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[748] 追いかける人
藤代 - 2004年09月14日 (火) 22時12分

『第一志望どこにした?』
 昼休みに携帯のメールを確認した俺は、そのメッセージを読んだ途端に机に突っ伏した。
 孝史からのメールだと分かった時に、ある程度その内容は見当がついていたはずだったが、ここまでまっすぐに問いかけられると、もうため息も出ない。
 前の席の宮沢が振り返る。
「なに潰れてんだよ」
 俺は無言で携帯電話を差し出した。ディスプレイを覗き込んで、宮沢がけたけたと笑う。
「また孝史か。大変だな、お前も」
 ニヤニヤと笑う。
「頭きた。……冗談じゃないぞ。大学までついてくる気かよ、あいつは」
「ついてくる気に決まってんじゃん。いまさら何言ってんだよ」
「あっさりと言うなよ、宮沢」
 睨みつけたら、宮沢が爆笑した。
 体もでかく少林寺拳法部なんかの主将をしている俺をこうまで堂々と笑い飛ばせるのは、この宮沢くらいなものだ。同じ部の統制をしているというだけでは言い切れない度胸のよさがこのひょろりとした眼鏡の男にはある。
「あきらめな、勇一。お前は一生孝史について回られる運命なんだよ」
「……冗談じゃない」
「でもさ、家は隣同士。ものごころつく前から兄弟同然に育ってきて、保育園幼稚園小学校中学校高校まで同じ、しかも部活まで一緒ときた。今更って気もするけどね」
「俺は好きで一緒なわけじゃない、孝史がくっついて来るんだ」
 そうだ。いつだって孝史が追いかけてくるんだ。
「宮沢、お前もやられてみろ。本当に心底鬱陶しいぞ。いつだって何だって、勇一と同じもの、勇一と同じとこ、勇一勇一勇一って、全ての判断基準が俺なんだ。」
「まあね」
 宮沢が眼鏡の奥から覗き込む。
「だけどさ、ぶつぶつ言うわりにはお前もまめに面倒を見てるじゃん」
「面倒なんか見てねーよ。孝史が勝手にくっついて来るだけだって言ってるだろうが」
「だったらいいじゃん、勝手についてこさせて、お前はお前のやりたいことをやれば。知らんぷりしておけば?」
「やってるよ。だけど鬱陶しいんだよ、あのいつでも俺の機嫌を伺うようなおどおどした目が」
 けらけらと宮沢が笑う。
「あれが可愛いって意見もあるぞ。特に女子ね。男臭さを感じさせないやさしい顔立ちと小柄な体。丁寧な喋り方、穏やかな笑顔」
 無視する俺を、宮沢が肘を突いてニヤニヤと見上げる。
「だったらさ、嘘教えといたら。絶対ついて来なさそうな所」
 俺は宮沢に視線を戻した。
 ……なるほど。
 俺は数秒考えたあと、この辺りでは一番の難関の国立『名古屋大学』と返信した。



 孝史は俺の幼馴染だ。
 俺の家族がこの新興住宅街に引っ越してきたのは俺が二歳の時だ。同じ時期に孝史の家族が隣に引っ越してきてからの付き合いだから、もうかれこれ十五年になる。
 その間、幼稚園も小学校も中学校も高校も同じ、しかも所属している部活まで同じときた。それは決して偶然でも必然でもない。ただ単に孝史がいつだって俺の真似をするからなのだ。
 正直言って鬱陶しい。いや、かなり鬱陶しい。
 そもそもの始まりは、同じ学年の息子を持つということで意気投合した双方の母親の「孝史くんを守ってあげて」攻撃だ。
 その当時、同じ学年とはいえ五月生まれの俺と三月生まれの孝史を並べると、約一年の成長の差は歴然だったのだろう。一年近く早く生まれた俺に孝史のお守り役が回ってくるのはある意味当然だ。
 双方の親に「勇一くんがいて助かったわ」とうまくおだて上げられたこともあるが、俺の目から見ても、俺よりも一回り体が小さく、よく転んでぴーぴー泣き、俺が箸でご飯を食べるようになってもスプーンでしか食べられなかったり、はみ出さずにクレヨンを塗れなかったりする孝史は守ってやらなくてはいけない存在に見えたのだ。
 孝史は孝史でそんな俺がまるで絶対の英雄のように見えたのだろう。俺にキンギョのフンのようにくっつき、俺がやることなすことすべて「すごいね、すごいね」と感嘆の瞳で見つめた。まるでスーパーマンのようにもちあげられ、それはそれで非常にいい気分だったのは確かだ。
 今の俺のいわゆる「兄貴気質」な性格はきっとこの時代に形成されたのだろう。
 だがそれにも限度がある。
 学年が上がるにつれ、俺は孝史が邪魔になってきた。
 俺がキャラクターものの下敷きを持ってくれば自分も同じものを探してくる。サッカークラブに入るといえば自分も入ると言い、中学の部活に至っては「何に入る?」と聞いたら「勇一と同じの」と答えが帰ってきた。
 冗談じゃない、そこまで責任がもてるかと俺がブチ切れれば、黒目がちの大きな瞳を潤ませて俺を見上げる。自分のことくらい自分で決めろ、と怒鳴れば、勇一についていくって決めたんだ、と屁理屈を言い出す始末だ。
 結局高校まで一緒になってしまった今では、俺は完全に孝史が鬱陶しくなっていて、態度もかなり邪険になっていた。
 そもそも俺が高校で少林寺拳法部に入ったのだって、体格がものを言う武道だったらついてくるのを諦めるだろうと思ったのだ。
 だが、孝史はついてきた。
 しかも困ったことに、力ではなく急所狙いの少林寺拳法は体の小さく器用な孝史にも合っていたらしく、かなり強くなってしまい今では副将だ。
 孝史は言う。
「勇一が少林寺に導いてくれたんだよ」
 だから、やめろっつうの! その、俺が全ての評価基準みたいな言い方は!



「名古屋大って本気?」
 さっそくその日の放課後の部活で孝史につかまった。
 準備運動で乱れた黒帯を結びなおしながら俺の横に立つその姿は俺よりも頭ひとつぶん小さい。
 しかも体のつくりも小さくて、春の学生大会では女子の部に召集されかかったくらいだ。女子の部はあっちだよ、と案内の大学生に言われて目を白黒させているのを「うちの副将です」と引き戻したのは俺だ。
 ただでさえ弱そうにに見える外見なんだから動作ぐらいシャキシャキしろといつも思うのだが、その性格からなのか、孝史の動きは少林寺をしている時でさえ「力強い」という言葉からは程遠い。
 もっともそれは、初心者や女子部員から言わせると「丁寧で穏やか」「柔法を教わるなら孝史先輩がベスト」ということになるのだそうだが。
 まっすぐに俺を見上げる孝史に俺は視線を戻した。
「ああ。本気だよ」
「偏差値足りてるの?」
「志望は志望だろ。何だよ、俺が国立を狙っちゃ悪いわけ?」
 思わずむっとして声を荒げたら、孝史がわずかに身を引いた。その様子さえも俺を苛立たせる。仮にも副将なんだからもっと堂々としていて欲しいのに、こいつはいつも俺の前でだけこんな風になる。
 しかし視線だけは俺の顔から外さないのだ。俺の感情を伺うように。
 俺は正直言ってこの孝史の瞳が苦手だ。透明感のあるわずかに色の薄い黒目がちの瞳。瞬きもしないで見据えられると何もかもが見透かされているような気がしてくる。
 嘘をついたことがばれているような気がして落ち着かなくなりかけた時、ちょうどいいタイミングで後輩が「先輩」と孝史に声をかけた。
「何?」
 孝史の視線が逸れてほっとする。
「休憩時間なのに申し訳ないんですが、小手投げを見ていただけますか」
「いいよ」
 にこやかに笑って孝史は俺に背を向けた。
 道場の中心に向かって歩きかけて、孝史はおもむろに俺を振り返った。
「悪くないけど。……だったら俺も頑張んなくちゃ。俺の成績、名大にはまだまだ遠いから」
 どこが考え深げにつぶやいて、孝史は後輩の練習場所に走り出す。
 あまりに想像通りの返事に俺はもう絶句するしかなかった。
 気がつけば、隣で何気ない様子で会話に耳を澄ましていたらしい宮沢が笑いを噛み殺していた。笑いながら孝史を呼ぶ。
「おーい、孝史」
「なに、宮沢」
「がんばれな」
 なにを言い出す気だこいつ。
 ぎょっとして横を振り向けば、宮沢はにやにやしながら孝史に手を振っている。
 孝史は孝史で足を止めて、首をかしげるようにして宮沢を振り返っていた。
「……宮沢、今の聞いてた?」
「ああ。まあ受験まで半年あるし、頑張る価値はあるんじゃない?」
「そうだね。がんばるよ」
 孝史が愛想良く笑って俺たちに背を向ける。
 その小さな道着姿が後輩の指導に入るのを待って、俺は宮沢に噛み付いた。
「……なに考えてるんだよ」
「べつに。炊きつけただけ」
 宮沢は悪びれもしにない。平然と眼鏡を外して道着のすそで拭いている。
「炊きつけてどうするつもりだよ」
「面白いじゃん」
 その頭をはたく。
「他人で遊ぶなってんだ」
 けたけたと宮沢が笑う。本当にこの男はよく笑う。
「笑いすぎだ」
「孝史ほどじゃないって」
「アレは笑ってるんじゃなくてニコニコしてるだけだ。四六時中ニコニコニコニコ。怒ったって笑ってる」
 俺は道場の真ん中で後輩の型を直している孝史に視線を戻した。
 小さい孝史が二人の大きな後輩に教える姿はなんとなく先輩後輩が逆転しているような印象さえ与える。ちょっと見には不良にカツ上げされている中学生だ。
 だがそれは少し見ていると違うことが分かる。
 後輩が孝史に敬意を払っているのが見て取れるからだ。
 孝史はいつも、まず自分で後輩に技をかけて正確な型を見せてから、後輩に自分に技をかけさせる。技がうまくかからない理由を、後輩の手首や肩を軽く抑えて修正させながら徐々にかかる方向に導いていく。孝史独特の教え方だ。
「うまいよなぁ」
 同じように孝史を見ていた宮沢がポツリと言った。
「たしかに柔法はうまいな。まあ、まがりなりにも副将だし」
「いや、技も切れてるけど教え方がうまいよ。孝史の教え方は理論だっていて分かりやすいから。後輩がすぐ寄ってくるのも分かるな。いつでもニコニコして絶対に嫌な顔をしないし」
「あれは、断れないから笑ってるだけだ。部活に限らず、俺は孝史が何かを断っているのを見たことが無い。だからいつでも厄介ごとを押し付けられるんだ。情けない」
 気がつけば宮沢がいつになく真面目な表情で俺を見ていた。
 なぜかため息をつかれて俺はむっとする。
「勇一さ、なんでそんなに孝史に突っかかるわけ? 俺はあんたと違う結論に行くよ。あれだけ柔法も出来るし成績だって悪くはない。人当たりも良くて他人といざこざを起こさない。もっと自信を持っていいのにもったいないって俺なら思うね」
 宮沢は顎で孝史を指し示す。
「勇一は必要以上に孝史を見る目が厳しいと思うぞ。もしかして孝史がいつでもおどおどとしているのは勇一のせいなんじゃない?」
「……お前には分かんないよ、宮沢」
 何が、という表情で宮沢が俺を見つめる。
「すべての選択を自分に任されてみろ。昼飯になにを買うかくらいだったらいいよ、右にいくか左に行くかくらいだったらまだ許せる。だけど、どの高校に行くかとか、どの部活に入るか、どの資格試験を受けるかとか、俺はそんなあいつの人生に影響を及ぼすところまで決めたくないんだよ。……重いんだよ。自分のことくらい自分で考えて決めろ、俺に寄り掛かるなって言うんだ」
 宮沢は俺を見たまま何も言わない。
「で、挙句の果てに俺が名大を受けると言ったら自分も名大受験するって……? キンギョのフンもいい加減にしろって言うんだ!」
 思わず口調が荒くなった。
「……やばいやばい。退散しよ」
 宮沢はおどけた口調でつぶやき、俺から視線を逸らす。よっこらしょと寄りかかっていた壁から身を起こした。
 宮沢が、眼鏡を掛けなおして上座に歩きながら「第一部の練習始めるぞ。集合!」と張りのある声で部員を集めるのを、俺は複雑な思いで見ていた。
 分かるさ。宮沢の言いたいことも分かる。俺だって、孝史がそんなにダメ人間だとは思っていない。やればやれるはずだ。
 だけど、とにかく気が弱いんだ。
 子供の頃からいつだって俺の後ろにばかり隠れていて、俺がいないと何も決められない。嫌なことに嫌ともいえない。俺がちょっと目を離すとすぐに厄介ごとを貰ってくる。
 ……俺には孝史の人生を背負う覚悟は無い。もういい加減に自由になりたい。
 「ありがとうございました」と合掌礼をする後輩に、軽く笑って合掌礼で答える孝史を横目で見ながら、俺は今度こそ別の大学に行く決心を固めていた。
 もうごめんだ。
 もうさよならだ。
 俺は何が何でも孝史から離れてやる。お守りしはおしまいだ。

 それが三ヶ月前のことだ。



        ◇◆◇◆◇◆◇



 だがまさかこんなことになるとは誰も予想だにしていなかっただろう。
 偏差値五十五前後で入学できるこの高校で、中の中くらいの成績の孝史が、外部模試で「名古屋大学合格率五十五パーセント」を取ってしまうなんて。
 見て、と孝史が満面の笑顔で成績表を俺のクラスに持ってきたとき俺は天地がひっくり返るかと思った。
 ちょっと待て、と心の中で叫ぶ。
 俺だって一応学年三十番以内には入っているんだ。なのに、この孝史の成績はそんな俺の平均偏差値を軽く超えていた。
 少なくとも孝史よりは賢いと自負していただけにそのショックは大きい。
 孝史はそんな俺の様子にも気付かないらしく、机の上に成績表を広げた。
「ほら、ようやく五十パーセント超えたんだ」
 嬉しそうにわずかに頬を紅潮させる。
「勇一の成績は? 勇一賢いからもっと良いと思うけど、これでも追いつこうと頑張ったんだよ」
 A3の桃色の用紙にプリントされた外部模試の成績表には、志望大学の欄に名古屋大学、その隣に五十五という数字が紛れもなくプリントされていた。……信じられない。
 耳聡く話を聞きつけた宮沢が、前の席から俺たちを振り返る。孝史がその顔に笑いかけた。
「ほら頑張ってみたよ、宮沢。まだまだ合格確実圏内には程遠いけどね」
「こりゃまた、えらい上がったもんだな……」
 さすがに目を丸くする宮沢に、孝史が照れくさそうに目を細める。
 勇一のも見せてとごねる孝史を、まだもらっていないとごまかして教室から追い出し、俺は机に突っ伏した。
 孝史の姿が消えるのを待って、宮沢が改めて椅子の背を前にして座りなおす。
 どうするんだよ、と眼鏡の奥から問いかけられた。
「……言えるわけないよな、お前の成績のはるか後ろですなんて。しかも、志望校は全く別の大学が書いてあるし」
「……知るか」
 突っ伏したまま俺は宮沢を見上げる。
「そもそも、無茶な志望校を書けって言ったのはお前だぞ。頑張れって炊きつけたのもお前だ」
「俺はアイデアを出しただけ。メールを実行したのはおまえ自身。頑張れ、は素直な応援」
「……ずるいぞ」
「しかし、すげーな孝史の奴。あいつ、今までお前の後ろに隠れてたから分からなかったけど、もしかして愛想良いだけじゃなくてものすごい根性があるんじゃないか?」
 俺は何も返答できないまま机と頬の温度を計りあっていた。
 なんだ、このショックは。
 キンギョのフンだったはずの孝史に追い越されて、俺は信じられないくらいの衝撃を受けていた。



 しかし続く時には続くものだ。
 俺はその日の放課後に更に追い討ちをかけられることになった。
 学期に一回、少林寺拳法部は近所の高校と対抗試合を行う。
 その日はちょうど一学期の恒例の対抗試合の日に当たっていた。しかも相手は因縁の深い隣の高校の少林寺拳法部である。実力はほぼ拮抗、春の学生大会でも地区優勝を競う常連校だ。
 定例の対戦を終えたとき、両校はほぼ同ポイントだった。
 このままこの対戦を終わらせられない、とはどちらの顧問も考えたのだろう。暗黙の了解のように追加の対戦の話し合いに入り、乱捕りで決着をつけることとなった。
 乱捕りは、防具をつけて実際にやりあう実戦だ。相手の急所に的確な角度と強さで攻撃を入れるか、関節技で動きを封じたときに一本となる。 
「時間もないから、主将副将の二対二、四人掛けでどうでしょう」
 低姿勢で、でも挑戦的に言い出したのは対戦校の顧問だった。
 ちらりと孝史を見られるまでもなく、俺たちは奴の目論見に気がついてむっとしていた。
 孝史だ。孝史を狙っている。
 それほど今年の副将の孝史の体の小ささは際立っていた。対戦紹介をしたときに、副将の孝史のところで相手が一瞬ざわめいたほどだ。
 対して、相手の主将副将は両者とも百八十を超えるデカぶつだ。しかも、少林寺と言うよりも柔道のほうが適しているくらいガタイがいい。
 主将副将のペアだったら孝史が出てくる。それだったら勝てると踏んだことは明らかだった。
 しかもそれは間違っていない。
 型の正確さを競う演武ならともかく、乱捕りなると孝史の体の小ささは非常に不利になる。孝史の関節技の正確さはダントツだが、乱捕りではほとんど役に立たない。拳にサポーターをつけるため手の動きが悪くなり、突きや蹴りなどの攻撃とその防御が主になってしまうからだ。
「ちょっと待ってください」
 統制の宮沢があまりに不平等なその提案に否を唱えようとしたのは当然のことだろう。宮沢が言わなかったら俺が言っていた。
 だが、黙ってその手を掴んで引き戻したのは当の孝史だった。
 宮沢が動きを止めて孝史を振り返る。
 孝史を挟んで反対に正座をしていた俺も思わず孝史の顔を凝視していた。
「やるよ」
 一言で言切った孝史の声は、硬いもののきっぱりとしていた。
 どちらかと言えば女顔でやさしい印象の黒目がちの瞳が、道場の対面に並ぶ相手を見据えてきらめく。明らかに侮辱されたことに怒るわずかに釣りあがった眉は、普段からは想像もつかないほど凛々しかった。
「……やるって、大丈夫かよ孝史。あまりにも不利だぞ」
 珍しく動揺した口調の宮沢に「やる」と再び宣言して、孝史は俺を振り返った。
「やるよ、勇一。いいね」
 俺はなぜか動揺しながらも辛うじて主将の威厳を保って頷いた。
 そんな俺にわずかに微笑んで、孝史は道場の端に並んでいる下級生を振り返る。
「一年生、防具を四セット、奥の倉庫から出してきて。大を三セット、中を一セット、大至急」
 中を、と言うその声も淀みがない。その孝史らしくない潔さに俺はわけが分からなくなる。
 宮沢も同じ気持ちだったらしく、孝史の頭越しに俺たちは怪訝な視線を絡み合わせた。
 どう考えても孝史には不利だ。本当に大丈夫なのかと思わずにいられない。
 これまでの孝史だったら、きっと「俺はちょっと」とにこやかに断り、適任の宮沢に自分から代役を頼んだだろう。実際俺は困ったように微笑む孝史の顔を想像して隣を振り返ったのだ。
 だがそこにあったのは、想像とは正反対の有無を言わせない強さを持った瞳だった。その目の力に思わず気おされた。
 動揺を隠せないまま隣を見つめる俺の前で、孝史は黙々とヘッドギア、胴具、金サポーターをつける。両手を広げて拳サポーターをはめ、マウスピースを咥える。
「やるしかないだろ、勇一」
 宮沢が俺に耳打ちする。
「……そうだな」
 俺は気分を切り替えるために大きく深呼吸をした。目を閉じて五つ数える。
 視覚の情報をさえぎると、隣で正座して身支度をする小さな体から漏れる闘気がぴりぴりと伝わってきて俺をぞくぞくさせた。
 驚きが静まると、孝史の闘志に触発されたかのように、俺の心もいつになく熱を帯びてきた。
 ――構わない。孝史の分は俺がフォローすれば良い。
 俺は二人分動くつもりで気を引き締める。
 後輩達も、試合を見学に来た暇人たちも場の雰囲気に気おされたかのように無駄口一つ叩かなかった。
「始め!」
 四隅に審判代わりのOBを立たせた正方形の枠の中に、号令が響く。
 声と同時に孝史が動いた。
 あっと思ったときには、腰を落として相手の懐に入り込み、その胴に廻し蹴りを食らわせていた。
 パンと小気味良い音が道場に響き、素早く身を離した孝史が構えなおす。
 誰もが呆気にとられる素早さだった。
 正直、俺だって目を疑った。
 「……一本!」
 顧問が赤旗を揚げる。わずかに遅れて相手校の顧問も赤旗を揚げた。
 孝史らしいといえば孝史らしい非の打ちどころの無い正確な蹴りだった。攻撃の後動作、離れて防御の姿勢をとるところまで完璧だ。ぱらぱらと上がった拍手が、やがて盛大な手拍子になる。
 相手校の副将が退場し、二対一になった。
 一人残った主将が孝史を睨んで憎々しげにつぶやく。
「……ちくしょう、不意打ちなんて卑怯な真似をしやがって……」
 むっとした俺が反論するより早く、孝史が答えるのが聞こえた。
「動きが速くて何が悪い。それとも体の小さい俺なら簡単にやれると思った? 馬鹿にするな」
 俺は呆気に取られて孝史を振り返った。
 あの大人しい孝史の口から、こんなに強い言葉が出てくるとは夢にも思わなかったのだ。
 ……何なんだ? 今日の孝史はまるで別人のようだ。
 気が弱いはずの孝史は、いまや真っ直ぐ対戦相手を睨み返している。
 むらむらと闘志がわいてきた。対戦相手に負けられないというよりも、むしろ孝史に負けていられないと俺も相手を見据えて開始の号令を待つ。
「始め!」
 三人が即座に動いた。
 二対一の対戦は意外と難しい。二人のほうが断然有利だと思われがちだか、それは気心の知れた二人組の場合に限られる。お互いの癖を把握していなかったり性格が合わなかったりする二人組だと、攻撃するタイミングが合いづらく、下手をすると味方同士でぶつかって自滅することもあるのだ。
 それこそにわか仕立てのペアの俺と孝史のタイミングはあまり合わなかった。徐々にイライラしはじめた俺に、擦り寄った孝史がささやく。
「勇一は好きに攻撃して。俺は隙を狙うから」
 思わずかっとした。
 俺は孝史より上位にいたはずなのだ。いつだって俺が先を歩き、孝史がその後をついてきた。これまで孝史に指図をされたことはなかったのに……。
 ものすごくプライドが傷つけられた気がして、俺は早々と一歩下がって構えている孝史を睨みつけた。
 ――出来るもんならやってみろ。お前に手を出させる隙なんて与えない。俺一人で倒してやる。
 むしゃくしゃする気分のまま相手に攻撃を仕掛ける。連突き段蹴り、俺の猛攻にさすがの相手も一瞬だけ体勢をよろめかした。
 その瞬間を孝史は見逃さなかった。
 バランスを取ろうと正位置から離れた相手の手首を横から孝史が引き、強引に投げの体制に入る。体が小さい孝史の投げの位置は相手よりもかなり低く、相手は投げられはしないものの体制を崩して転がった。
 孝史が素早く動きを封じに入るが、体格の差で押さえきれない。
「勇一! 決めて!」
 叫んで孝史が相手の胴の辺りをあける。
 俺は間髪いれず、転がる相手の胴に蹴り込んだ。
 派手な音が響き、即座に赤旗が上がる。文句無しの一本だ。
 相手から手を離した孝史が、さっさと開始線に戻って終了の礼を待つ。
「ありがとうございました!」
 元の席に戻った俺たちを待っていたのは、部員達の派手な拍手だった。
 ヘッドギアとマウスピースを外して孝史がようやく大きな息をついた。
 仲間を振り返り嬉しそうに笑う。汗で額にはりついた黒い髪と、上気した頬、興奮のためか潤んだ瞳にまぶしさを感じて、俺は思わずどきりとした。
 俺としたことが一瞬でも孝史をかっこいいと感じてしまうなんて。
 だが実際、この試合の主役は間違えなく孝史だった。
 最初の一本は文句無しに孝史だし、あとの一本も、決めたのこそ俺だがその隙を作ったのは孝史だ。
 柔法が上手いのは認めていたが……。
 この小さな体にこんな闘士があったなんて知らなかった。キンギョのフンのように俺の後ろを付いてきているだけだと思っていたのに、いつの間にこんなに凛々しくなっていたんだろう。
 悔しいのを通り越して、俺はある意味呆然として孝史を見つめていた。

[749] 追いかける人 2 (2で終わります)
藤代 - 2004年09月14日 (火) 22時13分

 だが、この試合には思いがけないおまけがついていた。
 試合に勝ったハイテンションを引きずりながら、俺たち部員は日が暮れかけた田んぼ道を歩いていた。話は自然と先ほどの試合の話になる。
「あのときの向こうの副将の顔。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔してたぞ」
「やっぱり少林寺には体格は関係ないんですね! 孝史先輩が証明してくれたんですよ!」
 孝史並に背が低い後輩が目を輝かせて孝史を見つめるのを、俺は集団の一番後ろから複雑な気持ちで眺めていた。
「よくやった孝史。俺もびっくりしたけど、よくやった。すっきりしたよ」
 OBがぐしゃぐしゃと孝史の髪を掻きまわす。孝史はくすぐったそうに、でも嬉しそうに笑う。
 そんな様子は以前の孝史と変わらない。
 頭を撫でられたら怒るくらいしろよ、と俺がいつももどかしく思っている孝史だ。嫌なら断れ、バカにされたら怒れ、女子に仲間扱いされた時くらい憮然としろ、自分の進路くらい自分で考えろ、「男なんだろ、お前!」と怒鳴りたくなる孝史だ。
 だけど、なんとなく今日はいつもほど癇に障らない。
 先ほどの思ってもみなかったほど凛々しい孝史の姿が頭に浮かぶからだろうか。
「何考えてる? 勇一」
 宮沢が集団を抜けだして俺と肩を並べた。
「いや……、ちょっとね」
「勇一、孝史に出し抜かれて悔しいんじゃない? あの乱捕りはどう見ても孝史が他の三人を食ってたぞ」
 宮沢が肘で俺をつつく。
「……だろうな。あれは」
「なに、素直じゃん。勇一のことだからもっとガーっと悔しがってると思ってたよ」
「悔しいの通り越しちまって、意外でさ」
「まあね。やると言われたときには俺でもびっくりしたよ。しかも相手を出し抜いて先制攻撃の一本だ」
 俺は黙って肩をすくめた。
「そういえば、二本目を始める前に相手と何が言葉を交わしてたけど、孝史は何て言ってたのさ」
「ああ、あれね。小さいからってバカにするな、だってさ」
 宮沢が立ち止まる。
「……そりゃまた、孝史らしくないセリフじゃん。何か心境の変化でもあったんかね」
「あったんかね」
 俺たちは前の集団で談笑しながら歩いている孝史の姿をまじまじと見つめた。
 孝史は相変わらず穏やかに笑っていた。



 分岐点が来るたびに部員は一人二人と減っていく。
 当然のことながら最後に残るのは家が隣同士の俺と孝史だ。
「お疲れ様でした。失礼します!」
 最後の後輩が公園の影に消えるのを確認して、さあ家に帰ろうと思ったときだった。
 突然孝史が力尽きたようによろよろと住宅街のブロック塀に寄りかかったのだ。
「どうした?」
「……足くじいた」
 びっくりして孝史の学生服のズボンを捲り上げると、パンパンに腫れた右足首が目に入った。
「なんだよ、これ」
「さっきの乱捕りで、最後に投げたときにクキっと……」
「何でさっさと言わないんだよ!」
 思わず声を荒げた俺に、孝史が負けないくらい強い声で言い返す。
「言えないよ! まだ相手校だっていたのに! そら見たことかって笑われるのがおちだ!」
「バカかお前は! さっさと手当てしないとどんどん悪化するだろうが。何を意地張ってるんだよ」
 孝史が黙って俺を睨む。
 またさっきの目だ。今日はじめて見つけた、笑顔と泣き顔以外の孝史の表情。強い意志をもった真っ直ぐな孝史の目。背筋がぞくりとした。
「おぶれさよ」
「いやだ」
「ごねてる場合か。さっさと帰って冷やすぞ」
「自分で歩く」
 思わずため息が出る。
 孝史が俺に反論するなんてこれまで無かったことだ。
「おぶされって。数分の治療の遅れが数週間の完治の遅れに繋がるって、何度だって言われてるだろうが。……副将がいない部活なんてやりにくくて仕方ない」
 俺は強引に孝史を背負う。
 先ほどの切り返し方から想像するに、嫌がって暴れるかと思っていた孝史は意外なことに大人しく俺の背中に乗っていた。
 軽い体。女だと言われれば信じてしまいそうな華奢な体。性格まで女々しいと俺は思っていた。昨日まで。
 だけど、今日見た孝史は確かに男だ。意地っ張りで、負けず嫌いで。
 いつの間にこいつはこんなになったのだろう。気がつかなかった。
 ……いつの間に俺は置いていかれそうになっていたのだろう。



 孝史の家も俺の家も両親ともに留守で、仕方なく俺は孝史の部屋で足の手当てをはじめた。
 靴下を脱いだ足首は思った以上に腫れていて、俺は正直言ってやばいと思った。これは病院に連れて行ったほうが良いかもしれない。
「病院行くか」
「行かない」
 即答する孝史に俺は思わずかっとした。
「強情もいい加減にしろよ。何でもかんでも俺に反論して」
 孝史が黙ったまま俺を睨み付ける。
 はじめて見たそんな表情に俺はいつもの自分のペースが崩されるのを感じた。
 普段だったら、俺が怒鳴ると孝史はびくっとして目を伏せて大人しくなったのだ。今日の孝史はまるで別人だ。喧嘩を吹っ掛けられているような気さえする。
 いらいらのあまりため息が漏れた。
「何を意地になってるんだよ。お前、そんなんじゃなかったろうが。もっと素直だったぞ」
「勇一は、そんな俺に愛想をつかしたくせに」
「……愛想?」
「だから、名大なんて無茶な返事をよこしたんだろ。できっこないと思って」
 孝史が俺を睨みつける。黒目がちの瞳が俺を真っ直ぐに見据える。
「気付かないはずないだろ。それまで一度だって勇一は名大なんて言葉を出したことなかったんだから。……あのとき決めたんだ。これまで勇一を目標にしてやってきたけど、もしがむしゃらに頑張って勇一を追い越す成績が取れたら勇一から離れるって」
 なぜかすっと心が冷えた。
「今日の模試の成績。勇一のクラスだって朝イチで配られてるのは知ってる。だけど成績表を見せてくれなかったのは、俺より低かったからじゃないの? 勇一はいつだって優越感を満面に出して俺に成績表を見せてたんだから」
 俺は何も言えなかった。
 言われてみて改めて、俺が確かに孝史に対して優越感を持っていたことに気付かされた。だから成績を抜かれて悔しかったし、乱捕りの時も主導権を取られてかっとしたんだ。
 孝史は俺をまっすぐに見たまま言葉を繋げる。
「……もういい。もう俺は勇一なんか気にしない。やってやる、名大にだって合格してやる。少林寺だって強くなってやる。勇一を追い越して、どうして俺はあんな男にこだわってたんだろうって思うくらいいい男になって、見返してやる」
 俺は呆然とした。
 この三ヶ月間、孝史が俺のことをそんな風に見ていたなんて思いもしなかった。
 孝史はいつだって笑っていたし、ただ何となく俺に纏わりつかなくなったなとは思っていたけど。俺はそのことについてもすっきりしたと思っていたくらいで……。あとは夜遅くまで孝史の部屋の電気がついているな、とか。
 俺ははっとした。あれがそういうことだったんだ。孝史は本気で俺から離れるつもりなんだ。
 突然背筋に鳥肌が立った。これまでいつだって後ろをついてきた孝史が消えると思ったら、すっと胸が冷えた。
 ……なんで俺はこんなにショックを受けているんだよ!
 あんなに鬱陶しいと思っていたはずなのに、実際に離れる段になってみると、思いがけないくらい大きな喪失感が襲ってきた。訳の分からない焦りが生まれる。
 俺の心に浮かんだのは、孝史を手放したくないという思いだった。ここで負けを認めたら、きっと孝史は俺を置いて先に行く。
 そんな俺の心のうちも知らず、孝史が俺を睨みつける。
「……絶対に負けない。勇一になんか」
 わずかに潤んだ黒い瞳に俺はどきりとした。
 その次に取った俺の行動は、俺自身にも理解不能だ。
 俺は、孝史の首に右手をかけて強引に引き寄せると、その唇に唇を重ねていた。
 一瞬の間の後、孝史が猛然と暴れて俺を突き飛ばす。
「何するんだよっ! 何考えてるんだ、バカっ!」
 ぎらぎらした目で俺を睨む。怒りのためか頬が赤らんでいる。
 何を考えていると言われても、俺自身だって説明がつかないんだ。一番呆然としているのが俺だったりする。
 だが、何も言わないわけにもいくまいと俺が口にした言葉は、一層理解不能だった。
「俺に負けないと言ったな。だったらこんなことができるか」
 ぐっと言葉に詰まった孝史は「できるさ」と叫んで俺の頭に両手をかけた。強引に唇を寄せ、歯と歯がぶつかる勢いで唇を触れあわせた。
 俺が触れるだけだったのに対して、孝史は舌まで入れてきた。
 捻挫のせいか怒りのせいか、俺のよりもわずかに体温の高い孝史の唇は、これまでキスしたどんな女子よりも肉感的で……。
 唇を離した孝史が「どうだ」という得意げな表情で俺を見上げたときに、俺は思わずカッとしてしまい、もう後に引けなくなった。孝史のキスを美味しく感じてしまった自分に対する後ろめたさもあったのかもしれない。
「……そんな程度でいきがってんなよ」
 俺は孝史をベッドに押し倒してその首筋にかぶりついていた。



 あとから考えればバカだとしか言いようがない。
 気がつけば俺たちは全裸で、ベッドの上で絡み合っていた。
 俺は孝史の**をいじっている。
 俺に仰向けに押さえ込まれた孝史は、感じることが屈辱だとでも言うように必死に感情を押さえようとしているようだった。
 顔を赤くして硬く目を閉じ、眉を寄せている。波が襲いそうになるたびに息を詰め、たぶん無意識なのだろうが首を左右に振る。乱れた前髪を汗のにじんだ額に張り付かせ、波に流されまいと足掻くその表情は、相手が男だということを忘れてしまうほど俺の本能を煽った。
 もっと乱れさせてみたいという欲求が沸く。
 俺は体をずらすと、手の中にあった孝史の先をぺろりと舐めた。
「……っ」
 孝史がばねのように上半身を起こす。
 真っ赤な顔をして俺を睨み付ける孝史に、俺はことさらゆっくりと問いかけた。
「降参する?」
「……しないっ」
 孝史は再び枕に頭を埋めた。
 予想していた通りの答えに満足して、俺は孝史を咥える。不思議なことに、本当に不思議なことに俺はそういう行為に全く嫌悪感を覚えなかった。
 呼吸を止めて波をやり過ごそうとするたびに孝史の体が赤く染まる。もだえるように時々シーツの上を足が滑る。そんな些細な反応でさえ、困ったことに俺には魅力的だったのだ。
 あと少しというところで、俺は口を離して手に置き換える。
 そんなに時を待たずして、孝史は俺が手にしたティッシュの中で弾けた。
 もちろん意識していないのだろうが、その瞬間、声を出さないように手の甲を噛んだりまぶたが痙攣するように震える様子さえ、これ以上無く俺を熱くした。
 ……かわいい、などと言ったらもちろん孝史は怒るのだろうが。
 しばらくたって、大きく息をついた孝史が恐る恐るといった表情で俺を見上げる。目が潤んで赤らんでいる。
 俺の感情を伺うその仕草に見慣れた昔の孝史が顔を覗かせていて、俺は我知らずほっとしていつもの自分を取り戻す。
「……気持ちよかった?」
 孝史の顔が、通電した電熱線のように徐々に赤くなる。
「気持ちよくなかったなんて言わせないぞ。あんな顔しておいて」
 孝史が耳たぶまで赤くなるのを、俺はニヤニヤと笑いながら見ていた。
 この先の展開は二パターン。
 孝史がギブアップして、俺が勝つ。
 あるいは、孝史が今俺がしたことと同じ事を俺にするかだ。
 困ったことに、孝史の無防備な表情を見て可愛いとすら思ってしまった俺は、同性に**をいじくられる不快感なんか毛の先ほども浮かばず、孝史にだったらそうしてもらいたいとさえ思っていた。
「さあどうする? 孝史がここでギブアップするなら俺の勝ち」
 潤んだ瞳で俺を睨みつける孝史に、俺は意地悪く決断を迫る。
 枕もとの目覚まし時計のカチカチと時を刻む音が狭い部屋に響く。
 孝史が瞳を伏せて言いよどむ。何度か口を開けかけて閉じる事を繰り返して、ようやく孝史は俺を見上げた。
「……てやる」
「何?」
「もっと気持ちよくしてやる」
 ……もっと……?
 俺は予想外の答えに面食らった。
 そんな俺を自分の体の上から押しのけ、孝史はベッド脇の救急箱の中から火傷用の軟膏を取り出して蓋を捻った。右手の指にすくうと、その手を自分の後ろに回す。
 俺は、孝史が意図していることに思い当たって愕然とした。
「……おい、孝史。そこまでしなくても」
「黙っててよ」
 俺は本気で焦った。
 だって、そこまでさせる気は無かったのだ。古いと言われようと硬いと言われようと、手で遊ぶくらいならともかく、体と体を繋ぐ行為にはそれなりに意味が必要だと思っている。
 それに、知識だけだが、そういう行為はかなりの苦痛を伴うと俺は知っていた。
「……俺と同じことすればいいじゃないか」
 それを口に出した途端、孝史が俺を睨みつけた。わずかに赤くなった瞳が微妙に揺れながら俺を直視する。ずんと腰に来た。
「同じ事じゃ追い越したことにならない。勇一をもっと気持ちよくして俺が勝つ」
「……孝史、経験者?」
 途端にみぞおちを膝で蹴り上げられた。寝転びながらだから威力はないけどそれなりに効く。
「んなわけないだろっ! 聞いた話だよっ!」
 怒鳴りながら、俺を仰向けに転がしてその腰の上に俺に背を向けてまたがる。先ほどの孝史の色っぽい表情で既に固くなっている俺を手にして嫌味を言う。
「何にもしてないくせに、なんでこんなになってるわけ?」
「男の手でイかされた奴に言われたくないね」
 俺の勝ち。途端に顔を赤くしてそっぽを向く。
 孝史は黙ったまま俺のものに手を添え、ためらいも無くその上に徐々に体を落としはじめた。
 俺は思わず目を閉じて息を詰める。熱い。きつい。……折り曲げられるようで痛い。
 かすかに目を開けたら、孝史の白い背中が目に飛び込んできた。
 俺はその様子に息を呑んだ。
 はた目にも見て分かるほどこわばっている。背中の筋肉も肩も像のように固まっている。色白の孝史の背中が徐々に赤く染まっていき、俺はきっと孝史は息を殺しているどころではなくて息を止めているのだと思った。
 痛々しさに胸が締め付けられた。
 それでも俺のものはじりじりと孝史に突き刺さっていく。その一部始終を俺はどこか呆然として見ていた。
 ようやく全部埋まったときに、孝史の喉が鳴るわずかな音が聞こえて、俺ははっと我に返った。
 どうしようもない罪悪感が沸き起こった。
「……どう……?」
 切れ切れに孝史が問いかける。
 どうと聞かれても、俺には答えられない。
 だって、気持ちよくなんかない。目の前の孝史の背中の痛々しさばかりが目に付いて萎えてしまっている。
 だけど、だから俺はこう言うしかなかった。
「気持ち、良いよ」
 その途端、孝史が笑った気がした。
 よかった、とつぶやくその声に先ほどまでの喧嘩腰の響きはない。
「……でも、ごめん、勇一。俺、もう限界。とても動けそうにないから、自分で動いて」
 言うなり、背を丸めて前に倒れて行こうとする。
 俺は、そんなことをしたら孝史が裂けてしまいそうな気がして、あわててその腰を抑えた。二人の角度を変えないまま孝史をうつぶせにし、俺が膝立ちになる。
 動いて、と誘う孝史の声のままに、俺は動き出していた。
 ひどいことをしていると思う。
 孝史の両手がシーツを鷲掴みにし、その腕の間に顔を押し付けている。乱れた髪の小さな頭が揺れる。孝史は唇を噛み締めているのだろうか、時々漏れる喉が引きつったような声以外は何も聞こえない。ただ、顔の辺りのシーツが濡れていて、孝史が涙を流していることだけが分かった。
 俺は目を閉じてひたすらに快感を追いつづけた。



「……気持ちよかった……?」
 俺の横でうつぶせにベッドに突っ伏しながら、孝史がまだそんなことを聞く。
 無茶をしたせいで最後には吐き気まで催した孝史のその顔はまだ青白い。冷や汗が乾ききっていない額に、乱れた前髪が張り付いている。
 だが問いかける声には、先ほどまでの険は含まれていなかった。以前の孝史の柔らかさが戻っている。 
「気持ちよかったよ」
 俺は複雑な気持ちをもてあましながらしぶしぶと答える。だって、そう言うしかないじゃないか。
「……じゃあ、ここまでは俺の勝ち。勇一はどうする?」
 ギブアップするよ、と俺が即答すると、孝史はくすりと笑った。
「……やった。俺の勝ち」
 心の底から安心した表情で孝史が目を閉じた。
 その仕草にふっと懐かしい気持ちが湧き上がる。
 ……そうだ。忘れてた。 
 子供の頃はこんな表情が嬉しくて俺は孝史の前をわざとゆっくりと歩いていたのだ。
 小さかった頃の孝史は、勇ちゃん勇ちゃんと俺についてまわり、俺と目が合うと心の底からほっとした表情で笑った。その無防備で幸せそうな表情は、俺まで嬉しい気持ちにさせた。
 俺とはぐれてしまった後に追いついたときの、泣きそうに歪んでいた顔が嬉しそうに輝くのが無性に見たくなって、俺は時々わざと速く歩くことさえあった。
 それが、早く歩きっぱなしになったのはいつ頃からだったろうか。
 俺は何となく泣きたいような気持ちになって、孝史の額に張り付いた前髪を人差し指で拭った。
「孝史」
「……ん?」
「負けたよ。認める。追い越された。ここまでやるとは思わなかったし、こんなに負けず嫌いだなんて知らなかった。……もう俺なんか気にしないで先に行けばいい」
 孝史が弾けるように顔を上げた。
 かすかに動揺したような瞳を俺に向ける。
 その頭を俺は抱き寄せた。


「今度は俺が追いかけるよ」




終わり

[750] 初めて投稿させていただきます。
藤代 - 2004年09月14日 (火) 22時19分

はじめまして。
こちらには初めて投稿させていただく藤代(ふじしろ)と申します。
プロを目指して文章を書き続けていますが、いまいちぱっとしません。あれこれと足掻いた挙句、突破口としてこちらに投稿させていただくことにしました。
忌憚のない意見をいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

[751] 拝読しました。
あんざい - 2004年09月15日 (水) 09時33分

藤代さま

はじめまして。
作品を拝見しまして、書きなれていらっしゃるなあと感心しました。
こう、ボーイズのお作法(笑)もすでに習得済み、みたいな。

わたしは「感想のないのも感想」派ですので、こうして感想を書かせていただいている時点で「感想を書きたくなるくらい面白かったんだ」と思って下さいね。
その上で、失礼を承知でいくつか気になった点を申し上げます。

・まず脇キャラの宮沢ですが、「主人公や受けキャラの説明のために出てきました」感が強すぎです。
出だしから「俺は説明をする役目です」と胸にでっかいプラカードをつけているようで白けます。

・過去のエピソードと現在のエピソードの割合のバランスが悪いです。この作品の長さであれば、過去のエピソードは現在のエピソードに混ぜ込むくらいでちょうどいいと思います。
あとこれは超個人的見解なんですが、この二人の過去って、ボーイズ界ではもう何万組もが持ってる「二人の過去」だと思うんですよ(笑)。
なので細かく「いつも俺のあとをおっかけて、俺をヒーローにしちゃったアイツ」を書いて読者にぐっとこさせるには、よっぽどのエピソードがないかぎりは難しいと思います。たいがいは「はいはい例のあれね」になっちゃう。
あとから必要なエピソードがないなら数行で「ここはお約束のあれっすよ」と読者に知らせるだけで充分だと思います。

・部活と志望校の選択、というのがこの作品の主要なストーリーで、さらにこのお話では部活の場面が重要だと思います。ですから出だしは部活の場面から入ったら作品自体が締まると思う。
全体に部活の場面で7割、過去1割、志望校のやりとりは「二人の力関係の逆転や感情の流れの転換」にアクセントとして重要に使って二割。(この書き方で藤代さんに伝わるといいのですが)

・恋愛・セックスにいたるまでがあまりに早い。前半で意地や憧れ、固執する気持ちなどが丁寧に書かれていただけに、後半の展開には「一体いつの間にそんなことになったんだ」とかなり驚きました。受けキャラがおどおどしていたのに急に攻めキャラをしのぐようになるあたりは、読んでいて「上手いな、面白いな」と
引き込まれていたのでよけい残念でした。
受けキャラが「もうおまえなんかおっかけない」と宣言してから、主人公くんにはあと一週間は悩んでいただきたかった(笑)
さらにいえば、「一週間は悩む」、ここが実はこの作品の重要な恋愛場面なんだと思う。
彼に対する気持ちの揺れ、不安、葛藤、そういうものが恋愛小説の山場になりうるわけで、ここがない=恋愛が弱い、になっちゃうんだと思います。

藤代さんはとても力のあるかたで、キャラクターを魅力的に描けるのが一番の強みだと思います。
ボーイズのツボもきっちり押さえておられるようにも思います。
ただ、このごろちょっと思うのは、「作者が誰か書いていないけど、これを書いたのは○○さんだ」と分かってもらえるのが個性というもので、プロになったあと、続けて書いていけるかどうかのポイントはそこかなあ、とナマイキにも思ったりしています。
藤代さんの作品を拝見しまして、とてもいいな、面白いな、と思ったのですがそういう個性、というものはわたしは感じませんでした(きついこと書いちゃってごめんなさい)。
個性は書いてるうちに見つかってくるものだという気もするので、(すいません、全部「気がする」で)ご自分の筆力を信じてたくさん書いてください。

いろいろ生意気を書きましたが、お気を悪くなさいませんでしたでしょうか。
これでも一生懸命考えて書きましたので、次作を書かれるときにいくらかでも参考になりましたら嬉しいです。
投稿が実りある結果になるといいですね。頑張ってください。

[753] 楽しく拝見しました
はな - 2004年09月15日 (水) 13時00分

藤代さま
はじめまして、こんにちは。
とてもおもしろく読ませていただきました。
あんざいさん(お久しぶりです!)がとても的確にまとめてくださっていると思います。そうそう!!!と机を叩く勢いで同意です。

そんでもわたくしも一応ちょっくら自分を棚に押し上げて、感想を付け足しさせていただきます。

・文章はとても読みやすく、また感情移入もしやすくてわかりやすかったです。ボーイズラブ向きだと思います。基本的文章力は充分なので、あとは目新しい何か、ぱっと印象付けられるような設定……プラスアルファの個性の部分でしょうか。このままではありきたり過ぎるというか、「お約束」のみ小さくまとめただけです。だから何?となってしまいます。
・勇一と孝史の現在の力関係がわかるエピソードを前半に増やして欲しいです。
・部活部分はとても場面が生き生きとしているので、もっと力をいれてもよいかと思います。配置的に転の部分だとは思うのですが、うまくいえないですがここに使うのみというのはもったいない。勇一の試合シーンを格好よくいれたりしてはどうでしょうか。女の子にモテる姿とか、それを気にする孝史とか。
・一人称なので、勇一が自分で格好いいというのは難しいかもしれませんが、孝史の男前度に負けてます。ボーイズラブは攻の格好よさが大事なポイントにもなるので負けてはいかんです。説明ではなく具体的に勇一の格好よさを前半部分でエピソードを出して印象付けてください。そうすると、後半での孝史の見えない葛藤や努力が引き立ちます。孝史がきっちりキャラ立ちして魅力があるので、余計に勇一が霞んでしまうのだと思うのですが…。


非常によくできている、と思います。途中で読んでいて先が楽しみな作品です。すらすら読んでいるから余計に展開の性急さや唐突なHシーンに「あれっ」となってしまいます。なんか読み飛ばしてしまったような……。
わたしも修行中の身ですので、力のある方の作品というのは読むだけでとても参考になります。勝手なことばかり申し上げてしまいましたが、個人的な好みなども感想には入り込んでしまうので展開などはこうすると絶対によくなるっつーのはないです。ないというか、やっぱりそれぞれです。
どんなふうに噛み砕いて仕上げてくるか、それが個性ですので「こう感じる人もいるんだ」程度に読んでくださればと思います。えらそうなことを書いてしまってごめんなさい。
次作を楽しみにしています。

[756] 拝読しました。
ユカリ - 2004年09月16日 (木) 22時07分

藤代様

こんにちは。そして、はじめまして。楽しく読ませていただきました。
読み終わって、「さあ書こう!」と思った感想は、ぜーんぶ他の皆様が書いていらっしゃいました。
うん、残念。

藤代さんのように、読み手がすんなり入り込める文章が書けるということは最大の強みですよね。本当に羨ましい。
対抗試合のシーンも良かったです。長過ぎず短過ぎず、ちょうどいい長さだと思います。ボーイズラブは、攻めはもちろん、受けも『男』でなければならないというのが私の持論なんですが、ここで2人の…特に孝史の男の子らしさ、カッコ良さも充分アピール出来ていると思います。
それから、物語の締め方も上手いですね。読後が爽やか。
「今度は俺が追いかけるよ」、なんだか2人の幸せな未来を感じさせますね。
ただ残念だなと思ったのは、オリジナリティ不足ということでしょうか。
ありがちな設定・ストーリーは、こちらも安心して読み進められるので、けして悪いという訳ではないんですが、ドキドキ感がほとんどなくて、いまいち物足りない気がしました。
なので、ひとつ大きなドキドキエピソードが欲しいかなあ、と。(これはまったくもって私の我が侭な意見なんですが…)

なんだか好き勝手なこと言いました。お気を悪くされないことを祈ります。
投稿、頑張ってくださいね。気が向いたら、また別の作品を読ませてください。
楽しみに待っています。

[777] 貴重なご意見をありがとうございました。
藤代 - 2004年10月01日 (金) 21時50分

こんにちは、改めまして藤代です。
皆様、丁寧なご意見をありがとうございました。
行き詰って投稿した身としては、本当に「なるほど!」と手を叩きたくなるような意見ばかりです。

特に、あんざい様の「主人公にあと一週間は悩ませる」。なるほどです。
私は商業誌に投稿するたびにいつも「恋愛部分が物足りない」と言われます。根が恋愛至上主義になりきれていないせいかとも思うのですが、「もっとラブラブ感をだして」などは本当によく言われる言葉です。
ラブラブ感なんてどうやってだすんだよー、ともがいていたところに頂いたこのご意見、目から鱗でした。そうなんですね、相手に対する気持ちをここで再確認、強調すればいいんですね。過去のエピソードとかも放り込みやすいし。
貴重なご意見、本当にありがとうございました。

あとは、自分でも薄々思っていた、宮沢が説明役になっているところ。勇一に魅力がない。後半の展開が唐突。すべて自分でも気になっていたところだったので、やっぱりか、という感じです。

意外だったのは、部活の場面をもう少し増やしてもいいと仰ってくださったこと。
実は、部活の場面が多すぎるんじゃないかとどきどきしていました。スポーツ小説を読んでるんじゃないんだよ、と言われてしまうかと。
ところが、全く逆のご意見ですよね。驚くと同時に、少し気が楽になりました。
書き込みすぎにならないくらいに、もう少し部活を利用してみることにします。
ありがとうございました。

なんだか変だなと思いつつも、何度も何度も繰り返し読んで改稿をしていると、自分自身が麻痺してしまって、何を変だと思っていたのか分からなくなってしまうことがよくあります。ヘタをすると、自分がなにを書きたくてこの話を書き始めたのかさえ忘れてしまうことも。
今本当にそういう状態でしたので、こうやってご意見をいただけて目が覚めた思いです。

今回は本当にありがとうございました!
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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