずはドアを開ける方法……というより、館に入る方法から見付けなくてはならないのか。しかし状況説明も何もないのに無茶な相談だな、と思いつつも、一応は館の周囲を見回ってみようと考え、渉はマウスで視点を変え、男を移動させた。
 屋敷の窓は多くが鎧戸が閉じていた。明かりが多く見えるのは二階か三階で(見たところ屋敷は三階建てのようだった)、一階の窓はほとんど閉じられていた。試しに窓の一つをクリックしてみたが、ドアと違い何も反応はなかった。この辺りは現実ぽくないな、と渉は思う。本来ならば窓なりを叩いて外に人がいることを教えられてもいいはずである。まぁ、ゲーム……というかコンピュータ・プログラムなのだからと渉は思い、そのまま屋敷の裏手へと進んだ。はたしてそこには小さな階段と勝手口らしきドアがある。少し先には焼却炉らしきもと……あとは断崖である。
 渉はとりあえず階段を上り、勝手口のドアの前に立った。ドアをクリックすると、先程の表玄関と同じく三つの選択肢が出てくる。とりあえずノックするのも何かと思ったので、渉は開けるを選択した。

>鍵がかかっています

 同じメッセージだった。渉はふむ、と考える。今度こそ壊す、か、もしかすればノック、が有効なのだろうか。そう思ったが、それもあまりに陳腐だと考え、とりあえずは外にある唯一の建造物……焼却炉、らしきものをクリックする。渉の操る男性は向きを変えて階段を下り、そこへとゆっくり歩いていった。緩慢な動きを渉はじっと見つめる。

>調べる
 
 一つしかないものを選択肢、と呼ぶのだろうかと渉は思った。自動的に実行されてもいいのではと思ったが、例えばボタンがあってそれをクリックしたら即座にスイッチを入れてしまった、では文句が出るかもしれない、と思いそれをクリックする。

>『裏口の鍵』を発見しました

 渉は今度こそ派手に吹き出した。途方もなく陳腐……いや、懐古趣味、とでも言った方がいいだろうか。昔、コンピュータが一般に普及した頃、こういったゲームが数多く存在したことを渉は知っていた。アメリカの学生等が作ったもので、最初はグラフィックなどあるはずもなく、メッセージに対して英単語を入力して進むストーリーだったと聞いたことがある。逆行する、とまでは思わないが、ここまで大げさなグラフィックを駆使しておいて、このセッティングはないだろうと渉はシチュエーションを考えた者に呆れた。裏口のドアに鍵がかかっていて、その鍵がすぐそばの焼却炉の中にあるなど、あまりにストレートすぎるではないか。
 とにかく渉は再び裏口をクリックして、男を移動させる。

>ノックする
>開ける
>壊す
>鍵を使う

 ドアを指定すると、コマンドが一つ追加されていた。それをクリックし、再び開ける、を選択する。ギー、というやけに重苦しい電子音と共にドアが開いた。渉はニヤリとして中に入る。キッチンがあるのかと思ったが、意外にもそこは廊下だった。左右に赤いドアが幾つも並んでいる。その廊下は少し先で左右に折れているようだった。
 なんというか、凄い作りの館だな、と渉は思う。外から見て、渉の頭の中には館の部屋の配置が構成されつつあったのだが、この光景は彼のその予想を全て覆してしまうものだった。現実味がないことはなはだしい。
 まぁとにかく、と渉は思う。そうだ、ゲームを進めよう。既に何か底が……いや、先が見えたような気もするが、おそらくこれから本題に入るのだろう。とすれば、今までの鍵を探したりドアを開けたりするのはプレイヤーに操作その他を覚えさせるためだったのかもしれない。ふむ、馬鹿にするものでもないのかと渉は思いつつ、男を移動させて廊下を進んだ。
 ドアがやたらとあるが、どれかを開けるのだろうか。それとも今はこのまま廊下を先に進むか……と思った渉の目が、そこで細められた。廊下を曲がって、人が現れたのだ。
 
 


[486]中編『V.M.S.(3)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時54分 Mail

 
 
 それは若い男で、タキシードを着込んでいた。というか、こちらにいる渉自身……渉が動かしている男性キャラクターとほぼ同じ姿だった。現れてから立ち止まったまま動かない相手に、渉は近付くべきか、はたまた警戒すべきかと考えたが、そこで不意に向こうの男の頭の上に吹き出しが現れる。
「いたぞ!犯人だ!犯人を見付けたぞ!」
 犯人?とモニタのこちらで渉が驚くのと同時に、その男の横にもう一人、別の……だが、やはりまったく同じスタイルの男が現れる。「ビンゴ!俺たちの勝ちだ!捕まえろ!」というメッセージを出して、男が……二人が渉に向かって歩き始めた。
 渉の驚きは少なからずのものだったが、理性は状況に対応した判断を下す余地を残していた。すなわちこの状況で逃げる、という選択を取るか否か、というものである。それを思案して直後、渉はそれを捨てた。こちらには逃げる理由がないし、何より状況があまりに不可解だ。裏口から断りなく忍び込んだ不法侵入者だ、と騒がれるなら納得もいくが、いきなり犯人扱いされるというのは想像を絶している。すなわち、考える余地というか、情報不足である。まさか掴まって即時ゲーム・オーバーを宣告されることもないだろうと、渉はテキストを打った。
「犯人?意味がわからない。表から入れなくて、ここから入ってきたんだけど。」
 渉の操作する男の上にそれが表示される。と、「犯人は自分から犯人だとは言わないからな。」という答えが返り、それと共に渉は二人の男によって取り押さえられた。まさに犯人の如く、キャラクターが後ろ手に囚われた状態となる。「こいつ、鍵を持ってるぜ。」「なるほどなー。余裕だったな、ミス研も大したことないね。」「これで、賞品は俺達の物になるのかな?」という会話。「だろ。他の連中は悔しがるだろうな。」「やっぱ、こっちが怪しいと思ったんだよ。」といった風である。
 なるほど、と渉はようやく事態を理解する。洋館を探訪する冒険ゲームの如き世界に足を踏み入れたと思っていたが、現れたタキシードの彼ら二人はどうやら生身の……いや、渉と同じくこのサーバにログインしている、誰かに操作されているキャラクターらしい。つまりここには……この館には、部室でCDを受け取った招待客が全員来ているのだろう。なるほど面白いやり方だ、と自分の状況を棚に上げて渉は思った。手のこんだチャットというか……バーチャルで人々が集う世界だ。
 渉が操作しないまま、彼と二人の男は進んでいく。廊下を曲がったその先には、大きな玄関ホールがあった。二階への階段や渉がさっきノックをした大きな入り口のドア、さらに横に両開きの大きなドアが開いており、その中に大勢の男女が見える。渉は勝手に動かされ、二人の男と共にそこに入った。
「捕まえたぞー!」「解決解決!」という台詞に部屋の……十人近くはいるだろうか、男女が一斉に様々なメッセージを発した。
「どうやって?」「どこにいたの?」「犯人?」「誰?」「名前が見えないぞ!?」「マジで?」などというものが居並ぶ人々が一斉に出るのは壮観な眺めといえたかもしれない。
「余裕だったぜ。俺とタクマで捕まえた。名前が出ないからすぐにわかったぜ。」タクマというのは渉を捕まえた二人組の一人らしい。
 渉は冷静にテキストを打った。「俺には、事態がよく呑み込めないんだけど。遅れて参加して来た……と言えばいいかな?犯人扱いされるのは、何か事件があったわけ?」
 途端に「うわっ!」だの「それっぽい!」だのといった返答。と、その中に渉は「桐生さんですか?」というメッセージを見付ける。発信者……というより発言者は、薄いピンクのドレスを着た女性だった。それが誰であるかに思い当たった渉はテキストを打つ。
「もしや、西之園さん?俺だよ。桐生渉……」
 ピンクのドレスの女性が目の前に動いてくる。足が見えないそれは、まるで赤ワインを満たしたグラスを逆さにして滑らせているようだった。「桐生さんなんですね!桐生さん、どうして遅れたんですか?」吹き出しに萌絵のテキストが表示されていく。「皆さん、この人は桐生さんです。私のパートナーですね。十八……いえ、十七人目のパーティ参加者です。犯人じゃありませんよ。」萌絵……萌絵が動かしているのであろう女性の発言は、渉をさらに戸惑わせた。
「なに?パートナーってどういうこと?十七人目って……」
「このパーティ、男女に関わらず二人一組のペアになって参加する決まりなんです。皆さんはもうパートナーが決まっていて、私だけ一人だったので、桐生さんが自動的に私のパートナーになるんです。」渉は小さくうなずいた。モニターの前でそれをした自分に気付き、息を漏らす。
「それはわかったけど。犯人だってのはどういうこと?それに、十七人じゃ……」
「桐生さんもわかっているとは思いますけど、このVMS……バーチャルの館には、私達招待客がそれぞれの姿を借りてログインしています。そういえば、説明は受けてないんですか?」渉はうなずきかけて、慌てて同意のテキストを打つ。「部長さんの……主催者側の説明によると、私達はこの館である事件に巻き込まれるそうです。それで……」
「早速、ガイシャが出たってことさ。」男の一人が言う。「おまけに、外へのドアは閉ざされて、出られない。で、おまけに犯人は俺達の中にいるんだってさ。ありがちだよな。」渉は怪訝に思ったが、話は続く。
「カナエさん……シンジさんのパートナーだった人なんですけど、実はさっき、彼女が殺されたんです。」渉は萌絵(らしい)女性キャラクターの上に浮かんだテキストに目を丸くした。「現場は二階の部屋で、パートナーのシンジさんが部屋に戻ったら、殺されていたそうです。部屋には鍵がかかっていて、その鍵を持っていたのは部屋の外のシンジさんだけ。つまり、密室だったんです。慌てて私達はホールに集まったんですけど、全員が互いの……パートナーのアリバイを認めていて。」
「それって、鍵は一つだけなの?」喋っている途中だが、渉は思わず質問した。
「そうです。主催者側が嘘を言っているのでなければ、ですけど。」萌絵は言う。「パートナーとして二人一組となる。全部のドアに鍵はそれぞれ一つだけ。あと、お前達の中に犯人がいる……これが、開始前に与えられたルールです。」
「だからさ、パートナーの決まってなかった萌絵ちゃんか、第一発見者で鍵を持ってたシンジが犯人じゃないかって。」タキシードの男の一人が発言する。
「何度も言いますが、私は違います。」と、萌絵。「とはいえ、私のアリバイの裏付けが取れないのは事実です。だからとりあえず私とシンジさんはこのホールで動かずに、残りの人がそれぞれ館の中を見回ることにしようって決めたんです。始めから全員がバラバラにならず、ずっと集まったままでいればよかったんですけど……」おそらく、萌絵はそれを提案したのだろうと渉は思う。
「で、そしたら俺らがそっちを……桐生さん?を見付けたわけ。」タキシードの男。「遅れて来たとか言ってるけど、犯人で決まりだろ?屋敷のどこかに隠れてて、カナエちゃんを殺して、騒ぎに乗じてこっそり逃げ出そうとしてたんじゃない?それに、裏口の鍵も持ってたしな。」おお、とどよめきのようなテキストがいくつか。
「なによそれ。謎とかあるのかと思ってたら、隠れんぼか鬼ごっこみたいじゃない。」女性の一人が言う。「どこがミステリィよ。ねー、本当に彼が犯人なの?」
「私も違うと思います。」ピンク色の萌絵が言う。「桐生さんが始めから屋敷の中にいたとは思えません。私達最初、本当に屋敷の住人がいないのかって、館の中を一通り調べたじゃないですか?隠れる場所なんてなかったし、もし隠し部屋みたいなものがあったとしても、カナエさんが殺された時には、屋敷の中はみんなが気ままに歩いていたし……桐生さんみたいな名前が表示されない人が歩いていたら、すぐに気付かれると思います。」
「マウスポイントして名前見なかったのかもよ?俺達男は女性陣と違ってまったく同じ格好だし……歩き回っててもわかんねぇんじゃねぇの?」男の一人が言う。彼の発言通り、確かに男性キャラクターは全員が同じ体型……黒いタキシード……だった。当り前かもしれないが、等身も何もかもそっくりそのままである。さらに渉は、試しに今発言した男にカーソルを重ねてみた。なるほど、ユミタケ、という名前が表示される。萌絵に当てると、ニシノソノ、と出た。
「私はそうは思いません。迷路みたいな造りならともかく、階段も一つ、廊下もそれぞれの階に一本……全部が部屋に続くだけで、行き止まりなんですよ?むしろ、第三者……遅れた参加者の登場で私達の注意をそっちに向けさせ、本当の謎から横道にそらそうとしてるんじゃないかって思います。桐生さん。裏口の鍵は、最初から持っていたんですか?」
「違うよ。俺は……」渉は事情を説明した。遅れてログインし、わけもわからないまま館に歩き、焼却炉で鍵を見つけて裏口から入って……掴まったと。「……嘘っぽいかもしれないけど、ね。」
「確かに、この手の隔離物だと、遅れてやってくる怪しい奴、ってのはパターンだよな。」男の一人が言う。「逃亡犯とか、本来の事件と関係ない何か別の犯罪に手を染めてる奴でさ。いかにもな行動をして、読んでる奴にこいつは怪しいって思わせるんだ。」
「そうそう。で、そういう奴のほとんどって、途中で殺されたりするのよねぇ。」物騒な話だった。だが、渉もどこかで納得する部分もある。自分の存在はまさにそれに近い。
「途中から登場するキャラクターは真犯人にあらず、の法則ですか?」萌絵が言った。「でも、それを考察するにしても、私達も全員、過去も動機も背景も何もないんですよ?カナエさんがシンジさんのパートナーになったのも、お二人がつきあってるからで……この中では関係ないと思いません?誰がお金持ちで、誰が誰に恨みがあって、誰が誰の遺産を狙っているとか……そういう設定が与えられてないんですから。」
「手抜きしてんじゃないの?だいたい、俺らの中に犯人がいるってのが、そもそも嘘だったらどうする?俺はどうにも……」と、渉は目を見張った。目の前で、今の話をしていた男が消えたのだ。
「なに?」「人体消失?」「落ちた?」「トラップか?」などと発言が回りから飛ぶ。だがしばらくたつと、彼は再びその場に現れた。
「……悪い。うち、ルーターの調子が悪くてさ。ネットの接触が切れて落ちちまった。ようやく再ログイン。」アマミヤ、というその彼は陳謝し、広間にいる男女の罵声を浴びた。ネットワークとの回線が一時切れたのだろう。渉は納得した。「悪かったよ。とにかく時間ももうないし、さっさと犯人見つけようぜ。俺は相棒と部屋に戻るからさ。」
「時間?」
「このゲーム、十二時までなんだってさ。」確かに、全員がこうしてログインしている以上、朝まで続けるというわけにもいかないだろう。渉は時計を見る。今はもう十時四十分だった。
「でもさ、考えたら……おかしくない?」別の女性が言う。「だいたい、桐生さんってミステリィ研究会の部員でしょ?西之園さんもそうだし……さっきから、二人で私達をかついでるんじゃないの?西之園さん、何かと決め付けて指示ばかりするし……」
「違います。」萌絵が即答する。渉は後輩の向井からわざわざ電話があったことを含めて、自分が現れるまでの萌絵を想像して目を閉じる。「私と桐生さんがミス研の部員で、それが疑われる要因になるのは仕方ありませんが、それはたぶん……」萌絵はそこでテキストを重ねた。「……たぶん、疑念によるミスリードを狙った主催者側の陰謀だと思います。私達は二人共、このイベントの話も、VMSの制作の話も、何一つ知らなかったんですよ?」萌絵の言葉に、疑わしそうな発言が幾つか応じる。「それに、いくらなんでも招待されたミステリィ研の部員がそのまま犯人だなんて……」
「大変だ、殺された!」いきなり画面内に表示されたメッセージと共に、男性が広間に入って来た。「まただ!殺されちまった……カワサキが!信じられない!誰も出入りしてないんだぜ!どうやってあんなことが……屋根裏だ、すぐ来てくれ!」男が再び画面から……渉がマウスを回すと、広間の入り口から出ていく。他のキャラクターが一斉に、その後を追って移動を始めた。ある種異様な眺めだったが、渉もそこに続こうとして……そして、画面がちらついて再び動かなくなる。おそらく画面の処理が間に合わず、止まりかけているのだろう。渉は仕方なくその場で安定するのを待った。
「桐生さん、行かないんですか?」ふと見ると、広間にはピンクのドレス……萌絵だけが残っていた。「……桐生さん?」
「処理落ち。」渉はキーを叩いて答える。まだかなり処理が重くなっているのか、テキストがかなり遅れて上に出た。「俺、メインのPCでこのソフト動かなくてさ。ノートでプレイしてるんだけど、どっちもそんなに新しくないから重くって。おかげで遅れたんだよ。」まだ、安定していない。渉は正月に、安いグラフィック・カードでも買おうかと考える。
「そうだったんですか。」萌絵は少し沈黙した。「私、てっきり桐生さんもこのイベントに加わってるんだと思ってました。始まってもいないし、思わせぶりにあんな登場をするし……」
「違う違う。それより、操作とか適当にしてるんだけど……他のみんなは、操作説明とかも受けたんじゃないの?」
「ありましたよ。あっ、桐生さん……よかったら、部屋に行って話しません?ここだと、ほら……」萌絵のキャラクターが、部屋を動き回った。「……どこで、誰が聞いているかわからないし。館ものでは、気を付けないといけませんよね。」
 渉は笑った。「いいけど、その……殺された人、の現場はいいの?」カワサキ、だったろうか。「西之園さん、そういう現場が好きだったんじゃない?」我先にそこへ、というのが西之園萌絵にふさわしい行動のような気が渉にはする。
「好きなわけじゃないですけど。でも、今はまず桐生さんに操作方法を説明した方がいいかなって。それに、あんな大勢で行っても、部屋に入れないと思います。」渉もそれにはうなずけた。この広間ですら、十人も集まると一杯になっていたのだ。「どうせ、手かがりとかないでしょうし……」萌絵の言葉が少し気になったが、渉は同意した。
 
 


[487]中編『V.M.S.(4)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時55分 Mail

 
 
 萌絵が大広間から出る。そのまま彼女は廊下を歩き、小さな階段を上って二階に進むと、並ぶ赤いドアの一つに入った。渉もその後に続く。
 部屋にはベッドが二つと、一つ先に別のドアがあった。これは白で、赤くない。「桐生さん、賞品は何か聞いてます?」渉が部屋に入ると、萌絵は戸口に移動して、それから二つ並んだベッドの間に移動するとそう言った。
「いや、知らないけど。どうせうちの部だから、たいしたものじゃないでしょ?」
「三泊四日の沖縄旅行ですって。あと、ヒルトン那古野のスカイ・ラウンジでクリスマス・ディナーのフルコース。二つともペアで、だそうですよ。」
「それ本当?」渉は驚いた。文化系のサークルの中で、間違いなく下から数えた方が早い弱小&貧困サークルであるミステリィ研究会である。どう逆さにしても、そんな大金が捻出できるはずがなかった。「そんな、誰が払うの?まさか、西之園さんがスポンサーなわけ?」
「違いますよ。」と萌絵。「それに私、賞品にそれほど興味はないんです。でも、ペアで、というのにはちょっぴり惹かれると思いません?私と桐生さんの二人で事件を解決すれば、明日の夜は二人っきりで過ごせますよ?」
「え?それって……」これは渉が打ったテキストではない。思わず……そう、思わず声に出たのだ。画面の中の萌絵は無表情で、表情はうかがい知れない。「そりゃ、悪くないかもしれないけど……」それだけテキストを打って、渉はしばし考えた。殺人がどうのと言っていたはずなのに、何か別の意識が鎌首をもたげてくる。同時に、強烈な自制に似た何かも発生していた。「でもさ、その前に事件を推理して、犯人を見つけないと。これ、そういうイベントなんでしょ?」そう、言うなれば危険信号……警鐘、とでも形容すべき何か。
「そうです。始めに部長さんが説明してくれました。ルールと操作方法と……この事件の謎を解き、解決できるものならしてみたまえ、って。」そこでさぞ傲慢な文面が表示されただろうとは、想像に難くなかった。「君達は生き残ることができるだろうか?このVMSの仕掛けた恐るべき謎を解き明かすためには、既存の概念を捨て去るだけの度量と才覚が必要なのだ……そうですよ。あとは、ソフトを貰った時にも言っていた……ゲームだと軽んずることなく、すべて現実として真面目に対処するように、って。私思うんですけど、きっと、部の皆さんは、この謎が誰にも絶対に解けないだろうって確信してるんじゃないかしら?賞品も、出す気がない……出す必要がないから大げさにしたんじゃありません?だから、私もちょっとやる気になって。グラフィックはぎこちなくて粗いし、設定とか全然なくてつまらないけど、少しだけ面白かったです。このソフトを借りて、今度私も何か考えてみようかな。」
 萌絵の発言に渉は眉を寄せた。「西之園さん、面白かったって……まさか、もう犯人が誰かわかったの?」
「わかりましたよ。」萌絵はあっけなくそう言う。「わからないわけないじゃないですか。」
「だったら、どうして犯人を……その、告発しないの?」渉はテキストを打つ。「もしかして、他の人が事件の謎を解けるはずがないって思ってる?」
「当たってますけど、外れてます。」萌絵の上に浮かんだテキストを渉は読む。「だって、桐生さんが犯人でしょう?」
 渉は唖然としてそのテキストを見つめた。数秒の後、それが消えると……渉は、目の前のキーボードをタイプする。「え?」
「さっき、桐生さん私に説明しましたよね。メインのコンピュータでソフトが動かなかったから、ノートパソコンで動かしてるんだって。それを聞いた時に、全部わかったんです。つまり、この事件の犯人は……この世界の桐生さんが、二人いるんだなって。」
「二人?」
「そうです。桐生さんが、このVMSの開発に関わっていたかどうかはわかりませんけど……先週私が誘った時の様子や、さっきのバーでの会話を鑑みる限り、おそらく今までは何も知らなかったけど、ついさっき……九時前にこのソフトをインストールして起動した時に、桐生さんに何かの形で連絡があったんじゃありません?桐生さんのCDにだけ、部から特別にメッセージが入っていたとか……もしくは、電話とかで指示されたとか。それで、招待客だった桐生さんが、主催者側に……いわゆる犯人になったんじゃないですか?それも、ちょっと面白い展開ですよね。」萌絵のキャラクターが少しだけ動く。「桐生さん、本当に男子寮の御自分の部屋からアクセスしてます?電算部の部室とか……大学のコンピュータ・ルームからじゃありません?隣に部長さんや皆さんがいて……サーバを管理してる皆さんの所にいるんじゃないですか?」
 渉はポカンと口を開けていた……が、そこで首を振った。「違うよ。どうしてそう思うのかわからないけど……俺は、何も知らない。」
「そうでしょうか。」萌絵の上にテキストが浮かぶ。「最初に桐生さんがログインしなかった時に、変だなって思ったんです。でも、桐生さん自身が主催する側の一味で、犯人かもって考えたら、簡単に謎が解けるんです。」渉はモニタをじっと見つめた。「最初にカナエさんが殺された時、確かに桐生さんはログインしていなかった。でも、桐生さんは既に屋敷の中にいた。ううん、厳密にはカナエさんが殺される部屋にいたんです。でも、カナエさんを含めて、私達に認識できる状態ではなかった。ほら、さっきの、アマミヤさんが消えて現れたのと同じですよ。」渉は思い出す。ネットワークの断線によって目の前から消え、そして再接続して現れたキャラクター。「あらかじめ先回りして……私達が事前説明を受けている間にそれをすればいいんですから、簡単ですよね。その間に第一の殺人の部屋に移動して、ログアウトする。でも、ログインしなければ、そこに存在しないでしょう?そして、時間を見計らってログインして……部屋に現れて、そこにいたカナエさんを殺した。そして、すぐにログアウトする。これだけで、完璧な密室殺人ができるというわけです。あとはシンジさんなりが気付いて、みんなが騒ぎになった後にでも逃げ出せばいいんですから。違いますか?」萌絵は流れるように発言を続ける。「これだけでもよかったと思いますが、桐生さんはさらに、もう一つのコンピュータで同じソフトをログインして、別のキャラクターを……今使っているキャラクターを動かした。これはおそらく、カナエさんの部屋に鍵がかけられたり、追い詰められた場合の逃避手段として用意したものですよね?外から鍵を使ってもう一人の自分を助けたり、私達を陽動させたりするために。カワサキさんを殺したのも桐生さんですよね?面倒だから、実行犯を桐生#1ということにして……」渉は黙して萌絵の推理を聞き……いや、読み続けた。
「桐生#1が、カナエさんの部屋で待ち伏せて、彼女を殺す。部屋がわからなかったはずだ、という反論は、逆に誰を殺してもよかったからだ、と否定できます。私達がペアで九組、客室も同じ数しかないんですから、間違いなくあの部屋には誰かが入ってきますし。あとはターゲットが一人になった時点で……これについては、サーバを管理している犯人側は、すべてをモニタできるんですから容易に機会が狙えますね……カナエさんを殺す。桐生#1はそこでログアウトして、それから桐生さんはもう一つのコンピュータでVMSを起動させて、桐生#2をログインさせます。桐生#2はあたかも遅れた参加者のように振る舞って、そのまま外から館にやってきます。無論、一人だけ遅れてきたことでさっきみたいに疑われるでしょうけど、これは今起こった第二の殺人……広間に集まらず、歩き回っていたカワサキさんを桐生#1が殺害することで、カバーできます。勿論、カワサキさんを殺したのは、私達と話しながら桐生#1を動かしたからです。桐生さん、さっき私達が広間で話している間、ほとんど動かなかったですよね?それに、部屋のPCだから処理が重いって言えば、二つのキャラクターを同時に動かしている不都合をフォローできます。本当に桐生さんが一人で二人を動かしていれば、ですけど。」渉は呆れ……いや、唸った。「カナエさんの部屋には誰もいませんし、桐生#2が発見されたせいで、私達の大部分は広間に集まっています。当然、カワサキさんの殺害もカナエさんとほぼ同じ……殺害して、その場でログアウトするんですから容易に行えます。桐生さん、間違っていますか?」
 萌絵は、そこで「ふう。」と一拍を置いた。ため息だろうか。「殺人の瞬間だけ現れる犯人……しかも複数のコンピュータを起動することによって、同一犯でありながら、幾人もの犯人が遍在できる。アイディアとして面白いとは思います。だけど、少し……いえ、かなりフェアじゃないですね。どうせ部長さんでしょうけど……犯人役の桐生さんも、不満だったろうと思います。ですよね?」渉が返答する前に萌絵は続けた。「確かに操作している人は一人で、犯人は私達……招待客の中にいます。でも、ちょっと意地悪というか、アンフェアですよ。」呆れて肩をすくめる萌絵、という姿が渉の脳裏に浮かんだ。「部長さんが現実の出来事として対処しなさいとか、思わせぶりに何度も言っていたのも……あくまでこれは現実の事件として、一般常識の範疇で謎を解かなければならないって、私達にミスリードさせるためのものですね?それに対するヒントが、遅刻者は失格と言っていたはずなのに、桐生さんが入ってきたからだっていう事実だっていうのもわかります。でも、誰かが作ったソフトの中で遊ぶ以上、あくまで一定の条件やルールは必要だと思います。それを説明しないで何でもあり、ってしてしまうのは、物語の登場人物に『作者の書くストーリーを変えてみなさい』って言うのと同じですよ。それはタブーというか、かなり禁じ手だと思います。」渉は無言だった。無論、モニタの前でも同じである。萌絵に対して言いたいことはそれこそ山のようにあったが、今はどう発言しても逆効果だと思ったのだ。
 しばらくの後、渉はようやくテキストを打った。「それじゃ、もし俺が犯人だとして……」打ってから、何かをふと感じる。まるで誘導尋問されているようだ。「西之園さんは、どうして俺と二人きりに?しかも、秘密を話して……危なくない?俺が犯人だったら……」
 その途端、萌絵のキャラクターがスッと動いてもう一つのドアを開けた。その先にも小さな部屋があるようだ。バスルームだろうか。萌絵がそこに入っていき……「桐生さんは、ジェントルな人ですから。話が終わるまでは、さすがに襲いかかってこないだろうと思って。とりあえず、終了は十二時ですから……あと一時間もないですね。私、コーヒーでも飲んでゆっくり待つことにします。」ドアが、閉まる。
 ガチャリ、という音が聞こえてきそうだった。なるほど、と渉は思う。そして、自分のその推測を確認するために、入って来た部屋のドア……赤い、廊下に通じるそれの前に移動して、ドアを開ける、を選択した。

>鍵がかかっています

 次に、萌絵の消えた部屋の白いドアまで移動して、開けるを選択。

>鍵がかかっています

 まさに予想通りで、渉は深く息を吐いた。萌絵はどうやら、今語った自分の推理に絶対の自信を持っているらしい。渉にとっては心外なことだったが、確かに彼女の言う方法ならどんな殺人も行える……少なくとも、このVMSの中では……と思う。ようするに、ミステリィの作者が……世界を構築した存在が、あらゆる固定観念を無視して独自の発想で物語を展開させるようなものだ。密室の中の被害者を外から念力で殺害するとか、呪いのわら人形の力で連続殺人を行うとか、死んだ被害者が生き返っていたとか……そのたぐいのものだろう。無論、それらを明かす前に『この世界には超能力がある』や『呪術師は存在する』、あるいは『死人が甦ることも不可能ではない』などと説明していれば別だが。
 渉は考える。部長の発言。
『……起こり得るすべてに現実として対応するように。仮想現実、バーチャル世界だからと、ゲーム感覚で遊ばないでいただきたい……真剣に状況を認識し、謎を真摯に考える者だけが、たった一つの答えにたどり着けるのだから。それをないがしろにする者には、恐ろしい運命が待っている……』
 そして、思う。西之園萌絵がたどりついた答え。
 だが、それが違う。そう、違うことだけはわかっている。少なくとも、犯人は俺ではない。
 だがそれは、あくまで現時点で俺自身にしか確信できない事実だ。俺が西之園さんを含めた他の招待客にどう言おうと、俺が犯人の可能性は否定できない。彼らの心の中の、それは。
 なら……
 その、時だった。
 ドン、という音がした。目の前のドア……西之園萌絵が消えたドアからである。
「西之園さん?」返事はない。ドアの向こうに声が届いているのかも定かではなかった。渉はドアをクリックする。

>ノックする
>開ける
>壊す

 ノックをした。だが返事はない。次に開けるを選択。やはり、鍵がかかっている。渉は意を決して最後の選択肢を選んだ。それがある種の罠かもしれないとも考えたが、それよりも遥かに嫌な予感の方が大きかったのだ。
 そして……
 ドアは、消えた。大きな、爆発音のような轟音と共に。だが、その滑稽さが渉の記憶に刻まれることはなかった。
 果たして、それは、正しい。
 渉は見下ろす。その光景を。
 小さな浴室。そこに、倒れ伏した女性。
 窓はない。その先のドアも、何も。映像だからこそか、あまりにも簡素で、整然とした空間だった。
 そこに、西之園萌絵が倒れていた。
 赤く、染まって。
 
 
 


[488]中編『V.M.S.(5)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時56分 Mail

 
 
 どれだけの時間、息を止めていたのだろうか。
 耳慣れたブザーの響きが、桐生渉の意識を引き戻した。
 管理人からの呼び出し。渉は席を立ってドアに歩く。「電話。」デジャヴを感じた。あれから何時間もたっていないはずだが、感覚としてそう思えない。
 とにかく了解して部屋を出、管理人室へと歩く。男所帯のクリスマスなのか、上の階……遠くから騒いでいる声がかすかに聞こえた。それを耳にしながら、渉はさらなる何か……妙な感覚に身を震わせた。そう、寒さでなく。
 並ぶドア。誰もいない廊下。そして、そこを歩く者。
「規則は知ってんね。何度も電話せんように言っとき。」苦虫を噛み潰したような顔の老管理人に、渉は頭を下げる。時間は既に十二時近い。誰が……と思いつつ、それを取った。
「もしもし……」
「桐生さん!どうなってるんですか、これ!」あきらかに取り乱した声色のそれは、間違いなく西之園萌絵の声だった。そしてそれが、渉をそこに引き戻す。
 そうだ。言うなれば、現実。
「西之園さん?」口にして、渉はそれを自覚する。そうだ、西之園萌絵は死んでいない。彼女は生きている。現実の彼女が害されたわけではない。あれはただの、コンピュータの中での出来事にすぎない。「俺は知らないよ。西之園さんこそ……」どうして、誰に殺されたのか。それを尋ねようとして、渉は言葉に詰まった。
「こんなことってないわ!そんな、だって、それじゃ私が……」電話の向こうで、萌絵が息を呑んだのが感じられた。
 そして、沈黙。「西之園さん……?」答えはなかった。渉もまた、かけるべき言葉が見つからなかった。萌絵の心境以上に、ある種のギャップに困惑していたのだ。
 モニタの中にいた、遺体となった萌絵。そこは出入り口が一つしかない浴室で、隠れる場所などない。そしてそのドアの前には……
 俺が、ずっと立っていた。彼女が入ってから物音がしてドアを壊して侵入するまで、ドアが開くことはなかった。だとすれば、浴室に隠し通路でもあるのだろうか。もしくは、透明人間の犯人が浴室に潜んでいて、彼女を殺したのだろうか。
 透明人間?渉は萌絵の言葉を思い出した。万能の存在。ルールを無視する者。複数の同一犯。遍在する殺人者。
「ばかばかしい……」自分の呟きを渉は自覚しなかった。ただ、電話がいつのまにか切れていることに気付く。萌絵が切ったのだろう。そして、渉を睨み付ける老管理人。それが、相手が女性だということでさらに増していることを渉は認識する。深く頭を下げて、その場を去った。後日何か言われるだろうと思い、そういったルールを意に介さない西之園萌絵に嘆いた。いや、意に介すも何も、男子寮のことなど何も知らないのだろう。
 とにかく……と、渉は部屋に戻りながら考える。
 そうだ、もしも今の殺人が、物理法則から逸脱した存在が行ったことだとすれば……まさにそれは神の御技の如く、常人が計り知れない部類のものだろう。それこそ萌絵が言い渉が思ったように、人間の想像力の数だけその方法は存在する。
 寮の部屋。渉は再びノートPCの画面を見た。何も……そう、何一つ変わっていない。倒れた女性、その前に立ち尽くす男性。そして……「桐生!どうしたんだ!西之園さんが……うわっ!」画面にテキストが現れた。マウスを動かすと、渉と萌絵がいた部屋のドアが消えて、そこから大勢の男女が入ってくる所である。
「西之園さんも殺されたのか!?」「やっぱり、桐生さんが犯人?」「これで三人目かよ……わけがわかんねぇ!」二人を探していたのだろうか。ノックをされたのかもしれない。そう思う渉の前で、様々なテキストが現れる。それを惚けたように眺めながら、渉は考えた。
 彼らはおそらく、このイベントがルールに則って行われていると思っている。そう、競技、あるいはゲームとして整然と行われていると。そして、それを否定した西之園さんは死んだ。まさにありえざる密室の中で。
 もしかすると、前の二人も同じだったのかもしれない。渉は思う。カナエ、カワサキ……彼彼女らもまた、この館……VMSの世界に干渉して何もかもをしでかす万能の存在が犯人だと思い、その結果、殺されたのではないだろうか。だとすると、彼らは死ぬべくして死んだ……殺されたことになる。つまりその場合、犯人の目的はこの世界の異常に気付いた者の排除だということだ。渉は最近見た映画の中に、そんな内容のものがあったことを思い出す。
 そう、だとすれば……「一応言っておくけど、俺は犯人じゃない。」渉はテキストを打つ。「信じてもらえないことはわかる。ただ、俺は西之園さんにこの部屋に閉じ込められたんだ。そして彼女は部屋の鍵を持ったままこの浴室に入って、さらに中から鍵をかけた。そうすれば、俺を閉じ込めておけるし、彼女自身も安全だと思ったんだろう。つまり、西之園さんは俺が犯人だと思っていたんだ。」そう、渉が犯人であり、もう一人の渉……彼女が桐生#1と呼んでいた殺人者が存在するとすれば、この狭い浴室に隠れるのが安全だと思ったに違いない。さらに、渉……桐生#2自身も閉じ込めることができる。「だけど、彼女は殺されてしまった。俺は中で音がして、呼びかけても返事がないからドアを壊して開けた。そうしたらこの通り、彼女が死んでいた。」桐生#2。萌絵が言っていた犯人がもし存在するとすれば、それを捕まえることは非常に難しい。だからこそ自分を守り、共犯……いや、犯人でもある渉を捕え、そのまま時間切れを待とうとしたのだろう。「とうてい信じてもらえないことを言ってると思う。だけど、間違いない。俺は彼女を殺してないが、彼女はこの密室で死んでしまった。」
 嘘だ、という声がいくつかあがった。渉は自分でそれにうなずく。こんな話をされて、まともに受け取れるはずがない。渉が正気でなく、犯行の記憶を喪失しているとでも見る方が遥かに正常だろう。
「おい、それ、俺の時と同じだ……桐生、カワサキが殺された時もそれと同じだった。」男の一人が言う。「みんな、俺の話を信じてないけどよ……さっき話したのとほとんど同じじゃないか!俺、カワサキと二人で屋根裏部屋に入って、俺が先に出たんだ。少し待ってもカワサキが出てこないから覗いたら、あいつが部屋の真ん中で死んでいた。屋根裏部屋って言っても、広間の半分もないし、荷物もないし、隠れる場所なんてない。唯一の出入り口には俺が立ってたんだぜ!?その間、俺は誰一人見てないし……第一、カワサキが殺されるまで五分もなかったぜ?わけわかんねぇよ。」
 渉はキーボードを打つ。「西之園さんは俺に言っていた。このVMSという世界がミステリィ研究会の手によって作られて、コントロールされている以上、そこで主催者側が……犯人が、何を起こすことも可能だろうって。だから彼女は、俺を疑ったんだ。俺はミステリィ研究会の古株だし、俺自身が犯人で、スタッフと結託すれば完全犯罪なんて容易に行えるはずだ、って。」
 渉のそれを聞いて、不平や不満の声が一斉に上がる。「桐生先輩、そんなことしたらゲームにならないですよ。第一、ほら、部長さんが言ってたじゃないですか。茶化さず、真面目にプレイしろって。」
「そうだね。」渉はふっと笑った。確かにその通りだ。そして……
 だからこそ、おそらく……そうなのだろう。
 渉は、静かにタイプを続けた。「ミス研の部長は言ったね。ゲーム感覚で挑むなって。現実として対処しろ、でなければ謎は解けない……」テキストを打ちながら、渉はようやく、そこに至る。「……そうか。確かにそれで、正しかったんだ。西之園さんも……殺された前の二人もそうだったのかもしれない。三人はそれぞれ、おそらく結論に……答えに、一番近い場所にいたんだ。だが、そこで失敗した。」そうだ。おそらく……それは、事前にそこまで理解していない限り、回避することができないものだったろう。あの西之園萌絵ですら、それに引っ掛かったのだ。「たぶん、俺の予想だと……」渉は部屋が暑いな、と思う。今年は暖冬なのか。「……被害者の三人は、自分達が殺されたことにすら気付いてないんじゃないかな。」そう思う。そうでなければ、このトリックは成り立たない。渉は萌絵の電話を思い出した。そうか、だから……
「どういうことだ、キリュウ?」
「つまり……」そこで、渉の指が止まった。
 不意に、画面にメッセージが現れる。キャラクターの上、吹き出しの中に浮かぶテキストではない。
 まったく別の、金色に輝くテキストだった。

>おめでとうございます。
>貴方は見事、事件の謎を解き明かしました!
>貴方の勝ちです。豪華景品をお楽しみに!
>VMSを終了させて、指定された勝利者ルームにアクセスして下さい。

 画面が派手にフラッシュする。
 来た……!
 渉は思った。それは、その画面を見た彼の自意識のほとんどに逆らう……いや、いわば反観の如き意識だった。
 そう、だからこその違和感。異質な……何か、否定を望む、強い感情。
 違う。それをしてはいけない、正しいのはそちらだと、断固として主張する自分がいた。
 確かに、疑う余地などない。そう思える。当たり前で、それはそうだろう。
 渉は汗を拭く。今はいつだろうと思う。十二月二十四日。クリスマス・イブだった。そう、もう十二時は過ぎている。今日は二十五日、クリスマスだ。
 画面を見る。そこにある、選択肢。

>終了する

 たった一つ。それ以外にはなかった。
 渉は黙ってマウスをクリックする。下部の発言用テキスト部分に。
 そして、ゆっくりとタイプした。
「俺は、終了しない。なぜなら、これは現実の世界で、絶対法則としての勝ち負け、終了などは存在しないからだ。」
 画面は金色に輝いている。渉は構わず、続けてテキストを打った。
「先の三人は、手段は別としても、ここまではたどりついたはずだ。だけど彼彼女らは、ここで終了を選択してしまった。だが、それこそがこの事件の……VMS、いや、VMSと呼ばれるプログラムそのものを利用したトリックだったんだ。これは確かにコンピュータ・ソフトの作り出したバーチャル空間かもしれない。だから、ゲーム感覚でみんながプレイした。だが、それこそが犯人……いや、主催者側の狙いだったんだ。あくまでゲームであり、そこで何が起ころうとも現実ではなく、電源を切れば、あるいはクリアすれば終わってしまうこと……そういった、誰もが持つ当たり前の意識こそが、このイベントの謎の根幹だったんだ。」そう、過去も何も持たず、ただ存在し、いつでもリセットできる世界。「参加者に主催者から与えられた題目は、あくまでここを現実として対処しろ、というものだった。だから、俺は終了しない。なぜなら、現実の世界にそんなものはないからだ。もし終了を選ぶとすれば、それは自殺と同じだろう。そしておそらく……いや、間違いなく先の三人は示された『終了』の選択肢を選んで、自分の命を自分で絶ってしまったんだ。すなわち、この世界で生きることをやめてしまった。ようするに、彼らは自分で自分に手を下してしまったんだ。」息を吸う。「殺人……自殺を示唆、あるいは誘導しているこのテキストが事件の犯人と言うこともできる。だけど現実の世界なら、こんな声が聞こえてくるはずがない。あるとすれば、誰かが喋っている、あるいは録音したメッセージが、隠されたスピーカーから流れているんだろう。どちらにしろ、君の勝ち、終了しなさいと言われてそれを信じ、実行する気は俺にはない。」ここまで打って、渉は深く息を吐いた。
 と、画面がいきなりフラッシュした。そして……
 そのまま、すべてが静止した。
 
 
 


[489]中編『V.M.S.(エピローグ)』≫すべてがFになる: 武蔵小金井 2003年12月30日 (火) 18時57分 Mail

 
 
 
 翌日の午後。
 渉は大学の図書館で数冊の海外の資料を読んでいた。
 英和辞書を片手に、コピーと原本である雑誌を並べて一つ一つの項目を拾っていく。最新の建築理論のいくつかを呈示しているそれは、おそらく日本語であっても渉には理解し難いレベルのものだったろう。今も、ほとんど中身を理解などできず、下手な翻訳をしている如き状態である。だが普段なら時間の無駄と根を上げるそんな作業も、どうしてか今日の彼には心地好かった。
 そういえば、と渉は思う。昨日のあれ……V.M.S.とやらを利用したイベントの結末は、どうなったのだろうか。あの後、主催者側からなにがしかの説明がされたのだろうか。渉の元にはメールも何も届いていなかった。だが、もしも飲み会なりが行われたとすれば、ミステリィ研究会の部員は今頃全員が二日酔いで潰れているだろう。
「あっ、いたいた。桐生さん!」ホワイトを基本にした薄いイエローと濃いレッド、という目立つこと極まりないウインターコート姿の西之園萌絵が渉の元を訪れたのは、夕暮れが訪れてすぐのことだった。
「やあ、西之園さん。」渉はどうしても訳せない一行を見捨てて顔を上げた。「どうしたの?図書館なんて、めずらしくない?」西之園萌絵を図書館で見るのは初めてではないかと渉は思う。
「そうですね。でもここ、暖房効いてて暖かいですね?」萌絵はそのまま、渉の前に腰掛ける。「桐生さん、なにしてるんですか?またレポートですか?」
「いや、たいしたことじゃないよ。暇だから、犀川先生が講義で参照していた論文の原文、読んでみようかと思ってさ。取り組んでみたんだけど……」萌絵の目が、何か別の光を宿したのを渉は見た。「……ちょっと、ね。俺には早かったかもしれない。」どれくらい早い、かということは口にしないようにした。
「ふぅん。よかったら、後で私にも見せてくれます?」萌絵の興味の大部分がこの論文そのものにあるのではないであろうことは間違いないと渉は思う。「あ、それより桐生さん、もう時間ですよ!私、せっかく迎えに行ったのに……」
「時間?」渉は首をかしげる。「迎えって……誰が?」何か、嫌な予感がした。
「私ですよ!もう、忘れちゃったんですか?昨日の……昨夜のあれ、V.M.S.の話ですよ!」
 渉は目を瞬かせる。「ああ。俺さ、あの後ノートPCもフリーズしちゃって……グラフィック・ボード、新しいのにしないとダメみたいだ。処理がちょっとどころじゃなく重くてさ……それより西之園さん、あの後はどうなったの?勝ったから少し待っていろとか、言われた?」
 萌絵の変貌は劇的だった。
「それなんですけど……聞いて下さい、桐生さん!」確実に一オクターブは上がった声に、渉は怯む。「私、本当に……もう、信じられない!」
「ま、まあ。」食いつきそうな萌絵を渉はなだめた。「仕方ないよ。俺だって、気が付けたのは西之園さんがあれだけ言い残して言ってくれたからだし……」それは間違いないと渉は思った。アンチテーゼとしての萌絵の発言と彼女自身の喪失がなければ、渉の結論も生まれなかっただろう。
「違うんです!あの時、私……ううん、あの、つまり……」萌絵が返答に窮しているのもまた珍しいと渉は思う。「私、本当は、わかったんです。桐生さんを閉じ込めて浴室に入って、クリアの文字が出てきた時……もしかしたらって、思ったんです。」渉はかすかに目を見張った。萌絵のさらなる変貌……そう、まるでこれは、落ち込んでいるように見える。「意味はわかります。私は、視野を広げることで万能の主催者、つまり桐生さんが犯人だと思った。部長さんの説明だと、私の前に殺害された二人は、もっと適当でいいかげんな調子だったそうです。ただ、これは主催者が犯人じゃないの?みたいなテキストを打った人間を狙って、一人の状態になった時にクリアのメッセージを送る……」渉はうなずく。しおらしく……そう見える……西之園萌絵の前で。「私、あのメッセージを受け取った時に、それに気付いたんです。桐生さんが犯人じゃないかもしれない、いや、犯人そのものが存在しないんじゃないかって……確かに、犯人を捕まえろとは言われていないし、だからこそ私もクリアの表示が出てきた時にそう思いました。でも、もしこれがすべて反面としてのトリックだとすれば……って。自分の中の犯人。つまり、自分自身が犯人じゃないかって。」
「それで、どうして……選んだの?」渉は尋ねる。萌絵が負け惜しみを言っているとは思えなかった。「クリックミス?」
「それは……」萌絵は黙っていた。何か、渉をじっと見つめている。しおらしいに加えて、悪びれているようにも見える。渉は、自分の心臓の鼓動が聞こえてくるような気がした。「……賭け、だったんです。私、だから……」
「賭け?」渉はさらなる疑問符を口にした。
「そうです!だって、しょうがないじゃないですか!あそこまで桐生さんに説明して、間違いないって思って……だって私、電話だってかけたんですよ!」自分が妙な顔をしたであろうことを渉は確信する。「あぁ、違います!あの、失敗した後の電話じゃなくって……そのずっと前に、電話をかけたんです。九時になっても桐生さんがVMSに入ってこないから、気になって……桐生さんに、電話したんです。そうしたら管理人さんが、桐生さんは向井さんと電話中だって教えてくれて……」萌絵が黙る。渉はそんな彼女をじっと見た。
「つまり……」ミス研の部員である向井のことは、当然先輩として萌絵も知っている。「……それで、俺が犯人だって思ったわけ?」
「それだけじゃないですけど。」萌絵の頬は赤かった。「でも、それが私の推理の……結果的にミスリードの材料になってしまったことは確かです。だけど、桐生さんしか容疑者はいないし……私、クリアのメッセージが出た時も、最初は嬉しくて……でもそこで、あれって気付いて。でも、横に先生がいたし……賭けに勝ちたかったし、それに今更、桐生さんにあんな大口叩いて、全部間違いだったかもって……思いたくなくって……」
「先生?」萌絵の言葉の一語に、渉は思わず聞き返す。「西之園さん、今、先生って……」
 萌絵の表情は三度、劇的に変化した。「せ……」渉の顔に、赤く染まった顔が横を向く。「……そ、そうです。でも、何か、いけませんか?昨夜私、先生と一緒だったんです。」すましたように、それでも横目で渉をチラリと見る。
「ふぅん。」渉はとりあえずそれだけ言った。いや、それだけしか言えなかった。自分の表情を必死に抑えるのに懸命だったのだ。昨夜の……テキストを打てば他に察せられることはない、VMSの世界のことを思い出す。
「あっ、なんですかそれ!桐生さん、何か誤解してません?」萌絵は途端に噛み付くような表情となった。
「いや、別に。ふーん、そうだったんだなぁ……ってさ。」そう、驚きはあるが、別に、そう……別に、それほど意外ではない。何しろ……そうだ、何しろあの国枝桃子助手が結婚する時代である。
「それ、誤解してます!何かあったとか……そんなこと、全然ないんですから!」誤解に立腹しているのか、それとも別の理由なのか、渉には見定められなかった。「先生とケーキを食べて……シャンパンを飲んで、それで、私がVMSをプレイしてるのを見ながら……気付いたら先生、本を読みながらほとんど寝てて!シャンパンで酔うんですから!もう、信じられない!」渉はうんうんとうなずいた。うなずかずにはいられなかった。萌絵の鬼気迫る訴えの前では。「諏訪野がコーヒーを入れてくれて、ようやく目が覚めたら……先生と、約束して。桐生さんが犯人だったら、賞品のクリスマス・ディナーを一緒に行ってくれます?って言ったら、別にいいよって。だから、私、どうしても勝ちたくて……」目の前の女性が泣き出すのではないかと渉は思った。彼女はまるで……そう、いつか見た日のように、酔っているようだ。季節は夏、渉はそれを思い出す。
「そ、そうだったんだね。それで、どうなったの?」なだめるように。
「どうなったのって……桐生さん、知ってるじゃないですか!」自分が火に油を注いでしまったことに渉は気付いた。「私、だから、クリックしてしまって……おめでとう!三人目の犠牲者にして唯一無二、絶対無敵のトリック被害者!萌絵君が引っ掛かってくれることが我々ミス研VMSプロジェクト・チーム、最大の目標だったのだ!そのために我々がどんな労力を払ったか!桐生先輩をスケープゴートするためにあらゆる手段を尽くし……って、部長さんやみんなが自慢げに……あぁ、もう思い出すだけで腹が立ちます!」渉は萌絵が投げつけないように資料を集める。「先生にこんなのひどすぎるって訴えたら、まあ、そうじゃないかって思ったよ……って!誰も彼も!みんなで、私を……!」
「ま、まぁ、落ち着いて……!」そこで、大きな咳払いを渉は聞きつける。
 ふと見ると、机の並ぶ一角……テーブル越しに相対する渉と萌絵の二人を、図書館にいる……視界に捉えられる……学生の大部分が注視していた。そして、怒髪天をつく、という形容がもっともふさわしそうな、年老いた女性司書。
「に、西之園さん?」渉は冷や汗……間違いなくそうであるものを流しながら萌絵を見る。そう、怒髪天なにがし、という形容ならここにも一人……
「桐生さん、行きましょう!」萌絵は司書や衆目何するものぞ、という調子でそれらを一べつすると踵を返した。「結果はどうあれ、私達、勝ったんですから!」渉は気おされて……萌絵でなく周囲の咎めるような視線に対して、であると自覚しつつ……荷物をまとめた。そのまま、湯気が出そうな顔の萌絵の後に続いて歩き出す。
「ねぇ、西之園さん。行くって……どこに行くの?」渉は図書館を出てなお歩き続ける萌絵に、なるべく静かに声をかけた。
「忘れました?レストランの食事ですよ。」立ち止まることも振り返ることもなく、萌絵が答える。その声は、かなり落ち着いているようだった。「だって、桐生さんは見事に謎を解き明かしたんですから。パートナーの私にも、貰う権利は当然ありますよね?さっきそれを要求したら、部のみんなは旅行のお金なんてないって言うし……でも、クリスマス・ディナーは認めさせました。予約でいっぱいだろうって言うから、私が店に電話して空けさせたんです。費用は部が払ってくれるそうですよ。」
 前を歩き続ける萌絵。その後姿は、夕陽に照らされて……どこか、まだ怒っているような、それでいて嘆いているような、もしかすると寂しげな……そんな、複雑な色彩に染まっているように見えた。「それとも、桐生さん……何か用事、あるんですか?」そこでようやく、萌絵が振り向く。
 訪れようとする夕闇に挑むような薄い陽光に照らされて、ショートカットの少女が微笑していた。
「いや……」渉は少しの時間を置いて答えた。「……いいよ。確かにそうだね。俺は結局、西之園さんが説明してくれたから、答えにたどりつけたんだし。」
 それには確信があった。考えてみれば、萌絵が倒れるという事態にならなければ、真面目に推理する気もなかったと言うべきかもしれない。それにどういう感情が含まれているのか、渉にはわからず……
 ……わかりたいとも、今はそれほど思わなかった。
「二人の勝利か。いいね。それじゃ、ディナーに行く?」犀川先生はいいの?とは言わない。それもまた、渉にとり今はどうでもいい感情だった。
 萌絵がうなずく。「車、回してきますね。」渉もまた、うなずいた。
 萌絵が去っていく。渉は空を見上げる。昨日までの暖かさもどこへやら、冷たい風が拭いていた。もうすぐ、本格的な冬が来るのだろう。N大学生として、萌絵には最初の冬……そして、渉にとっては最後の冬になるはずだった。
「勝利、か……」
 勝ち負けなんて、現実には存在しない。負けたと思ったら負けで、勝ったと思っていれば勝っているのだろう。陳腐な言い回しかもしれなかったが、気の持ち次第でどうとでもなる程度のことだ。渉はそう思って笑った。西之園萌絵にレストランに連れていかれるのは、勝ちなのか負けなのか。俺が、どう思っているのか。
 視野の大小、それとも差異か。昨夜の事件はそうだった。現実として対処しろ……その視野を広げ、結果として主催者を含めたコンピュータ・プログラムとしてのプレイヤーの行動を読んだ萌絵。そして、視野を狭め、あの小さな電子世界を仮想のそれでなく、本物のそれとして対処した自分。それはおそらく、どちらが正解などと言えるものではない、と渉は思った。
 そうだ、この世界……今、俺と西之園さんがいる空間すらそうかもしれない。俺は今から彼女とホテルのディナーに行くが、ある一面からすればそれは犀川先生の代打……彼女の鬱積の解消のための行為だろう。そして別の面から見れば、これはまぎれもなく、俺と彼女、二人きりの夕食だ。そう、クリスマスの。それはどちらが正しいとも言えず、誰にも評価できないことだろう。何しろ……と、渉は思う。俺自身が、それを決められないのだから。
 クラクションが鳴る。振り向くと、夕日の中で、赤いスポーツカーに乗った萌絵が手を振っていた。
 渉も手を振る。そう、正否を決める必要はないかもしれない。自分がそれを求めてしまう、その理由がわかればいいのかもしれない。そして、もしかしたら……そのすべてを、導き出される答えのすべてを同時に持つことすら、人には可能かもしれない。だがそこに至り、渉は笑って首を振る。そんなことができる存在がいるとすれば、それはまぎれもない天才だろう。
 渉は歩き出す。萌絵の車に向かって。
 二人の新たな年は、すぐそこに迫っていた。
 
 
 


[490]2003年のあとがき: 武蔵小金井@管理人 2003年12月30日 (火) 19時17分 Mail

 
 
 
 暮れ行く年の瀬、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 …………一部(?)の皆さんは、色々と御疲れさまです(笑)。

 時期を外した季節狙い文ほど、むなしいものはないですね。
 とりあえず、本当にそれだけはすみませんでした。
 と、謝ってばかりなのもいけないので、一つここからは明るく。

 
 一ヶ月に一本は外せないと思ったのが一つ。
 それでも相当に危なげだったのが泣きですが。
 何を書こうとか、思えるのは幸せだなとか思ったときも。
 本当にこの二ヶ月であらゆることが変わったような、
 実は何も変わっていないような。

 今年のしめくくりに一本と考えたのですが、
 そのためにネタを考えたら、やはりというか、
 今年の自分は結局、コレだったなと(笑)。
 去年末、西海航路の連載を始めて……
 今年の夏に終わるまで、本当に色々なことがあって。
 今から思うと年甲斐(笑)もなく無茶をしたなと、しみじみ思います。
 だから、その思いを込めて、もう一度書いてみました。
 錯乱したあとがきの代わりというわけではありませんが……
 その、何となく、してみたかったのかも(笑)。
 内容についてはその、相変わらずの私というか、勝手気ままです。
 書きたかったことを、思うままに書いてみただけ。
 深い意味合いとかはないです。あらゆる意味で設定違いとか、数多くあると思います。でも、何だか楽しかったのも事実で。本当に書きたかったのかと問われると、それは疑問符がやはりついてしまって。風邪をひいて治っていない、的な自分なのかもしれないと思ったこともあり、それがいいのか悪いのかもわからなくて。
 でも、やはり、好きなものは好きと(笑)。

 一応(あとがきで書いても仕方ないのですが)、この文はKIDさん製作のPS用ミステリィアドベンチャーゲーム、『すべてがFになる』を基としています。分岐するストーリーの中でどれか、というものは、一応……ありません。

 お読みになった方には、精一杯の感謝を。
 そして、この文に限らず……本年(以前も含めて)私の拙文を目にしてくれた全ての皆さんに、ありがとう。

 来年は、その……復帰するつもりです。
 とりあえず、R11がプレイできる春頃には、そんな自分でいたいと(笑)。
 
 ありがとうございました。
 
 
 2003年12月30日

 武蔵小金井@管理人
 
 
 



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